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宮國椋丞
日本のプロ野球選手 ウィキペディアから
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宮國 椋丞(みやぐに りょうすけ、1992年4月17日 - )は、石川県金沢市生まれ、沖縄県糸満市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
「國」の字は旧字体であるため、メディアによっては「宮国」と表記されることもある。
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経歴
要約
視点
プロ入り前
石川県金沢市生まれ[1]。兄の影響で小学1年生で野球を始める。高嶺中学校時代は軟式野球部に所属[2]。
糸満高校では沖縄県1年生大会決勝で興南高校に投げ勝ち、7年ぶりの優勝に貢献。2年春からエースとして活躍し、3年夏には県大会決勝に進むも島袋洋奨を擁する興南高校に敗れた[3]。高校の1学年下には神里和毅がいた[4]。
2010年10月28日のプロ野球ドラフト会議にて読売ジャイアンツから2位指名を受け、契約金6000万円、年俸600万円で入団に合意[5]。背番号は30。糸満高校からは初のプロ野球選手誕生となった[4]。
巨人時代
2011年は、イースタン・リーグで4試合に登板し、19イニングを投げて自責点0だった[6]。シーズン後は宮崎秋季キャンプに参加し、川口和久投手総合コーチから高評価を得た[7]。オフに、30万円増の推定年俸630万円で契約を更改した[8]。

2012年は、春季キャンプから一軍に帯同[9]。3月25日に行われたオークランド・アスレチックスとの親善試合では先発して5回9奪三振1失点の好投を見せ[10]、開幕ローテーション入りを果たし、4月8日の阪神タイガース戦で一軍公式戦初登板初先発。7回を1失点に抑え、巨人では槙原寛己以来29年ぶりとなる10代での初登板初勝利を挙げた[11][12]。さらに5月1日の広島東洋カープ戦ではプロ初完投・初完封勝利を記録。高卒2年目での完封は巨人では桑田真澄以来となった[13]。しかし、5月16日のオリックス・バファローズ戦で右肩に違和感を覚え、翌日に登録抹消。二軍での調整を経て7月15日に一軍復帰。8月5日の横浜DeNAベイスターズ戦で3か月ぶりの勝利を挙げると[14]、レギュラーシーズン終了まで先発ローテーションの一角を担った。最終的に17試合登板(16先発)、6勝2敗、防御率1.86を記録。ポストシーズンは2試合に登板し、中日ドラゴンズとのCSファイナルステージ第3戦に先発して5回3失点[15]。北海道日本ハムファイターズとの日本シリーズでは第4戦に先発し7回3安打無失点[16]。いずれも勝敗はつかなかった。アジアシリーズでは決勝のラミゴ戦に先発。6回1失点で勝利投手となった[17]。オフに、970万円増の推定年俸1600万円で契約を更改した[18]。
2013年は、WBCに出場したエース内海哲也の代役として開幕投手を務めた。20歳での開幕投手は1988年の桑田真澄以来で[19]、7回途中3失点で勝ち星はつかず。7月25日の広島戦で2回途中8失点で降板したほか[20]、シーズン3度の二軍降格を経験した。10月3日に右下腿内側痛が判明し、ポストシーズンの出場が絶望的となった[21]。CSには出場せず、日本シリーズの40人枠からも外れた。レギュラーシーズン17試合に先発し、6勝7敗、防御率4.93。オフに、現状維持の推定年俸1600万円で契約を更改した[22]。
2014年は、オープン戦から不調が続き、開幕一軍から外れる。4月と8月に1度ずついずれも横浜DeNAベイスターズ戦に先発するも2試合とも4回持たずKOされ、二軍に降格した。10月6日、広島戦で先発し7回1失点と好投、前田健太に投げ勝ちチームの最終戦でようやく初白星を挙げた[23]。オフに、野球協約の減額制限(1億円以下は25%)いっぱいとなる400万円減の推定年俸1200万円で契約を更改した[24]。
2015年は、先発から中継ぎに転向し、新人の戸根千明と共に、主に点差の付いた試合やスコット・マシソン、山口鉄也に繋げる役割を果たし中継ぎの一角として活躍。39試合に登板し、3勝1敗1セーブ5ホールド、防御率2.94を記録。オフに、700万円増の推定年俸1900万円で契約を更改した[25]。
2016年は、7月29日に右肩のコンディション不良で登録抹消されたが[26]、中継ぎとして34試合に登板し、4勝1敗6ホールド、防御率2.95を記録。オフに、800万円増の推定年俸2700万円で契約を更改した[27]。
2017年は、開幕を二軍で迎え、4月11日に一軍に昇格。3年ぶりに先発に復帰したものの6月までに0勝7敗(1敗はリリーフでの敗北)、チームでは2005年の桑田真澄以来となる7連敗を喫する[28]など、17試合登板(9先発)で1勝7敗1ホールド、防御率4.74を記録。オフに、300万減の推定年俸2400万円で契約を更改した[28]。
2018年は、中継ぎとして29試合に登板し、0勝0敗4ホールド、防御率1.97を記録。オフに、240万円増の推定年俸2640万円で契約を更改した[29]。
2019年も全て中継ぎで28試合に登板し、0勝2敗3ホールド、防御率3.94を記録。オフに、100万円増の推定年俸2740万円で契約を更改し、背番号を58に変更した[30]。
2020年は、21試合登板(うち1試合先発)、0勝0敗、防御率5.33だった。10月5日の阪神戦に登板するも、右肩痛を訴え、右肩のコンディション不良で翌6日に登録抹消された[31]。その後、リハビリを重ねキャッチボールを再開していたが、11月11日に球団から、翌年の構想外であることを告げられる[32]。巨人からは球団スタッフ入りの打診もあったが、このままでは終わりたくないという思いが強く固辞[33]。12月2日に自由契約公示[34]。
