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PENICILLIN
日本のヴィジュアル系ロックバンド ウィキペディアから
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PENICILLIN(ペニシリン)は、日本のヴィジュアル系ロックバンド。
1992年2月14日、千聖が下宿していたアパートに東海大学のバンドサークルで出会ったメンバーが集まり結成[1]。PENICILLINというバンド名は上條淳士の漫画作品『TO-Y』に登場するバンド「ペニシリン・ショック」に由来している[2]。インディーズ時代はPenicillinと表記していた。
メンバー全員が行うソロ活動は、タイ、ロンドン、ラスベガスなど、日本国外でもライブを開催している。
インディーズ期以降、ティアーズ音楽事務所に所属していたが、2002年に個人事務所HUMAN DOLLを設立。事務所設立後のソロ活動は、各メンバー別々の事務所でマネジメントしている。2007年4月のHUMAN DOLL解散後は、DUPLEX DEVELOPMENTS JAPANに所属している。
east west japan(現ワーナーミュージック・ジャパン)、omega A.T.music、HiBOOM、avex trax、日本クラウン、自主レーベルTHAT Records、blowgrowを経て、2019年よりHysteria / ソニー・ミュージックソリューションズからCDを発売している。
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メンバー
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- HAKUEI:ヴォーカル
- 千聖:ギター、リーダー
- O-JIRO:ドラムス、プログラミング
- 1972年9月14日生まれ。O型。千葉県出身。東海大学工学部電子工学科中退。身長175センチ。HAKUEIの漫画「すすめ!とのさま」はO-JIROがモデルとなっており、毎年自身の誕生日ライブは「とのさまGIG」と称される。
- ドラムはYAMAHAを使用。O-JIROモデルのスティック(YCSOJ)が発売されている[5]。コンピュータープログラミングを得意とし、バンド内でも実力を発揮。
- ステージネームはドラえもんから藤子不二雄つながりで、コロ助→オバQ→Q太郎→O-JIROという雰囲気のみで決定した[1]。
- 高校と大学は、A・O・I(SHAZNA)と同級生だった事もありSHAZNAのLIVEにドラマーとして参加したことがある。
- 元Sleep My DearのYASUMICHA'Nとのユニット『808』を結成。
- ヴィジュアル系バンドの全盛期には、他のメンバーが染めて立てた長髪やタイトな革の服など尖った衣装でまとめているのに対し、O-JIROのみベレー帽にチェック柄の服など、他メンバーとは方向性の違う中性的かつポップな衣装でまとめることが多かった。
- ペニシリンのGISHOらとのユニット『STARMAN』を結成。STARMANでの名義はO-J。2004年には六本木クワイルでライブを敢行。ボーカルを務める。
- 『Crack6』のサポートドラムとしても活動中。
旧メンバー
- GISHO:ベース
- 大滝純名義で歌手、俳優、監督デビューを果たす。過去にVシネマ『湘南爆走族 荒くれKNIGHT』、テレビドラマ『救急ハート治療室』などに出演後は、映像クリエイターとして映画作品の出品や映像関連雑誌への連載を開始。自身の監督作品は2004年公開の『Run-ing』『狼少女〜Day After Tomorrow〜』[6]。
- 2005年9月、オメガプロジェクト・ホールディングス代表取締役社長に就任(2010年6月をもって退任)。
- 2007年5月20日、本人の意向により「GISHORIX REVOLUTION NEVER ENDING STORY」をもってPENICILLINを脱退。脱退後も時折、ステージにてメンバーと共演をしている。
- 2013年、HAKUEIの別プロジェクト「ライチ☆光クラブ」に加入し音楽活動を再開、2人の対談も実現している[7]。
- 少年時代転勤族だったため各地を転々とし、今では関西弁と名古屋弁が混ざってしまった。
- 邦楽以外は聴かず、特に80年代のアイドルに関する造詣の深さを自負している。
- HAKUEI同様、UP-BEATのファン。GISHO在籍時最後のライブでは、UP-BEATの「NO SIDE ACTION」が演奏されたが、これはGISHO本人がリクエストしたもの。
