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今泉 (宇都宮市)
栃木県宇都宮市の地名 ウィキペディアから
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今泉と名のつく町名には、今泉町、今泉一丁目~五丁目、中今泉一丁目~五丁目、元今泉一丁目~八丁目、東今泉一丁目・二丁目、今泉新町がある。
郵便番号は321-0941、321-0954、321-0961、321-0962、321-0966、321-0968。
概要
宇都宮市の市街地中東部に位置し、西は東塙田一・二丁目、千波町、錦一~三丁目、北は竹林町、東町、東は越戸町、泉が丘一・三・四・五丁目、陽東四丁目、南は大通り四・五丁目、駅前通り一丁目、川向町、宮みらい、峰一・二・四丁目、東宿郷一・四・五丁目に隣接する。明治初期以前の今泉村[注 1][1]、その枝郷である今泉新田[注 2][2]の村域の一部を含む。1889年(明治22年)の町村制施行により、今泉新田の一部と今泉村が宇都宮町(現・宇都宮市)に編入され今泉町となり[3]、今泉新田の残りの大部分は豊郷村に編入された[4]。
2023年(令和5年)の芳賀・宇都宮LRT開通以降、同地域を含む駅東口の沿線地域は再開発が進み[5]、住宅地の人気が高まったことから移住の増加や地価上昇が起こっている[6]。
地名の由来
今泉の地名の由来には諸説あるが、次の二つの説が有力である[7]。
地理
今泉には田川や石川、奈坪川などの河川が流れており[8]、かつては湿地帯が広がる人口僅かな農村であった。明治時代に東北本線が敷設された際、市街地を避けるため当時農村であった田川東岸の今泉・宿郷に宇都宮駅が開業された。その後、線路の西側が市の中心部とともに発展する一方で、東側は駅の出入口もなく、発展が遅れていた[7]。
高度経済成長期に入ると、市街地の東側郊外に平出工業団地の建設が行われたほか、駅東口開設、国道4号線開通などの道路整備事業により交通の利便性も向上したことから、人口も急増し、一気に都市化が進んだ[7]。
また今泉は田原台地に属し、市街地以南の台地面には数十センチの深さで刻んだ網状河川跡が分布する。この所には水成ロームのみがあって、旧河道は低湿な水田となっている。江戸時代から水田化され、ごく一部に平地林・畑が散在している[8]。
歴史
要約
視点
江戸時代まで、今泉村は宇都宮藩の統治下にあった。村は水田が多く、男女ともに農耕を主業とする純農村であった[8]。当時の石高は1711石[9]と、全国平均[注 3]と比べると比較的多い数値であった。明治時代に入ってからも農村社会は色濃く残っており、都市部の米や麦、野菜などの需要を支えていた[8]。
1903年(明治36年)、白楊高校の前身となる栃木県立農学校が野崎村沢(現:矢板市沢)から今泉町に移転した。道路を挟んで南に隣接する県農事試験場があり、俗に「今泉田んぼ」と呼ばれた田畑は栃木県における農業振興の中枢的機能を持っていた[3]。
1945年(昭和20年)7月の宇都宮空襲の際には、今泉町730世帯のうち419世帯・1899人が罹災した[1]。
戦後、昭和30年代に入ると日本の高度経済成長や産業の都市への集中が始まり、都市人口の急激な増加や本格的な車社会の到来などによる問題が顕著となった。そのような中、宇都宮駅の北側で旧国道4号線(現在の県道10号線)が飽和状態となっていたことから、1959年(昭和34年)に戦災復興土地区画整理事業の一部を分離し、隣接区域を含めた31.2ヘクタールの区域で戦災復興及び都市改造を目的とした今泉土地区画整理事業が、1981年(昭和56年)まで実施された[10]。またそれと同時に、1958年(昭和33年)から国道4号のバイパス(宇都宮バイパス)の建設が進められ、1964年(昭和39年)に完成した[1]。
沿革
- 1889年(明治19年)4月1日 - 町村制施行。河内郡今泉村は宇都宮町の一部となり、河内郡宇都宮町今泉町となる[3]。
- 同年4月1日 - 河内郡今泉新田は豊郷村の一部となり、河内郡豊郷村大字今泉新田となる[4]。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 宇都宮町が市制施行。宇都宮市今泉町となる。
- 1951年(昭和26年)6月1日 - 豊郷村大字今泉新田の一部が宇都宮市へ編入合併、宇都宮市御幸町が成立[11]。
- 1953年(昭和28年)6月1日 - 豊郷村大字今泉新田の一部が宇都宮市へ編入合併、宇都宮市東町が成立[11]。
- 1954年(昭和29年)11月1日 - 豊郷村は国本村、城山村、富屋村、並びに篠井村の一部とともに宇都宮市に編入合併、豊郷村大字今泉新田は宇都宮市今泉新町となった[11]。
