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伍代夏子
日本の女性歌手 ウィキペディアから
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伍代 夏子(ごだい なつこ、1961年12月18日 - )は、東京都出身の演歌歌手、社会公益活動家、警察庁特別防犯支援官。夫は歌手で俳優の杉良太郎。
来歴
要約
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子供時代
東京都渋谷区代々木生まれ[2]。代々木八幡にあった井ノ頭通り水道道路商店街の魚屋[3][4]「市六水産」の次女。両親と4つ上の姉の4人家族で育つ[2]。物心ついた頃から歌が大好きで、小学生になると歌詞と譜面が載った「歌本」を見ながら歌っていた[2]。
実家は30坪の一軒家で、日当たりが悪いため洗濯物が乾きにくく、冬場は風呂の脱衣所が寒かった[2]。そのため「両親に素敵な家を建ててあげたい」という目標をもち、将来は演歌歌手一択と決めていた[2]。
渋谷区立富谷小学校[1]、渋谷区立上原中学校卒業[5]。鷗友学園女子高等学校[6]在学中、渋谷でモデル事務所にスカウトされた。歌手デビューのきっかけが欲しい一心で、街頭で名刺を配っていたスカウトマンの前を30回ほど行ったり来たりしたという[2]。事務所の紹介でボイストレーニングを受けていたところ、センチュリーレコードのディレクターの目に留まり、同社でレッスンを受けることになった[2]。
下積み時代
1982年、「星ひろみ」として歌手デビュー。しかし当時の仕事はほぼスナックまわりの営業で、酔った客のセクハラに悩まされた[注釈 1]。次第に人前で歌うことが苦痛になり、一時はストレスで円形脱毛症になった[2]。デビューから4ヶ月後に突然事務所が倒産し、この生活から抜け出す[2]。
ディレクターの計らいでレコード会社でOLとして働かせてもらい、経理の手伝いや出前の注文まで様々な仕事を担当[2]。裏方の仕事を経験したことで、一人の歌い手が多くの人に支えられていることを実感した。同時に、一流歌手の人たちがどれだけ努力を重ねているのかを知ることができたという[注釈 2]。
2年後、元プロ野球選手・平松政次のデュエット相手を探しているとの話が舞い込む[2]。1985年に「加川有希」の名で歌手復帰し、平松とのデュエット「夜明けまでヨコハマ」で2度目のデビュー。平松は野球解説の仕事で忙しく、伍代が一人でキャンペーンに行き、平松の声入りのテープに合わせて歌っていた[2]。
翌1986年、本名の「中川輝美」名義で新曲をリリース。この頃から衣装が着物になり本格的な演歌を歌うようになった[2]。それまでは「24歳でまだ若いのに演歌なんて」と希望を却下されていた。星ひろみ時代から鳴かず飛ばずであったが、先述の夢を叶えるまでは「絶対に歌手として売れるしかない」という想いで歌い続けた[2]。
「伍代夏子」誕生
1987年9月21日、レコード会社を移籍し3度目の改名をしてデビュー。芸名は五木ひろしと八代亜紀にあやかり、字画を考えて「五」に「亻」を付けた[7][注釈 3]。現在では一般に使用される「美人演歌歌手」という言葉は、当時の伍代のキャッチフレーズである[5]。
「戻り川」ではキャンペーンに明け暮れ、レコード会社の店頭や温泉施設の休憩所などで歌唱し、各場所でレコードを手売りした[2]。一日で7、8か所まわることもあり、帰宅はいつも深夜だった。地道な努力もあり、同曲は35万枚を超えるヒットを記録した[2]。
翌1988年、日本有線大賞と全日本有線放送大賞、いわゆる「東西有線」の最優秀新人賞をダブル受賞。同時受賞は演歌では初の快挙であった[8]。下馬評では大手事務所所属の歌手が有力視されており、自分の名前が呼ばれても到底信じられず、立ち上がることができなかった[5]。
1990年、「忍ぶ雨」の大ヒットによりNHK紅白歌合戦に初出場。出場の知らせを受けると毎日嬉し涙が出たが、本番は泣かずに歌い切ることができた[注釈 4]。
1994年の初め、32歳のときの健康診断でC型肝炎のキャリアであることが判明した[9]が、発症はしていなかったこともあり公表は控えた[2]。
33歳の時、「両親に家をプレゼントする」という長年の夢を叶えた[注釈 5]。
歌以外の活動へ
1999年、2時間ドラマ「霧の橋の決闘!みちのく紅花女と必殺男」(ABC系列)で時代劇ドラマに初出演[8]。同年、26年間連れ添った前妻と1998年に離婚した杉良太郎と結婚し、17歳の歳の差婚が話題となった[2]。以後、杉とはおしどり夫婦として知られ、杉のライフワークである福祉活動にも夫婦で取り組んでいる[8]。
2005年よりNHK「それいけ!民謡うた祭り」にレギュラー出演し、初めて司会を担当[8]。同年10月の秋の園遊会に出席し、以後数回出席している[8]。
2010年、「鳴門海峡"うず潮"観光大使」に就任した[8]。同年8月、C型肝炎を患っていることを公表。感染ルートは不明(輸血経験は無く、小学校あたりの予防注射[注釈 6]ぐらいしか思い当たる節がないという[10])。2009年からインターフェロン投与による治療を行っており、同じC型肝炎患者への支援のために公表した[11][12]。完治後、2012年から厚生労働省の肝炎対策特別大使を務めている[2]。