12月7日に12球団合同トライアウトに参加。シート打撃で小山翔平を二飛に抑え、吉川大幾からこの日最速の140km/hの直球で三振を奪うも、堀内汰門には安打を許した[35]。トライアウトの結果をもってのNPB球団からのオファーはなかったが、現役続行を目指して渋谷区内の公園で練習したり[36]、年末年始に故郷の沖縄で兄を相手にブルペン投球したり[37]など、トレーニングに取り組む。2021年1月には元同僚の内海哲也らの自主トレーニングに同行し[37]、同月後半からは内海の元専属トレーナー・保田貴史と2人きりでのトレーニングを継続[38]。2月からは神奈川県内で保田とともに自主キャンプを開始し[38]、視察に訪れた巨人の元投手コーチ・小谷正勝からアドバイスを受けるなどしていた[36][39]。
DeNA時代
宮國が自主トレーニングを継続している中で、2020年末から横浜DeNAベイスターズの球団スカウトは宮國に注目しており、状態が上がってきたとの情報から、2021年3月上旬にDeNAから横須賀の二軍施設に招かれた[40]。メディカルチェックなどで問題がなかったことからDeNAへの入団が決まり、15日に推定年俸840万円で育成選手契約を結んだ。背番号は106[41][42]。
2021年8月30日、支配下選手登録されることが発表され、背番号は65となった[43]。9月7日に出場選手登録され[44]、同日の古巣巨人戦に先発すると、5回2失点に抑え4年ぶりの勝利を挙げた[45][46]。最終的には3試合に先発登板し防御率6.19、1勝1敗という成績だった[47]。12月2日に行われた契約更改交渉では現状維持の推定年俸840万円でサインした[48]。
2022年からDeNAのコーチングアドバイザーに巨人時代の恩師でもある小谷正勝が就任し、キャンプから助言を受ける[49]。開幕から二軍で3試合に登板し好投を続けた後、4月16日に一軍に合流[50]。ロングリリーフとしての起用が続いていたが、先発投手の枠の兼ね合いで6月8日に登録抹消された[51]。最終的に全て中継ぎで17試合の登板で2ホールド、防御率8.71という成績だったが、来季も契約を結ぶ見込みで、11月からは球団が業務提携を結ぶオーストラリアン・ベースボールリーグのキャンベラ・キャバルリーに入江大生とともに派遣される[52]。
DeNA退団後
2024年3月16日、宅建試験への挑戦をサポートするYouTubeチャンネル「こざりえの宅建合格講座」の配信動画にて、生徒役として動画に出演することが発表された[54]。同年10月20日に宅建試験を受け、11月26日にInstagramのストーリーズで合格を報告した[55]。
2024年10月から放送のテレビドラマ『バントマン』の投手指導に携わり、第1話には主人公の相手投手役として出演もした[56]。
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選手としての特徴

ワインドアップから長身を活かして投げるスリークォーターから繰り出すナチュラルに変化する最速150km/hのストレート[57][58][59][60]に加え、スライダー、スローカーブ、フォークボールが持ち球[61]。加えて2012年シーズン中にツーシームを習得した[62][63]。打たせて取る投球スタイル[64]。高校時代から肘のしなりや低めへの制球力に定評があり[65]、牽制、クイック、フィールディング[66]など、マウンドさばきも巧み[67]。首脳陣からの評価も高く[68]、将来のエース候補と期待されていた[69]。
人物
インタビューや囲み取材は苦手とするなどシャイな一面がある[70]。以前は偏食家で野菜や果物はほとんど食べなかったが、球速アップを目指して2012年から食生活の改善に取り組んでいた[71][72]。
詳細情報
年度別投手成績
- 2023年度シーズン終了時
年度別守備成績
- 2023年度シーズン終了時
記録
- 初記録
- 投手記録
- 初登板・初先発・初勝利:2012年4月8日、対阪神タイガース3回戦(阪神甲子園球場)、7回1失点4奪三振
- 初奪三振:同上、1回裏に柴田講平から空振り三振
- 初完投勝利・初完封勝利:2012年5月1日、対広島東洋カープ4回戦(東京ドーム)、3被安打・7奪三振
- 初セーブ:2015年10月3日、対横浜DeNAベイスターズ25回戦(横浜スタジアム)、8回裏一死に5番手で救援登板、完了、1回2/3を無失点
- 打撃記録
- 初安打・初打点:2012年5月1日、対広島東洋カープ4回戦(東京ドーム)、3回裏に篠田純平から中前適時打
背番号
- 30(2011年 - 2019年)
- 58(2020年)
- 106(2021年 - 2021年8月29日)
- 65(2021年8月30日 - 2023年)
登場曲
- 「ハイサイ to di ウチナー -BUZZ UP MIX-」U-DOU & PLATY(2012年 - 2013年)
- 「Training Montage」Vince DiCola(2012年)
- 「島人ぬ宝」かりゆし58(2012年)
- 「Gangnam Style」PSY(2012年)
- 「全開の唄」かりゆし58(2013年)
- 「Time Of Your Life feat. Ne-Yo」Pitbull(2015年)
- 「Invincible Now feat. Nicki Minaj & Shawn Lewis」A-Roma(2016年)
- 「Blue Sky feat. Mary Jane Smith」Feenixpawl & Jason Forte(2017年 - 2018年、2021年 - )
- 「狼煙 ~Ready To Go~」FIRE BALL(2019年 - 2020年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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