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小林皓正

フリーアナウンサー ウィキペディアから

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小林 皓正(こばやし こうせい、1937年[1]8月21日 - )は、福島県会津出身のフリーアナウンサー

概要 こばやし こうせい 小林皓正, 生年月日 ...

来歴

要約
視点

神代高校卒業後の1956年中央大学法学部へ進学し、在学中は読売新聞で昼間アルバイトをしながら夜間通学していた[2]

大学卒業後の1960年日本短波放送へアナウンサーとして入社するが、大学を夜間通学していたため「それなら、昼間は会社へ」と、4か月早くから出社していた[2]。月曜日から土曜日までの午前中は先輩からアナウンスの講習を受け、時には兜町東京証券取引所へ、株の値読みの放送をしに出かけたりしていた[2]。ある時に、競馬放送をしている先輩アナウンサーに「競馬場に来ないか」と声をかけられたのがきっかけで、土曜日は午後、日曜日は朝から競馬場に行くようになった[2]中山では放送席、東京では放送室の外でひたすら実況練習を積み、当時の東京の放送室はトタン屋根の上にプレハブ造りで、ちょっとした風でも吹こうものならガタピシと音をたてた[3]台風が来た日には放送室は危ないというので貴賓室へ避難したこともあった[3]。技術の人たちが目の前に大きなアンペックスオープンリール用の録音機を持って来て「ゴールまで必ずアナウンスをしろよ!」と励まされ、素晴らしい環境の中での勉強であった[4]。その内に少頭数のレースの場内実況をしたりして、度胸もついたように見え、夏の福島からのデビューを先輩が決めてくれた[4]。本番は緊張してあがってしまい、何日か経って、先輩が1枚の葉書を目の前へ持ってきた[4]。「素人より下手だ…」という1行が書いてあり、「もうちょっと練習してみるか?」という先輩の言葉に、ただただ領くだけであった[4]。この頃は正月開催が終わった後は中京単独開催となった時代で[5]、小林は一度だけ出張に同行したことがあり、名物のどて焼きを食べて体を温めながら放送をしていた[6]

主に中央競馬実況中継では、グレートヨルカメイズイの三冠を阻止した菊花賞嶋田功トウコウエルザで三連覇を達成した優駿牝馬[7]ハイセイコータケホープの引退レースでタニノチカラが勝った有馬記念など数々の大レースをアナウンスし、1965年には小坂巖と共に関西での実況放送開始に立ち会う[8]野平祐二騎手最後のインタビューや第22回有馬記念の勝利騎手インタビューではインタビュアー、1978年3月10日にはテンポイントの告別式で司会を務めた[9]。テンポイントに関しては、1975年函館の新馬戦と1977年・東京のオープンを実況している。

菊花賞の時は前日に京都入りし、解説者で日本経済新聞記者の小堀孝二も同行した。2人が厩舎に着いた時、メイズイ鞍上の森安重勝が入口を入ってすぐのところに一人で縁側のような一尺ばかり出ている板に腰掛け、リンゴを丸かじりしていた。声をかける雰囲気ではなかったが、緊張感はなく、なにかシラッとした雰囲気であった。小林は森安と話をした記憶はなく、小堀もほとんど喋らなかった[10]。このシーンが強烈に脳裏に焼きついたせいか、その時にメイズイを見たのかどうかも覚えていなかった[11]。厩舎を出てから、スタンドの中に造られた放送席へ行き[12]、中継の放送時間も午後からであったため、時間に余裕を持って色々なことを思い巡らした[13]。本番では声が出ず、周囲の歓声に完全に負けてしまい、何を言っているのかほとんど聞き取れなかった。ゴール前の部分が、後にクラウンレコードから発売された「ドキュメント 日本ダービー」というレコードに使われていた[14]

入社して1年後に長岡一也が入社し、強力なライバルの出現に強い危機感を覚えた小林は他の人にはないもの、自分だけの武器を持つことを考えた[15]。その結果が血統の勉強に繋がったほか[15]、自らレコード会社を訪ねて、新譜をはじめ様々な情報を収集して、歌謡番組を担当[16]。当時の日本短波放送では音楽番組はまったく不毛の分野で、スポンサードされるということはほとんどなかったが、小林はレコード会社を1社ずつ訪ねては少しずつ情報を収集して回る[16]。当初はなかなか相手にしてもらえなかったが、競馬好きな人物が突破口になった[16]

1984年に退社後は賢プロダクションに所属し、中央競馬ワイド中継・ハイライトの初代キャスターを2002年まで務めた。

1月の中山開催では3歳特別競走のレース名に全て「竹」が入るが、ワイド中継・ハイライトキャスター時代の小林は、「馬が一生懸命走っているのに、“チクショウ”はない」との考えから、黒竹賞(くろちくしょう)や朱竹賞(しゅちくしょう)、寒竹賞(かんちくしょう)を「このレース」「3歳特別戦」などとあえて回りくどい言い方にした[17]

競馬マスコミと携わる傍らで、春日八郎テレサ・テンの専属司会など芸能の分野にも精通。現在は東京都調布市上石原在住で、社会福祉法人「子供の家こすずめ会」理事長を務める傍ら[18][19]、演歌歌手・岬英二の専属司会者。オフトーク通信のアナウンスメント、番組制作の講師も務めた[20]

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出演していた番組

局アナ時代

  • 中央競馬実況中継
  • 勝馬大作戦

フリー転向後

主な実況歴

GI級レース

その他

著作

  • 小林皓正の競馬ワンダーランド(週刊競馬ブック連載を書籍化したもの。2006年2月18・19日号が最終回となった、コスモヒルズ、1992年5月5日発行)ISBN 4877038086
  • サラブレッド血統マップ'94(コスモヒルズ、1994年6月発行)ISBN 4877038175
  • 新・血統マップ 日本&世界のサイヤーライン サラブレッド(コスモヒルズ、2003年4月発行)ISBN 4877038329

脚注

外部リンク

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