- 1974年(昭和49年)4月1日 - 住居表示実施により宇都宮市博労町・川向町・宿郷町・今泉町・小袋町・上河原町・押切町のそれぞれ一部をもって駅前通り1~3丁目が成立[12][13]。
- 同年4月1日 - 宇都宮市宿郷町・簗瀬町・今泉町のそれぞれ一部が川向町に編入[14][13]。
- 1978年(昭和53年)10月1日 - 住居表示実施により宇都宮市峯町・宿郷町・今泉町・川向町のそれぞれ一部をもって東宿郷1~6丁目が成立[15][16]。
- 同年10月1日 - 住居表示実施により宇都宮市今泉町・宿郷町のそれぞれ一部をもって元今泉1~7丁目が成立[17][18]。
- 1981年(昭和56年)10月1日 - 住居表示実施により宇都宮市今泉町の一部が泉が丘1~7丁目として分立[19][20]。
- 同年10月1日 - 住居表示実施により宇都宮市今泉町の一部が東今泉1~2丁目として分立[21][22]。
- 1982年(昭和57年)2月1日 - 住居表示実施により宇都宮市博労町・今泉町・上河原町・塙田町のそれぞれの一部をもって今泉1丁目~5丁目が成立[23][24]。
- 2006年(平成18年)10月1日 - 住居表示実施により宇都宮市今泉町の一部が元今泉8丁目として分立[25][注 4]。
- 同年10月1日 - 住居表示実施により宇都宮市今泉町の一部が中今泉1~5丁目として分立[26]。
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世帯数と人口
2025年(令和7年)9月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[27]。
今泉町・今泉新町
今泉
中今泉
元今泉
東今泉
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小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[28]。
今泉町・今泉新町
今泉
中今泉
元今泉
東今泉
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交通
路線バス
宇都宮市内のバス路線の多くは、宇都宮駅を中心として放射状に伸びており、今泉地域の圏内には市の北東部・東部と駅を結ぶ多数のバス路線が通過している。
- 関東自動車(関東バス)[29][30]
- 宇都宮駅東口 - 東町 - 御幸ヶ原元町 - 上野団地 - 岡本駅西口 ( - 和久)
- 宇都宮駅東口 - 東図書館入口 - 北越戸町 - 御幸交番前 - 平出工業団地
- 宇都宮駅から石川沿いを進み、越戸通りを東進した後に平出工業団地の外縁を北進、その後折り返して産業通り上の停留所を結ぶ路線。花蔵院角、白楊高校、今泉新田入口停留所を経由。
- 宝木団地 - 作新学院前 - 宇都宮駅 - 竹林十文字 - 堀切 - 白沢河原
- (駒生営業所 - 作新学院前 - )宇都宮駅 - 竹林十文字 - 富士見が丘団地
- 宇都宮駅 - 竹林十文字 - 済生会病院 - 宇都宮北高校 - 豊郷台 - 帝京大学
- 上記3つの系統はどちらも、宇都宮駅西口から奥州街道や白沢街道を経由して北上するルートを通る。今泉一丁目、今泉五丁目、陽北中学校入口、今泉八丁目停留所を経由。
道路
- 奥州街道
- 白沢街道(栃木県道125号氏家宇都宮線)
- 県庁前通り(栃木県道64号宇都宮向田線)
- 宇都宮バイパス(国道4号)
- 東雲通り(宇都宮市道25号線)
- 白楊高通り(宇都宮市道920号線)
- 今泉川田線(宇都宮市道2692号線)
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主な施設
今泉町
- 宇都宮市立陽北中学校
- 錦中央公園
- FKDショッピングプラザ宇都宮店
今泉新町
- 宇都宮市消防団豊郷分団第10部[31]
今泉
中今泉
- 宇都宮市立東図書館
- 東生涯学習センター、東市民活動センターが併設。
- 宇都宮市役所駅東出張所
- 栃木県宇都宮東警察署
- 宇都宮市東消防署
元今泉
- 栃木県宇都宮産業展示館(マロニエプラザ)
- 宇都宮市体育館(ブレックスアリーナ宇都宮)
- 宇都宮市立今泉小学校
- 栃木県立宇都宮白楊高等学校
- 宇都宮駅東公園
- 宇都宮東年金事務所
東今泉
- 新宇都宮リハビリテーション病院[33]
観光
名所
文化財・史跡
脚注
注釈
出典
参考資料
外部リンク
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