トップQs
タイムライン
チャット
視点
出口隆義
北海道出身の元騎手 ウィキペディアから
Remove ads
出口 隆義(でぐち たかよし、1954年2月25日 - )は、北海道出身[1]の元騎手。
経歴
要約
視点
デビュー時
出身地が日高で、馬と接する機会が多く、義理の兄が騎手の川端義雄という関係で競馬社会に入った[1]。
1974年3月に栗東・諏訪佐市厩舎からデビューし、同期には岩元市三・佐々木晶三・西園正都・寺田雅之・稲葉的海・池添兼雄・佐野清広・河内洋・秋山忠一・伊藤稔がいた[1]。
1970年代
1年目の1970年は同2日の阪神第2競走4歳未勝利・ヤマニンチェス(13頭中13着)で初騎乗[2]を果たし、4月7日の阪神第4競走4歳200万下・サントップで初勝利[3]を挙げるなど、同年から2桁の15勝(平地13勝, 障害2勝)[4]をマーク[5]。
2年目の1975年には阪神障害ステークス(秋)・スズカクインで重賞初制覇[6]を挙げ、35勝(平地31勝, 障害4勝)[7]と一気に勝鞍を増やす[5]。
3年目の1976年からは平地の騎乗に専念し、自己最多の40勝[5]を挙げて全国10位にランクイン。同年はスリーヨークで金杯(西)を制して平地重賞初制覇を挙げると、続く中日新聞杯も制して重賞を連勝[8]。
1980年代
1980年からは大沢真厩舎に移籍し、同年と1981年は9勝に終わる[5]。
1982年から1985年には4年連続10勝台の2桁勝利を記録し[5]、その間の1984年には諏訪厩舎に復帰。
1982年にはマイラーズカップで愛知から移籍2戦目のカズシゲに騎乗し、14頭中10番人気ながらサクラシンゲキをクビ差封じると同時にオペックホース・ケイキロク・ハッピープログレスを抑えて勝利[9]。続くサンケイ大阪杯でもカツアールを抑えてサンエイソロンの3着[10]に入ったが、天皇賞(春)と宝塚記念は共に6着と掲示板を外して降板[11]。
1984年にはハシコトブキ産駒のイブキカネールで阪神3歳ステークスに騎乗して4着に入り、1985年のきさらぎ賞では16頭中15番人気で3連勝中のダイゴトツゲキを破る[12]。
1985年には4歳牝馬特別で16頭中13番人気のアルファローズに騎乗してエルプス・タカラスチールに次ぐ4着[13]に入り、1986年の小倉記念では軽量50kgを活かして3着に逃げ粘る[14]。
1987年には松元省一厩舎へ移籍し、北九州記念ではアルファローズでプレジデントシチー・カツラギハイデンを抑えて2着に逃げ粘る[15]。
1988年には3年ぶり最後の2桁となる11勝をマークし[5]、1989年からはフリーとなる。
1989年は4月16日の新潟第7競走4歳以上400万下ではダイユウサクで好スタートから先行し勝利すると、枠連3万1640円という高配当を演出[16]。
1989年7月30日の小倉第3競走3歳新馬をハリケンローズで逃げ切ったのが最後の勝利[17]となり、同年12月17日の中京第12競走4歳以上400万下・トップクローネ(16頭中5着)を最後に引退[18]。
Remove ads
騎手成績
主な騎乗馬
- スズカクイン(1975年阪神障害ステークス (秋))
- スリーヨーク(1976年金杯 (西)・中日新聞杯)
- カズシゲ(1982年マイラーズカップ)
- イブキカネール(1985年きさらぎ賞)
- その他
- キョウワサンダー
- ダイユウサク
脚注
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads