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厚澤和幸
日本の野球選手 ウィキペディアから
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厚澤 和幸(あつざわ かずゆき、1972年8月11日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市桜区)[1]出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)、コーチ。
2001年までの登録名表記は厚沢 和幸[2]。
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経歴
プロ入り前
浦和市立上大久保中学校(現:さいたま市立上大久保中学校)で野球を始め、大宮工業高校では2年秋からエースとなる[1]。3年夏の県大会は4回戦で敗退した[1]。東都大学野球の国士舘大学に進み、1年春からベンチ入り。4年春に2部でMVPとなり、入替戦では初戦で西口文也と投げ合って勝利し、東都大学野球リーグ1部昇格の原動力となる[1]。東都1部通算9試合に登板、3勝3敗、防御率1.88。また2部通算37試合に登板、10勝8敗、防御率2.85。1994年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズから2位指名を受け入団[1]。
日本ハム時代
左の本格派として期待をされたが、制球力に難があり一軍に定着できなかった。1997年9月25日の対千葉ロッテマリーンズ戦に2番手で登板。堀幸一の打球が左側頭部に直撃し、ピクリとも動かなくなり担架で運ばれた[1]。検査の結果、軽度の脳挫傷および脳内出血と診断された。
2003年限りで未勝利のまま現役を引退。一軍の壁を破れなかったが二軍での活躍は素晴らしく、1997年と1999年に最多勝、2002年にはノーヒットノーランを達成している。イースタン・リーグ通算49勝はリーグ歴代2位、ファーム全体では4位だが3位の田村勲(51勝)、2位の山村達也(62勝)、1位の小野和幸(63勝)は一軍で勝利投手になった経験があるため、一軍未勝利投手の中でファームの通算最多勝記録であり、小野、山村、田村は全員右投手であるため左投手のファーム通算最多勝記録でもある[3]。
現役引退後
2004年に日本ハムの二軍投手コーチ、2007年から2010年まで一軍投手コーチを務めた。プロで未勝利だった投手が一軍の投手コーチを務めるのは非常に稀なケースである。
2011年からはスカウトに転身。
2013年10月26日に日本ハムの一軍投手コーチへの再任が発表された[4]。
2015年10月23日に新設の一軍ベンチコーチへの配置転換が発表された[5][6]。参謀役として栗山英樹監督を支える。
2020年シーズンからは一軍ベンチ兼投手コーチ。2021年シーズンからは一軍投手コーチ[7]。2021年11月4日、退団することが発表された[8]。
2021年12月6日にオリックス・バファローズの投手コーチに就任することが発表された。背番号は75[9]。2023年のWBCでは栗山監督の下で、ブルペン担当コーチを担当した。
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詳細情報
年度別投手成績
記録
- 初登板:1995年5月14日、対福岡ダイエーホークス9回戦(東京ドーム)、3回表無死より2番手として救援登板、3回2/3を無失点
- 初奪三振:同上、3回表に山崎賢一から
- 初先発:1995年7月2日、対千葉ロッテマリーンズ16回戦(東京ドーム)、1回2/3を3失点で敗戦投手
背番号
- 19(1995年 - 2003年)
- 74(2004年 - 2010年)
- 84(2014年 - 2021年)
- 75(2022年 - )
登録名
- 厚沢 和幸(あつざわ かずゆき、1995年 - 2001年)
- 厚澤 和幸(あつざわ かずゆき、2002年 - 2010年、2014年 - )
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脚注
関連項目
外部リンク
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