2011年、夫の杉良太郎とともにエイベックス・マネジメントとの業務提携契約を締結[13]。
2015年4月、歌手活動30周年記念として自叙伝「人生めぐり愛〜いまがいちばん幸せ〜」を出版[8]。同年7月、「30周年記念コンサート〜心より感謝を込めて〜」を開催[8]。また、諸外国との熱心な文化交流が認められ、外務大臣表彰を授与された[8]。
2016年、夫の杉良太郎が発起人となり[14]、議員連盟「演歌・歌謡曲を応援する国会議員の会」が発足[15]。杉とともに、議員連盟後援コンサートの全公演に出演している。
2021年、2年ほど前から喉の違和感と歌や会話も困難な状況があり、喉のジストニアと診断されたことを公表した[16]。
2022年、日本和装ホールディングス子会社のメインステージ社外取締役に就任[17][18]。
2023年に7月25日を「伍代夏子の日」として、日本記念日協会が認定した[19]。
2024年、詐欺撲滅運動の一環として金融機関の会合に出席、詐欺防止への協力を呼び掛けた[20]。
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人物
要約
視点
結婚の経緯・病気
人気歌手の仲間入りをしてからも居心地の良さから実家暮らしを続けたが、ある時このままだと恋愛すらできないことに気づく[注釈 7]。これにより賃貸マンションで一人暮らしを始めた。しかし実家のすぐそばであったため、毎晩実家で夕食をとって風呂に入ってからマンションに帰宅する生活となった[2]。
振り付けの師匠の勧めで杉良太郎の舞台を見に行った際、楽屋見舞いとしてエルメスの品を渡した。すると杉から「俺に気があるのかも」と勘違いされたことから[注釈 8]、以後毎日のように杉から電話がかかってきた[2]。当初は杉を恋愛対象とは思っておらず、芸能界の先輩として芝居談義や人生観の話に花を咲かせた。しかし、いつの間にか杉からの電話を待っている自分に気づき、交際に発展し、同居を始めた[2]。
杉との交際は周囲に一切明かしていなかった。結婚が決まった際、坂本冬美と藤あや子に舞台のパンフレットを渡し「これに載ってる人と結婚するの」と報告。ページを捲りながら「ああでもない、こうでもない……」と予想を繰り返す2人に、伍代は「どこ見てんの、表紙よ!」と伝え、2人を驚かせた。
32歳でC型肝炎の感染が判明した時は、自覚症状が全くなかった[2]。ただし発症はしておらず、当時の治療薬は副作用が強かったため、経過観察となった[2]。48歳の時、改良型の薬が開発されて仕事を続けながら治療ができると聞き、治療を決断[2]。事前に副作用は少ないと聞いていたが、実際には脱毛や貧血、微熱などの症状に苦しんだ。治療を続け、50歳ごろに病気を克服した[2]。
社会貢献活動・国際交流など
杉が長年福祉活動に取り組んできたことから、伍代も社会貢献活動を行っている。2005年に新潟県中越地震の被災地・川口町を慰問。2011年に起きた東日本大震災の被災地支援として炊き出し・救援物資輸送や慰問を行い、2014年には「東北復興支援チャリティーコンサート」も開催[8]。2017年、前年の熊本地震を受けて「杉良太郎と仲間たち 熊本慰問コンサート」に出演する[8]。また、夫婦にはベトナムの養護施設で暮らす152人の養子がおり、経済的支援を行っている[2]。
国際交流では、2002年の日韓合同チャリティーコンサート「日韓夢の大響宴〜遅すぎた祭典〜」や、2008年の「日越外交関係樹立35周年記念ハノイ・ホーチミン音楽祭」などに出演[8]。2011年、総理大臣官邸にて「日越友好音楽祭 感謝状授与式」に出席し、感謝状を授与された[8]。同じく2013年、日・ベトナム間の文化交流促進へ貢献し、その功績が称えられて外務大臣より感謝状を授与された[8]。同年から、日本とASEAN10カ国の[21]トップアーティストが集う[22]「日・ASEAN音楽祭」の第1回[8]・第2回[21]に続けて参加。杉の呼びかけにより[21]、安倍晋三・秋篠宮同妃両殿下の隣席のもと[22]代表曲を歌唱した。
ほかにも2008年、警視庁「平成20年春の交通功労者等表彰式」にて特別功労賞を受賞[8]。2015年には、警視総監感謝状を授与された[8]。2018年に、夫・杉など著名人と共にオレオレ詐欺予防プロジェクトチーム「ストップ・オレオレ詐欺〜家族の絆作戦〜(SOS47)」を結成[8]。同年、警視庁より「特別防犯支援官」を任命された[8]。
不祥事
2001年5月、雑誌『特冊新鮮組』に「伍代さんが気に入らない杉さんの事務所従業員を次々と辞めさせた」などとする内容が掲載された[23]。これにより名誉を傷つけられたとして、夫の杉と共に竹書房に9,000万円の損害賠償を求め、同社から伍代に400万円の慰謝料支払い命令が下された[23]。
