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北ノ國仁
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北ノ國 仁(きたのくに ひとし、1938年1月15日 -没年不明 )は、北海道札幌市西区出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は斎藤 仁(さいとう ひとし)。現役時代の体格は178cm、124kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は東前頭10枚目(1964年7月場所)[1]。
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来歴・人物
17歳の時に立浪部屋の世話人・中ノ島からスカウトを受け、家族らの反対を押し切って角界入り。1956年1月場所で初土俵を踏み、同年5月、「立ノ花」の四股名で序ノ口に付いた[1]。
以来、順調に番付を上げ、1962年5月場所で新十両に昇進。そして、1964年5月場所で新入幕を果たした(その間、「立ノ花」→「立乃花」→「大國」→「北ノ國」と3度改名している)[1]。少なくとも戦後では初の札幌市出身の関取であり、幕内力士としても戦後初の札幌市出身者。
しかし、生来の気の弱さが災いして大成できず、幕内在位は通算8場所に留まった。幕内で勝ち越したのは、新入幕の場所と1966年3月場所の2場所だけである。
現役晩年は幕下3枚目まで陥落し、1968年3月場所を以って、30歳で廃業[1]。同場所では4勝3敗と勝ち越し、最後の意地を見せている。
廃業後は帰郷し、札幌市内で相撲料理の店を経営した[1]。
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主な成績・記録
- 通算成績:401勝360敗24休 勝率.527
- 幕内成績:52勝68敗 勝率.433
- 現役在位:71場所
- 幕内在位:8場所
場所別成績
幕内対戦成績
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改名歴
- 立ノ花(たつのはな、1956年5月場所-1958年11月場所)
- 立乃花(たつのはな、1959年1月場所-同年7月場所)
- 大國 仁(おおくに ひとし、1959年9月場所-1963年7月場所)
- 北ノ國 仁(きたのくに ひとし、1963年9月場所-1968年3月場所)
参考文献
- 『戦後新入幕力士物語 第2巻』(著者:佐竹義惇、発行元:ベースボール・マガジン社、1990年、p669-p673)
脚注
関連項目
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