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朝ノ海正清
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朝ノ海 正清(あさのうみ まさきよ、1936年11月22日 - 没年不明)は、鹿児島県大島郡宇検村出身で高砂部屋に所属した力士。本名は崎谷 正清(さきや まさきよ)。最高位は東前頭9枚目(1962年11月場所)。現役時代の体格は172cm、94kg。得意手は右四つ、寄り、出し投げなど[1]。
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来歴・人物
16歳の時、上京し、同郷であり思慕していた朝潮がいる高砂部屋に入門。1953年1月場所で初土俵を踏んだ[1]。同期の初土俵には、後の前頭・清ノ森や同・宮柱らがいる。
同場所では番付外と新序でともに好成績を残したため、翌3月場所では序ノ口を飛び越して、序二段に付け出された。
当初より「朝ノ海」を名乗り、以後、廃業までこの四股名で通した。
取的時代より朝潮の付け人を務め、関取になった後も、彼の身の回りの世話をしていた。
体格には恵まれていなかったが、猛稽古でそれを補い、1958年11月場所で新十両に昇進。その後、1960年3月場所で幕下に陥落したが、同年11月場所にて十両に復帰した。
以降は十両の座を守り続け、1962年7月場所で48場所を要して新入幕。入幕時の年齢は、25歳であった[1]。
右四つからの寄りを得意としたが、腕力が強く、それを生かした出し投げや櫓投げもよく見せた。しかし、幕内では体が小さいため苦戦し、上位への進出は成らなかった[1]。
1963年3月場所で十両に陥落してからは幕内に復帰できず、最後は幕下5枚目まで番付を落として、1964年1月場所を以って27歳で廃業[1]。 廃業後は東京都豊島区巣鴨で相撲料理店「奄美」、千葉県木更津市で相撲料理店「朝ノ海」を営んだ[2]。
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エピソード
主な戦績
- 通算成績:317勝319敗7休 勝率.498
- 幕内成績:23勝37敗 勝率.383
- 現役在位:57場所
- 幕内在位:4場所
- 連続出場:636番(序二段以来、1953年3月場所-1963年11月場所)
場所別成績
幕内対戦成績
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改名歴
- 崎谷 正清(さきや まさきよ)1953年1月場所(※番付外、新序)
- 朝ノ海 正清(あさのうみ まさきよ)1953年3月場所 - 1964年1月場所
参考文献
- 『戦後新入幕力士物語 第2巻』(著者:佐竹義惇、ベースボール・マガジン社刊、1990年、p486-p490)
脚注
関連項目
外部リンク
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