- ステージネームは当初、「アリス」か「アリサ」にするつもりだった[1]。
- 資格マニアであり、危険物取扱・教員・銀行簿記・スタントマンなど取得している。
- HAKUEIが参加している、音楽ユニット『ライチ☆光クラブ』にベースとして加入している。
- SHAISUKE:サイドギター
- PENICILLIN脱退後、Deshabillzでベーシストとして活動したのち、BAISERに加入。
- 2001年7月16日死去。
サポートメンバー
- 重盛美晴 - プロデューサー
- NAOMI - キーボード
- HIROKI - ベース(ex-media youth、HYDE BAND、KILLERS)
- GISHO脱退後の2007年9月からライブに参加。アルバム『Supernova』のレコーディングにも参加。
- Ni〜ya - ベース(ナイトメア)
- 2007年のイベント、シングル『RAINBOW』のレコーディング、PVにゲストベーシストとして参加している。
- SHUSE - ベース(La'cryma Christi、SAMURAI DEAD CITY、44MAGNUM、現Acid Black Cherryサポート)
- アルバム『Supernova』のレコーディングに参加。
- CHIYU - ベース
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来歴
要約
視点
1992年2月14日、東海大学のバンドサークルのメンバーにより結成。HAKUEI曰く、結成当初はGASTUNKのようなハードコアパンクをとにかく激しく派手な格好でやりたいと思っていたという[1]。
1994年12月、ファーストフルアルバム『Missing Link』をリリース。レコ発ライヴで初めてソールドアウトとなる[8]。
1995年、2月から7月にかけ目黒鹿鳴館にて「マンスリーライブ」を行い、全公演即日ソールドアウト。9月30日に渋谷公会堂で初のホールワンマンLIVEを行い[9]、チケットは発売日に即完売した。インディーズながらレコード会社3社(徳間ジャパン、日本クラウン、VAP)から同時にCDを発表する[10]。
1996年3月、PIONEER LDCよりシングル『Blue Moon / 天使よ目覚めて』でメジャーデビュー[8]。7月25日・26日、当時としては異例の新人バンドによる日本武道館公演を敢行[10]。武道館公演直後、ソロ活動の開始を発表。千聖のタイでの人気に伴い、アジアでの認知度が高まった。テレビ埼玉(現・テレ玉)で『ペニシリンSHOCK』放送開始。
1997年、音楽番組などメディアへの露出が増え始める。
1998年1月、テレビアニメ『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』のオープニングテーマ『ロマンス』を発売し、90万枚の売上を記録[9]。5月29日〜6月14日『ロックオペラハムレット』に出演。(ハムレット役:HAKUEI、ホレーシオ役:千聖、レアティーズ役:GISHO、うさぎ役:O-JIRO)
2000年、韓国にてライブを行なった。
2007年、5月20日に行なわれたライブをもって、ベースのGISHOが本人の一身上の都合を理由に脱退。残ったメンバーは即答で「3人でやろう」とそれ以外の選択肢はなかったと述べている[11]。
2010年、2012年の結成20周年に向け、自主レーベルTHAT Recordsを設立[12]。
2011年、8月から翌年3月まで毎月『20th COUNTDOWN MONTHLY LIVE』を敢行。全13公演でこれまで発売したアルバムをテーマに毎月セットリストの異なるLIVEを行い全楽曲を演奏した。
2012年2月14日、結成20周年を迎える。4月11日にはファンセレクトによる結成20周年記念ベストアルバム『20th Anniversary Fan Selection Best Album DRAGON HEARTS』を発売[9]。収録曲は『ロマンス - 20th Ver. -』を始め、ベスト盤の為に新たに再録された楽曲が大半を占める。通常盤には書き下ろしの新曲『DRAGON HEARTS』が収録されている。12月5日にメンバーセレクトによるベストアルバム『20th Anniversary Member Selection Best PHOENIX STAR』を発売[9]。新曲『PHOENIX STAR』のほか再録された数曲に脱退したGISHOが参加した。2枚のベストアルバムのリリースを機にblowgrowに移籍。
