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冠二郎
日本の歌手 (1944-2024) ウィキペディアから
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冠 二郎(かんむり じろう、1944年4月23日[2][1] - 2024年1月1日)は、日本の演歌歌手。「炎」の大ヒットにより「ネオ演歌」「J-Enka」「アクション演歌」の旗手と目された。
来歴・人物
埼玉県秩父市出身[1]。埼玉県立秩父高等学校を卒業した。学生時代は女子に人気だったため、アイドルを目指して上京[3]。しかし作詞家の三浦康照に「君の顔は演歌顔だ!」と言われ、演歌に転向[3]。音程の良さや「土の香りのする素朴さがいい」と見込まれ、三浦に弟子入りする[4]。
レコード会社も三浦と同様に「あなたの顔は演歌だ。鼻が演歌鼻だ!」と演歌でのデビューを推した[4]。1967年に「命ひとつ」で日本ビクターよりデビュー。三浦から和田香苗を紹介され、同時に師事するようになる。
しかしデビュー後の10年はヒットに恵まれなかった。日本コロムビアに移籍して1977年に自らも出演したテレビ朝日のドラマ『海峡物語』の主題歌「旅の終りに」が念願のヒットとなるが、それ以降もしばらく苦節の時期を過ごした。
その後、1992年に発売した「炎」が「アイ、アイ、アイライク演歌」の一節で脚光を浴びる。冠自身のユニークなキャラクターも注目され、バラエティーでも活動しており[5]TBSラジオ「コサキン快傑アドレナリン」やテレビ朝日系「ナイナイナ」などに出演した。畳みかけるように「ムサシ」「バイキング」と新機軸の「ネオ演歌」をリリースした。
そのほかに居酒屋チェーンとタイアップした「酔虎伝」シリーズや、「望楼の果て」「燎原の狼」といった伝記もの、演歌歌手としては異例の特撮番組『燃えろ!!ロボコン』のエンディング「歌は世界を救う!!」をリリースし、独特のポジションを得ている。
2009年、俳優の藤原竜也・落語家の林家たい平・THE ALFEEの桜井賢とともに秩父市の観光大使に任命された[6]。不破大輔が主宰する「渋さ知らズオーケストラ」にボーカルとして参加したこともある。
2016年3月31日、31歳年下の一般女性と結婚し[7]、5月26日に大宮八幡宮で挙式した[8]。
サウナを好み、一年中夜に通うことが若さの秘訣とも語っていたが[9]、2019年の虚血性心不全手術後はやめている[10]。
心臓病や糖尿病の持病があり、2013年には口腔がんを患っていた。2022年秋に足腰が弱ったことで入院し、以来入退院を繰り返し長期療養中であったが、2024年1月1日、心不全のため埼玉県内の病院で死去した[11][5]。79歳没。訃報は同年1月11日に所属レコード会社の日本コロムビアより公表された[12]。
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NHK紅白歌合戦出場歴
- 対戦相手の歌手名の()内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある()はトリ等を務めた回数を表す。
- 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
- 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。
ディスコグラフィ
シングル
デュエット・シングル
企画シングル
アルバム
オリジナル・アルバム
カバー・アルバム
ベスト・アルバム
タイアップ曲
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テレビ出演
脚注
外部リンク
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