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増川隆洋
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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増川 隆洋(ますかわ たかひろ、1979年11月8日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。
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来歴
小学校3年生時に津田SCでサッカーを始める。姫路市立飾磨西中学校、姫路市立琴丘高等学校から大阪商業大学へと進学し、卒業時に複数のクラブの入団テストを受けたが、右膝半月板損傷などの故障の影響から不合格。8月に大学OBである中村重和がアビスパ福岡の監督に就任した際に、同チームへ練習生として所属することとなった。なお、播戸竜二は高校時代の同級生、嶋田正吾は大学の同期である。
2003年にアビスパ福岡に正式に加入。3月15日、第1節水戸戦(博多の森球技場)で初出場した[2]。本職のミッドフィールダーだけでなく、長身を活かしてフォワードとしても出場した[3]。
2004年にはセンターバックにコンバートされ[4]、45試合に出場した。5月19日、第13節大宮戦(さいたま市大宮公園サッカー場)で初得点を挙げた[2]。
2005年に名古屋グランパスエイトへ完全移籍。移籍後は怪我も多く本調子ではないシーズンも続いたが、不動のセンターバックとして守備陣に欠かせない存在となった[5]。2009年からは移籍した米山篤志から背番号5を受け継いだ。2010年は浦和から移籍の田中マルクス闘莉王とセンターバックを形成し、チームのリーグ初優勝に貢献。さらにこの年のJリーグアウォーズではDF部門で闘莉王、槙野智章に次ぐ第3位の得票を集めて自身初のJリーグベストイレブンに選出された。
2013年限りで名古屋から戦力外通告を受けて、地元のヴィッセル神戸へ移籍。2014年シーズンは31試合に出場したものの、2015年は17試合の出場にとどまり、シーズンオフに神戸からの契約満了による退団が発表された[6]。
2016年、北海道コンサドーレ札幌に完全移籍[7]。2017年をもって、退団。
2018年2月、京都サンガF.C.に完全移籍に加入すると発表された[1]。2019年11月27日、契約満了により京都を退団した[8]。
2020シーズンでもプロ続行の道を探っていたが、最終的には無所属のまま、2021年2月17日に現役引退を発表した[9]。
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プレイスタイル
191cmの恵まれた体躯と、俊敏で持久力もある豊富な運動量が持ち味。自分の体を投げ出してでも相手のシュートをブロックする[4]。大学時代は主にミッドフィルダーとしてプレイし、2000年には関西学生選抜、関西学生サッカーリーグ2部のベストイレブンに選ばれた。プロ入り当初のポジションも守備的ミッドフィールダーであったが、大学時代から当たり強さを買われてフォワードとしても出場していた[10]。
元々ミッドフィールダーの選手であったゆえに足元のボール捌きも上手く[3]、プロ入り後複数のポジションを経験していることから、松田浩からは「GK以外ならどのポジションでもこなす」などとと高い評価を得ており[4]、増川自身もプレイスタイルを「オールマイティ、ユーティリティ」としている[2]。
空中での競り合いには自信を見せており、垂直飛びは60cmは超えるとしているが、本人曰く、ヘディングより足の方が得意というほど、以前は、ヘディングをさほど得意とはしていなかったようである[10]。福岡時代にはフリーキックも蹴っており、その威力は柳楽智和が「まともに当たったら、マジ死にます」と脱帽したほど[4]。
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所属クラブ
- ユース経歴
- プロ経歴
- 2002年 - 2004年 アビスパ福岡 (2002年は練習生)
- 2005年 - 2013年 名古屋グランパスエイト/名古屋グランパス
- 2014年 - 2015年 ヴィッセル神戸
- 2016年 - 2017年 北海道コンサドーレ札幌
- 2018年 - 2019年 京都サンガF.C.
個人成績
その他の公式戦
- 2004年
- J1・J2入れ替え戦 2試合0得点
- 2011年
- XEROX SUPER CUP 1試合1得点
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タイトル
チーム
- 名古屋グランパス
- J1リーグ(2010年)
- 北海道コンサドーレ札幌
- J2リーグ(2016年)
個人
脚注
- 2007年までは「名古屋グランパスエイト」
出典
関連項目
外部リンク
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