トップQs
タイムライン
チャット
視点
新潟市立笹山小学校
新潟県新潟市にある小学校 ウィキペディアから
Remove ads
新潟市立笹山小学校(にいがたしりつ ささやましょうがっこう)は、新潟県新潟市北区笹山に存在した市立小学校[1]。2019年度末(令和元年度末)で閉校となり、2020年(令和2年)4月に新潟市立木崎小学校へ編入統合された[1]。


概要
笹山小学校は1892年(明治25年)に私学を廃して当時の笹山村立として開校した[1][2]。 児童数は一時500人を超えたが、最後となった2019年度(令和元年度)には49人まで減少していた[1][3]。 2012年度(平成24年度)から一部の学年で複式学級が設置される様になり、再編統合が検討されていた[1][4][5]。 2019年度末(令和元年度末)で閉校となり、128年の歴史に幕を下ろした[1]。
閉校にあたり、正門脇に閉校記念碑が建立され、通学区域の全世帯に閉校記念誌と閉校記念品が配布された[6][7]。 また、児童の作詞によりオリジナルソング「思い出いっぱい 128年」が制作され、閉校記念式典や感謝祭(文化祭)で合唱が披露された[8][9][10]。
当初2019年度末(令和元年度末)は後期終業式まで通常登校の予定であったが、新型コロナウイルス感染症の影響による一斉休校のため、「6年生を送る会」の翌日の2月28日が急遽最後の通常登校となった[11][12]。 3月19日には最後の卒業式が6年生と保護者・教職員だけの参加で開かれた[13][14]。 後期終業式は行われなかったが、3月25日には「お別れの会」が全校児童と教職員の参加で開かれ、児童にとって笹山小学校で過ごす最後の日となった[13][3]。
Remove ads
沿革
- 1892年(明治25年)4月 - 笹山村立笹山尋常小学校として開校(北蒲原郡笹山村大字笹山第39番戸を借館)[15][1]。
- 1901年(明治34年)1月 - 笹山村大字笹山字柏尾山に本校舎を新築[16]。
- 1909年(明治42年)4月 - 木崎村立笹山尋常小学校と改称[15]。
- 1912年(明治45年)5月 - 木崎村大字笹山字向山(現在位置)に本校舎新築移転[15]。
- 1925年(大正14年)12月 - 木崎村立木崎尋常高等小学校第2部笹山校舎と改称[15][1]。
- 1941年(昭和16年)4月 - 木崎村立木崎国民学校第2部笹山校舎と改称[15]。
- 1947年(昭和22年)4月 - 木崎村立木崎小学校第2部笹山校舎と改称[15]。
- 1948年(昭和23年)4月 - 木崎村立笹山小学校と改称、独立 校章及び校歌制定[15]。
- 1950年(昭和25年)?月 - 給食室新設[1]。
- 1951年(昭和26年)?月 - 前校舎増改築[1]。
- 1955年(昭和30年)3月 - 豊栄町立笹山小学校と改称[15]。
- 1956年(昭和31年)10月 - グラウンド拡張[1]。
- 1960年(昭和35年)3月 - 校舎増改築[17]。
- 1962年(昭和37年)4月 - 屋内体育館改築[15]。
- 1969年(昭和44年)8月 - プール竣工[15]。
- 1970年(昭和45年)11月 - 豊栄市立笹山小学校と改称[15]。
- 1975年(昭和50年)9月 - グラウンド拡張[1]。
- 1981年(昭和56年)3月 - 前校舎に新校舎完成[15]。
- 1981年(昭和56年)5月 - 創立90周年記念式典 完全給食開始[15]。
- 1991年(平成3年)10月 - 創立100周年記念式典[15]。
- 1992年(平成4年)10月 - 豊栄市指定学習指導研究会(社会科、生活科)[15]。
- 1997年(平成9年)11月 - いきいきスクールプロジェクト実践発表会[15]。
- 2000年(平成12年)3月 - 学校梨園の整備[15]。
- 2001年(平成13年)6月 - 創立110周年記念式典[15]。
- 2002年(平成14年)4月 - 玄関前舗装[1]。
- 2004年(平成16年)2月 - 笹山小ホームページ開設[1]。
- 2005年(平成17年)3月 - 新潟市立笹山小学校と改称[1]。
- 2009年(平成21年)11月 - プール塗装[1]。
- 2011年(平成23年)3月 - 体育館改築[1]。
- 2011年(平成23年)3月 - 特別教室棟改築[1]。
- 2011年(平成23年)10月 - 創立120周年記念式典[15]。
- 2014年(平成26年)11月 - 新潟市地域と学校パートナーシップ事業「地域と学校ウェルカム参観日」[15]。
- 2019年(令和元年)11月 - 閉校記念式典[1]。
- 2020年(令和2年)3月 - 閉校[1]。
Remove ads
通学区域
閉校時の通学区域は笹山・笹山東・横土居の全部と浦ノ入の大半および木崎・内島見の一部[18]。
進学先中学校
交通
通学区域の変遷
開校した1892年(明治25年)4月の通学区域は笹山村の全域(笹山地区・横土居地区・浜浦谷内地区・下大谷内地区)であった[24]。 1906年(明治39年)4月の木崎村の発足により、下大谷内地区の全部と浜浦谷内地区の一部(狐尾)が除かれ、旧島崎村から浦ノ入地区の全部が加えられた[24][25]。 1960年(昭和35年)4月の新潟市への分離編入により、残りの浜浦谷内地区(本村)の大半が除かれた[24][26][27]。 閉校した2020年(令和2年)3月の通学区域は笹山地区・横土居地区・浦ノ入地区であった[18][28][29]。
Remove ads
卒業児童数の推移
開校した1892年度(明治25年度)の卒業児童数は9人であった[24]。 当初は男子児童が多数であったが、1902年度(明治35年度)に女子児童が急増して、以後は男子児童と女子児童が同数程度となった[24][注 7]。 開校から概ね増加傾向が続いて、1960年度(昭和35年度)には第一次ベビーブーム世代により最大の90人に達した[24][注 8]。 以後は閉校まで概ね減少傾向が続いたが、1984年度(昭和59年度)から1994年度(平成6年度)にかけて第二次ベビーブーム世代により緩やかな極大を築いた[24][31][32]。 閉校した2019年度(令和元年度)の卒業児童総数は7人であった[32]。
卒業児童数の明細
Remove ads
ギャラリー
- 正面玄関
- 校舎 側面
- 体育館
- 遊具類
- プール
- 歩道橋からの遠景
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads