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壬生基修
日本の公卿、政治家 ウィキペディアから
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壬生 基修(みぶ もとおさ[注 1])は、幕末から明治にかけての公卿、政治家。庭田重基の三男で、壬生道吉の養子。室は重子(四辻公績の四女)。
伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 |
この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。 |
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略歴
- 天保6年3月7日(1835年4月4日) - 京都で生まれる。
- 嘉永2年12月(1850年) - 昇殿する。
- 安政4年(1857年) - 修理権大夫となる。
- 文久元年(1861年) - 従四位となる。
- 文久3年(1863年) - 公武合体派の策略によって長州藩に下向。いわゆる七卿の一人となる。後に、太宰府天満宮延寿王院に移される。
- 慶応3年12月 - 王政復古後に帰京。
- 慶応4年1月3日(1868年1月27日) - 参与となる。
- 慶応4年2月20日(1868年3月13日) - 参与を辞する。
- 明治元年(1868年) - 軍防事務局親兵掛。三等陸軍将に補任。
- 明治元年6月(1868年) - 会津戦争に越後口総督仁和寺宮の参謀として出征。平定後に賞典禄200石を賜わる。
- 明治2年1月(1869年) - 右近衛権少将、兵学御用掛
- 明治2年2月8日(1869年3月20日) - 越後府知事となる。
- 明治2年7月27日(1869年9月3日) - 越後府が水原県となり、水原県知事となる。
- 明治2年10月3日(1869年11月6日) - 水原県知事を辞し、東京府知事および東京府貫属となる。
- 明治4年7月23日(1871年9月7日) - 東京府知事を辞する。
- 1875年(明治8年)7月2日 - 元老院議官となる。
- 1877年(明治10年)1月15日 - 元老院議官を辞する。
- 1880年(明治13年) - 勲三等旭日中綬章。
- 1884年(明治17年)7月8日 - 子爵となる。
- 1890年(明治23年)
- 1891年(明治24年)4月23日 - 陞爵し伯爵となり、正二位となる。
- 1892年(明治25年)5月31日 - 貴族院子爵議員を辞する[2]。
- 1895年(明治28年)3月15日 - 平安神宮初代宮司となる。
- 1895年(明治28年)4月17日 - 大日本武徳会副会長となる。
- 1897年(明治30年)7月10日 - 貴族院伯爵議員となる[3]。
- 1904年(明治37年)7月10日 - 貴族院伯爵議員を辞する。
- 1906年(明治39年)3月5日 - 京都にて逝去。墓標は二尊院に所在。
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栄典
親族
登場作品
映画
- 鞍馬八天狗(1961年、ニュー東映) - 演:島田秀雄
テレビドラマ
- NHK大河ドラマ
脚注
参考文献
外部リンク
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