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大久保英男
日本のプロ野球選手 ウィキペディアから
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大久保 英男(おおくぼ ひでお、1932年9月13日 - )は、徳島県鳴門市[1]出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
来歴・人物
鳴門高等学校では、遊撃手、控え投手として甲子園に2回出場。1950年夏の選手権では、投の二本柱である近藤義生(慶大-三菱重工神戸-全鐘紡)、栗橋博(法大)の好投もあって決勝まで進むが、松山東高に敗退[2]。この試合では栗橋をリリーフして甲子園初登板も果たす。1951年の春の選抜でも栗橋を主戦として勝ち進む。決勝ではエース中田昌宏を擁する鳴尾高との接戦を制し初優勝を飾った[3]。同年夏は南四国大会準決勝で高知商に敗退。他のチームメートに三塁手の日野美澄がいる。
1952年に国鉄スワローズへ入団[1]。1953年には一軍に定着し、22試合に遊撃手として先発出場。中村栄、渡辺礼次郎と定位置を争い、1955年にはレギュラーを獲得、1957年までポジションを守った。1958年は31試合の出場に留まり、同年限りで引退した[1]。
詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 41 (1952年)
- 9 (1953年 - 1958年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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