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芳野嶺元志
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芳野嶺 元志(よしのみね もとし、1931年7月7日 - 2012年2月17日)は、青森県東津軽郡後潟村(現・同県青森市小橋)出身で友綱部屋(入門から1961年5月場所前までは、高嶋部屋)に所属した大相撲力士。本名は山口 政志(やまぐち まさし)。得意手は右四つ、寄り、押し。身長173cm、体重96kg。自己最高位は、東前頭8枚目(1958年9月場所)。
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来歴・人物
同郷であった当時の高嶋親方(元前頭4・八甲山)と、彼の弟子で同じく同郷の眺望山(後の神錦)を頼って、16歳の時に角界入り。
その切っ掛けとなったのは、1947年6月に岩手県和賀郡黒沢尻町(現在の同県北上市)で行われた巡業であった。
同年11月場所にて初土俵を踏み、1948年5月、「八潟錦」の四股名で序ノ口に付いた。
巧くハズ押しで出る正攻法の取り口で、腕力は無かったが、土俵際で残すのが巧く、突き落としや肩透かしで相手を揺さぶる粘り強さもあった。
1954年1月場所で十両昇進、1955年5月場所で新入幕を果たした。
小兵であった事も災いして幕内上位には上がれなかったものの、幕内中位から下位の地位で、長い間活躍した。
幕内と十両との往復を幾度も繰り返し、入幕は、1964年1月場所で引退するまでに計8度を数えた。
そのため、三賞受賞も、金星・銀星獲得も無い(横綱・大関と当たる地位への進出も、果たせなかった)。
1964年1月場所限りで引退すると、暫くの間は友綱部屋付きの年寄・熊ヶ谷として後進の指導に当たった。
しかし、長男・芳則(よしのり)の友綱部屋への入門を契機に、1978年5月場所後に熊ヶ谷部屋を興した。
1982年9月には、健康を害して部屋経営を断念した元大関・三根山隆司の高嶋部屋(熊ヶ谷部屋から見れば、本家筋に当たる)の力士(後の関脇・高望山など)を引き受けた。
なお、高望山は1990年11月場所限りで現役引退後、年寄・高嶋を襲名。数年後には独立して、同部屋を再興している。
停年を2ヵ月後に控えた1996年5月場所を以て部屋を閉鎖し、所属力士らは同じ立浪・伊勢ヶ濱連合の立浪部屋に移籍した。
長男は「芳玉山(ほうぎょくやま)」の四股名で幕下まで昇進したものの、親子2代にわたっての関取昇進は成らなかった。
日本相撲協会を退職後は、糖尿病から腎臓病を発症し、2010年夏頃からは人工透析を受けていた。
2011年以降は入院して治療を続けていたが、2012年2月17日16時51分、脳梗塞のため入院先の千葉市若葉区内の病院にて亡くなった。80歳没。[1]
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主な戦績
- 通算成績:504勝513敗27休 勝率.496
- 幕内成績:157勝215敗18休 勝率.422
- 現役在位:73場所
- 幕内在位:26場所
- 各段優勝
- 十両優勝:1回(1961年1月場所)
- 幕下優勝:1回(1953年1月場所)
場所別成績
幕内対戦成績
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦敗の数。
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改名歴
- 八潟錦 政志(やがたにしき まさし)1948年5月場所-1951年9月場所
- 芳野山 政志(よしのやま -)1952年1月場所
- 芳野山 政司(- まさし)1952年5月場所
- 芳野嶺 元志(よしのみね もとし)1952年9月場所-1964年1月場所
年寄変遷
- 熊ヶ谷 元志(くまがたに もとし)1964年1月-1981年7月
- 熊ヶ谷 泰輔(- やすすけ)1981年7月-1996年7月(停年退職)
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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