2013年2月16日、渋谷公会堂で「20th Anniversary LIVE FINAL 〜HAPPY BIRTHDAY & VALENTINE’S DAY LIVE〜」を行う。脱退したGISHOがゲスト出演した[9]。
2015年3月18日、初のカヴァーアルバム『Memories 〜Japanese Masterpiece〜』をリリース。千聖の直接交渉により初回盤のアルバムジャケットを漫画家の上條淳士が手掛けた[2]。
2021年4月6日、イーストウェストジャパン(現ワーナーミュージック・ジャパン)在籍時代の音源の、サブスクリプションサービスを解禁[13]。
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エピソード
ディスコグラフィ
要約
視点
デモテープ
シングル
※最高順位はオリコンチャートによるもの。
パンフレット付きCD
スタジオ・アルバム
※最高順位はオリコンチャートによるもの。
ベスト・アルバム
サブスクリプション
カバー・アルバム
発売中止
映像作品
PVが制作されているが、商品化されていない楽曲
※ファンクラブ限定等では商品化されているものも含む。
その他
音源化されていない未発表楽曲
参加作品
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タイアップ一覧
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ヘビーローテーション/パワープレイ
テレビ
nano
nano(ナノ)は、HAKUEIと千聖による期間限定ユニット。打ち込みを主体としたデジタルサウンドを特徴としている[26]。
概要
- 2006年4月1日、公式ブログにて活動スタートを発表。当初のユニット名は、PENICILLIN nanoであった。
- アメリカテキサス州ダラスでのイベント『A-KON 17』に出演(現地時間2006年6月10日のみ)。東名阪ツアーも行なった。
- リリースしたシングルCDすべてに『CDのみ』と『CD+DVD』の2種類(アルバムは『CD+BOOK』と『CD+DVD』)が存在し、DVDには映像作品『ドグラ・マグラ』が収録されている。
- 2006年8月1日〜8月7日まで7(nano)日間連続でマキシシングルをリリースした。
- 2006年8月18日、渋谷CLUB QUATTROでのライブで活動を終了したが、2010年6月にPENICILLINファンクラブ会員限定で2日間限定復活ライブを行った。
メンバー
サポートメンバー
- NAOMI
- エロパンサー3世
ディスコグラフィ
シングル
- ガラクタのマリア (2006/08/01)
- 桜模様 (2006/08/02)
- shine (2006/08/03)
- daring (2006/08/04)
- I believe (2006/08/05)
- 中国映画祭イメージソング
- シンデレラ (2006/08/06)
- War Dance (2006/08/07)
アルバム
- unborn child's dream (2006/08/18)
- unborn child's dream
- God of grind
- シンデレラ
- ガラクタのマリア
- 冷たい風
- 桜模様
- prison
- I believe(unborn child's mix)
- Quarter Doll
- darling
- ウルトライダー
- War Dance
- Mr.Freeze(unborn child's mix)
- ロマンス
- shine
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過去のレギュラー番組
- PENICILLINの雪崩式ブレーンバスター!!(STAR digio ch.400)
- BLUES ALLEY JAPAN“birth of music”(千聖、Inter FM)
- PENICILLIN FIRE×FIRE(bay fm)
- GISHOの会いたくて大滝(GISHO、Tokyo FM)
- Come on FUNKY Lips! (文化放送)* 火曜日パーソナリティー
- ペニシリンSHOCK (テレビ埼玉(現 テレ玉))
関連項目
脚注
参考文献
外部リンク
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