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大相撲令和7年11月場所
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大相撲令和7年11月場所(おおずもうれいわ7ねん11がつばしょ)は、2025年(令和7年)11月9日から11月23日までの15日間、日本の福岡県福岡市博多区の福岡国際センターで開催された大相撲の本場所である。
番付・星取表
※赤文字は優勝力士の成績。
幕内
十両
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優勝争い
中日、大の里は玉鷲に追い込まれるも、叩き込みで辛くも勝利、中日勝ち越し(幕内では3度目、横綱になってからは初)を決めた。1敗は新関脇・安青錦のみ。2敗で追うのは横綱・豊昇龍、平幕の義ノ富士、藤ノ川、時疾風、錦富士であった。
9日目には、2敗同士の対戦が組まれ、藤ノ川と時疾風の対戦は、時疾風が勝利。豊昇龍と義ノ富士の対戦は、送り投げで豊昇龍が勝利した。大の里と安青錦は共に星を伸ばした。
10日目、大の里はかちあげを義ノ富士に阻まれ、そのまま押し出しで敗れた。これにより全勝力士は不在となった。
豊昇龍と安青錦は白星を伸ばすが、2敗の時疾風は千代翔馬に敗れ後退。1敗の大の里、安青錦を2敗で豊昇龍のみが追う展開に変わった。
11日目、安青錦は義ノ富士の一気の押しに敗北。豊昇龍は王鵬を退けるも、大の里は、隆の勝の右喉輪に体を起こされ、そのまま引き落とされ、連敗した。これにより、2敗で両横綱と安青錦、3敗で義ノ富士、時疾風、錦富士が追う展開に変わった。
12日目、時疾風は熱海富士に土俵際まで追い込まれるも、下手投げで逆転勝利。錦富士は土俵際の突き落としで一山本に敗戦。義ノ富士は琴櫻をおっつけで攻めるも、琴櫻の叩きにより惜しくも敗戦した。
2敗勢、安青錦は欧勝馬を出し投げで攻め立て、浴びせ倒しで勝利。大の里は王鵬のおっつけ、喉輪を跳ね除け、左のおっつけで攻め立て寄り切りで勝利。豊昇龍は高安と対戦、もろ手突きから、張り手交じりの突き返しの末、押し出しで勝利した。
13日目、3敗で残る時疾風は義ノ富士と対戦し、敗戦。優勝争いから脱落した。
豊昇龍は大関・琴櫻と右四つがっぷりとなる相撲の末、寄り切りで勝利。2敗同士の直接対決となった大の里と安青錦の対戦は、安青錦がまわしを掴み、上手投げに出るも大の里の圧力により、土俵を割った。結果、寄り切りで大の里の辛勝。これにより、両横綱が2敗で並び、安青錦が3敗で追う形となった。
14日目、大の里は、前日の安青錦戦で左肩を脱臼した影響もあり、琴櫻に寄り切りで敗北。3敗に後退。さらに千秋楽を休場することとなった。結びの豊昇龍・安青錦戦は、安青錦のおっつけで、前まわしをとれなかった豊昇龍の引きに乗じ、安青錦が一気に押し出しで勝利した。
千秋楽、安青錦は琴櫻に勝利すれば、決定戦進出が確定。琴櫻に上手を許すも、喰いついての左からの内無双で勝利。決定戦、豊昇龍に突っ張りにも上体をあげなかった安青錦がいなしを残し、後ろについての送り投げで豊昇龍を破り、初優勝を決めた。
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備考
- 東関脇の安青錦は、年6場所制となった1958年以降では最速となる、前相撲から所要13場所での関脇昇進となった。ウクライナ出身者としても初めての関脇昇進である[1]。
- 9月場所後の9月29日付で大嶽部屋を18代大嶽(元幕内・玉飛鳥)が継承し[2]、大嶽部屋所属力士は新師匠の下で臨む最初の本場所になる。
- この場所後に、16代白玉(元幕内・琴椿)と特等床山・床辰が停年を迎える予定。
- 場所前の11月1日、日本相撲協会は、元小結で当場所の番付で幕下に陥落していた遠藤の現役引退と年寄「北陣」襲名を発表した[3]。
- 横綱と関脇による優勝決定戦は、令和6年1月場所の照ノ富士対琴ノ若(現・琴櫻)以来のことである。関脇が横綱を破っての優勝は、平成11年7月場所で出島が曙を破って以来のことである。
- 玉鷲は、この場所8日目に幕内通算出場回数が1445回となり、魁皇の記録(1444回)を上回る歴代2位に到達した[4]。また、幕内勝利数は、通算702勝に到達し、貴乃花の701勝を上回る歴代10位となった。
- 横綱大の里はこの場所千秋楽を左肩鎖関節脱臼のため休場した。大の里の休場は初土俵以来初めて[5]。
- 大の里は、先場所14日目終了時点での年間最多勝受賞を確定させたが、今場所も星を伸ばし、最終的には71勝に到達。年間勝利数が70勝を超えるのは、2021年の照ノ富士以来のことである。また、2025年通して、全場所幕内で勝ち越した力士は大の里のみであった。
- 10月21日の高市内閣発足後で初の本場所であり、同内閣で日本史上初の女性内閣総理大臣となった高市早苗が内閣総理大臣杯を授与するために女人禁制を解禁して土俵に上がるのかが注目されたが、この場所の千秋楽(11月23日)は高市が外遊中であったため、高市の代理で内閣総理大臣補佐官の井上貴博が授与した[6][7]。
- 三賞は、殊勲賞を初優勝の安青錦(幕内優勝が条件であった)が、敢闘賞をいずれも平幕の霧島と一山本が受賞(どちらも千秋楽の勝利を条件とした受賞であった)。技能賞を安青錦と義ノ富士が受賞した[8]。
- 新十両の2人については、藤凌駕が13勝2敗で十両優勝を収めた一方、日向丸は5勝10敗と大きく負け越して明暗を分ける形となった。藤凌駕は中日勝ち越しを決めたが、新十両での中日勝ち越しは史上10人目のことである。
- 十両は、12日目終了時点で、1敗で藤凌駕がトップ。2敗はおらず、3敗で大青山、朝乃山、羽出山が追う展開であった。13日目、朝乃山、羽出山は3敗を守る一方、藤凌駕と大青山の直接対決は、投げの打ち合いの末、藤凌駕が勝利した。14日目、藤凌駕は朝乃山に左上手をとられ、寄り切りで敗戦し、2敗に後退。千秋楽、藤凌駕と羽出山の対戦次第では、最大3人の決定戦の可能性があったが、藤凌駕が押し倒しで勝利、藤凌駕の十両優勝が決定した。
- 当場所千秋楽、幕内対十両の取組が2番組まれたが、幕内対十両の取組が同じ日に複数番組まれるのは近年では珍しく、コロナ禍によって休場者が大量発生するという特殊事情があった2022年7月場所千秋楽に幕内対十両が4番組まれて以来のことであった。なお同場所には14日目にも幕内対十両が4番組まれており、同場所の前は2021年9月場所千秋楽(2番)まで遡る。
- 場所後の11月26日に日本相撲協会は臨時理事会と番付編成会議を開き、安青錦の大関昇進を決定した[9]。
- 当場所の引退力士としては、場所前に引退した前述の遠藤のほか、場所後の番付編成会議で最高位幕下以下の4人が発表された。その中には巨漢力士として話題になった朝日山部屋の錦丸(当場所序ノ口、最高位序二段)も含まれていた[10]。
脚注
外部リンク
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