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フラワーロード

神戸市の道路 ウィキペディアから

フラワーロード
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フラワーロードは、兵庫県神戸市中央区加納町1丁目から同6丁目に至る南北幹線道路兵庫県道30号新神戸停車場線(ひょうごけんどう30ごう しんこうべていしゃじょうせん)の路線名で県道主要地方道)に認定されている路線の愛称である[1]。かつては布引の滝へ向かうことから「滝道」と呼ばれていた。都市計画道路の名称としては神戸国際港湾都市計画道路3.1.3税関線であり[2]、神戸市は三宮地区再整備事業において税関線の名称を用いている[3]

概要 主要地方道, 起点 ...
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神戸市役所北
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概要

生田川の旧河道にあたる。六甲山系布引山麓の新神戸駅から都心部の三宮を経由して神戸港新港地区の神戸税関に至る坂道で、標高が高くなるほど斜度も高くなる。

北端では、北に山麓バイパス(南行出口)が[注釈 1]、東西に北野通りが接続する(北野通りの東端は加納町1丁目にあると誤解されがちであるが、実際の東端は、さらに約150m東の生田川橋梁であり、そこで原田線と接続する)。

三ノ宮駅以南の地下部分は、地下街(さんちか)と駐車場になっている。沿線には神戸市役所などがあり[注釈 2]、毎年ここで神戸まつりのパレードが行われる。三ノ宮駅以北の地下部分には神戸市営地下鉄西神・山手線が通っている。

生田区葺合区が中央区として統合される1980年(昭和55年)までは、フラワーロード以西が生田区、以東が葺合区であった。

路線データ

概要 全ての座標を示した地図 - OSM ...
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歴史

要約
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三宮から新神戸方面

フラワーロードの区間には遅くとも1594年(文禄3年)には生田川が流れていた[4]。当時の川幅は80〜90mで交通の妨げになっており雨で氾濫することもあったという[4]

神戸開港に際しての条件とされた外国人居留地の整備に際し、天井川であった生田川の治水対策が急務となり、1871年(明治4年)に約800m東側に付け替えられた[4][5]。旧河川敷には1873年(明治6年)に幅員10(約18m)の道路が整備された[6]。後に幅員30 - 50mに拡幅され[7]、歩道および中央分離帯に花を植えるようになったことや花時計が誕生したことなどからフラワーロードと命名された。

神戸まつりはフラワーロード周辺で行われているが、1970年代には祭りに合わせて暴走族が走り回るようになり、それを観に集まる者も多く詰めかけるようになった。1976年5月15日には、警察がフラワーロードへの立ち入りを規制したことを契機に、群衆が自動車に放火するなどの暴動状態となり、写真を撮影していた神戸新聞のカメラマンが暴行を受けて死亡する事件に発展している[8]

1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災で、沿線のビルが数多く倒壊した。これに関して「旧生田川を埋め立てたために地盤が弱い」との評論がまれに散見されるが[9]これは必ずしも正しくない。[要出典]旧生田川を埋め立てた部分もあるにはあるものの(加納町二丁目あたりまでが該当)、ビルの倒壊が集中した場所では旧生田川は天井川であり、埋め立てたのではなく掘り下げて平らにしたのである。ビル倒壊の直接の原因は、1950年代から1970年代にかけて、建造物の高層化のなかで模索された建築手法の主流(中層階の剛性を小さくすれば上層階への振動を減らせるとの仮説)や建設ラッシュに伴う建築資材の粗悪化によるものである。沿線のビルのうち、この当時の建造物ばかりが、中層階あるいは1階といったワンフロアのみ圧縮倒壊したのはこのためである[注釈 3]。ただし、地盤の点で言えば、旧生田川流域で上流から流れてきた砂が堆積して扇状地が形成されており、それはフラワーロード沿線に限らず、右岸(西岸)では旧居留地のほぼ全域や生田神社の東側など、左岸(東岸)では旧菟原郡小野新田村域など広範囲に及ぶ。

神戸市では3車線のうち1車線を廃止して歩道を拡張し人工水路を整備する計画である[4]

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地理

交差する道路

沿線にある施設など

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国際会館前交差点南西
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神戸市役所前

脚注

関連項目

外部リンク

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