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月刊少年ジャンプ

集英社が発行していた日本の漫画雑誌 ウィキペディアから

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月刊少年ジャンプ』(げっかんしょうねんジャンプ)は、かつて集英社が発行していた日本月刊少年漫画雑誌1969年(昭和44年)に『別冊少年ジャンプ』として創刊、1974年(昭和49年)に『月刊少年ジャンプ』に改称。2007年(平成19年)休刊。通称は『月刊ジャンプ』、略称は『月ジャン』、『MJ』など。

概要 月刊少年ジャンプ, 愛称・略称 ...
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概要

要約
視点

週刊少年ジャンプ (WJ) 』の姉妹月刊誌『別冊少年ジャンプ』として、1969年(昭和44年)12月1970年(昭和45年)1月号を創刊号として創刊。1974年(昭和49年)9月号より『月刊少年ジャンプ』に改称。本宮ひろ志硬派銀次郎』、永井豪けっこう仮面』、ちばあきおキャプテン』、中島徳博バイオレンス特急』、竜崎遼児どぐされ球団』、高橋よしひろ白い戦士ヤマト』などが主力を担った。

本誌の全盛期となった1980年代は、弓月光ボクの婚約者』、みやすのんきやるっきゃ騎士』など、学園コメディ漫画や少年向けのソフトなお色気漫画が多く、平均発行部数のピークは1989年(昭和64年/平成元年)の約140万部だった。

1984年9月号まで、週刊少年ジャンプと共通の海賊のマークを使用していた。翌月の1984年10月号から現行のロゴに移行した。変更になった1984年10月号は新ロゴが表紙を飾った。

1990年代あたりから競合誌である『月刊少年マガジン』(講談社)との差別化から低年齢向けを意識し、メディアミックスおもちゃテレビゲームなどのタイアップを意識した漫画が目立つようになったが、WJ系統の人事から外れていた鳥嶋和彦が立ち上げたホビー誌『Vジャンプ』や、鳥嶋が企画に協力していた新興勢力の『月刊少年ガンガン』(エニックス)と競合状態となった。看板作品だった『冒険王ビィト』が作者の病気の影響で長期休載になった頃から部数の落ち込みが顕著となり、2006年(平成18年)は約42万部と、同じ月刊誌の『月刊少年マガジン』に大きく差を開けられていた。

この販売不振のため、2007年(平成19年)6月6日発売の7月号をもって休刊が決定。内外で不振の原因を作った鳥嶋和彦の手で直接引導を渡される格好になった。同年11月には後継誌にあたる『ジャンプスクエア (SQ)』が創刊されたが[1]、ジャンプスクエアに引き継がれた作品は『CLAYMORE』『テガミバチ』『ロザリオとバンパイア』『ギャグマンガ日和』『Mr.Clice』の5作のみで、それ以外の作品は休刊に伴い、連載を終了した。『Mr.Clice』を除く『SQ』に引き継ぐ作品については『WJ』にて、同年秋頃まで読み切りで出張掲載した。

掲載作品の単行本は『WJ』と同じジャンプ・コミックスレーベルより発刊されていた。

増刊号 『ジャンプオリジナル』(JUMP ORIGINAL) が発行されていた。1983年から1988年にかけて、情報誌『HOBBY's JUMP』が本誌の増刊号として発行されている。また、2005年からは『週刊少年ジャンプ』との合同増刊号として『ゴー!ゴー!ジャンプ』が年1回発行されていた。

基本的に最新号の告知は同じ集英社の『WJ』や『Vジャンプ』などに掲載されていたが、一時期、同じ一ツ橋グループである小学館の『小学六年生』にも告知が掲載されていたことがある。

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掲載作一覧

☆印の付いているものは『ジャンプスクエア』に連載が継続された作品。
◎印のついてるものは2020年現在連載を継続している作品(復活作、他誌連載作も含む)。

あ行

か行

さ行

た行

な行

は行

ま行

や行

ら行

わ行

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映像化作品

手塚治虫の読み切り作品は映像メディア化の展開時に出版社が変更になっているため除いている。

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発行部数

  • 1986年 120万部前後[3]
  • 2004年(2003年9月 - 2004年8月) 446,666部[4]
  • 2005年(2004年9月 - 2005年8月) 417,500部[4]
  • 2006年(2005年9月 - 2006年8月) 376,667部[4]

脚注

関連項目

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