2007年、巨額の詐欺事件「円天事件[24]」を起こした株式会社エル・アンド・ジーによる、顧客獲得のためのコンサートに出演していたことが発覚[25]。同社はターゲットである高齢者層[26]に人気のある伍代らを広告塔に起用し[27]、ホームページに伍代の写真を大きく掲載していた[28]。被害対策弁護団は責任の有無を検討すべく、2度にわたって照会書を送付したが、伍代はいずれも回答しなかった[29][30][注釈 9]。
2014年7月、他のウェブサイトに掲載されている写真を、あたかも自分で撮影したかのように自身のブログに転用していることが発覚した。「ウェブ上にある画像は自由に使っていいものだと思っておりました。実際、思い通りの写真が撮れなかった時などは、書いた記事のイメージに合った写真をわざわざ探して載せていたのですが・・・」と、それまで著作権法を知らなかったと語った。同月14日、謝罪してブログを閉鎖した[32][33]。なお、夫の杉は歌手の権利保護のため改正著作権法の成立に奔走した関係者の一人である[34][35]。
その他
趣味は写真撮影・料理・ネイチャークラフト[8]。
所属のソニー演歌部門は「美人演歌」を売りにしており、もっとも芸歴の長い伍代はその長姉的存在である(ほかに藤あや子・石原詢子が所属)。
2024年現在は卓球同好会「美魔女艶歌卓球部」を主宰している[36]。
夫の杉によれば、伍代は男性的で江戸っ子らしく竹を割ったような性格で、情に厚く親孝行であり、相手に細やかな神経を使うことができるという[37]。
漫画家・小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』に何度か登場した。
V6の三宅健とは『第65回NHK紅白歌合戦』での共演がきっかけで交流が生まれた[38]。
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ディスコグラフィ
シングル
道の駅うずしおで撮影
- 星ひろみ名義(センチュリーレコード)
- 加川有希名義(センチュリーレコード)
- 中川輝美名義(センチュリーレコード)
- 伍代夏子名義
- 「江戸霧子」は、伍代のペンネーム。
デュエット・シングル
- 加川有希名義
- 伍代夏子名義
企画シングル
アルバム
オリジナル・アルバム
ベスト・アルバム
- 全曲集シリーズ
カバー・アルバム
ライブ・アルバム
CD-BOX
映像作品
ライブ
ミュージック・ビデオ
タイアップ曲
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出演
NHK紅白歌合戦出場歴
テレビ番組
- コメディーお江戸でござる(1995年3月 - 2004年3月、NHK総合)準レギュラー
- 霧の橋の決闘!みちのく紅花女と必殺男」(1999年7月6日、ABC系列)
- コメディー道中でござる(2004年4月 - 2005年3月、NHK総合)準レギュラー
- それいけ!民謡うた祭り(2005年 - 2013年2月、NHK総合)司会
- 人生、歌がある(2020年4月 - 2021年2月、BS朝日)不定期出演(2021年4月 - 2024年3月、BS朝日)司会(2024年7月 - BS朝日)不定期出演
イベント
- 日本歌手協会歌謡祭(2017年・2019年、中野サンプラザ)(2021年 - 江戸川区総合文化センター)毎年司会を担当
- 歌の祭典2021春(2021年3月17日、メルパルク東京)司会
ラジオ番組
インターネット動画
- つか金フライデーDOUGA(みさんが!、2011年6月17日 - 9月22日 配信)
CM
- カトキチの冷凍食品
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受賞
- 1988年
- 1989年
- 第22回全日本有線放送大賞:特別賞
- 1990年
- 1991年
- 第10回メガロポリス歌謡祭:演歌メガロポリス賞、年間ロングセラー賞
- 第18回横浜音楽祭:横浜音楽祭賞
- 第17回日本演歌大賞:演歌スター賞
- 第22回日本歌謡大賞:放送音楽賞
- 第24回全日本有線放送大賞:優秀スター賞
- 第24回日本有線大賞:有線音楽優秀賞
- 1992年
- 第13回松尾芸能賞:優秀賞
- 第23回日本歌謡大賞:放送音楽賞
- 第25回全日本有線放送大賞:優秀スター賞
- 1994年
- 第27回全日本有線放送大賞:優秀スター賞
- 1995年
- 第28回全日本有線放送大賞:吉田正賞
- 第37回日本レコード大賞:特別賞
- 2016年
- 2017年
- 第50回日本作詞大賞:大賞
- 2019年
- 第一回日本演歌歌謡大賞:優秀賞
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写真展
- 残像〜アフターイメージ〜(2021年10月1日 - 10月17日、tokyoarts gallery)
- つなぐ〜わたしたちのすべきこと〜(2025年1月8日 - 1月19日、ピクトリコ ショップ&ギャラリー)
著書
- 人生めぐり愛(2015年4月)
脚注
外部リンク
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