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木戸美摸
日本のプロ野球選手 (1937-2023) ウィキペディアから
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木戸 美摸(きど よしのり、1937年9月18日 - 2023年12月25日)は、兵庫県加古川市出身[1]のプロ野球選手・監督・コーチ。ポジションは投手。
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経歴
兵庫農業短期大学附属高等学校(現:兵庫県立農業高等学校)を経て、1955年に読売ジャイアンツへ入団。1956年に一軍公式戦に初登板して3勝を挙げると、1957年は17勝7敗で新人の藤田元司と並んでチームの勝ち頭になるとともに、勝率.708で最高勝率のタイトルを獲得、防御率も2.36でリーグ6位に入った。1958年は調子を崩して二軍落ちするなど[2]1勝に留まる。1958年調子を持ち直して5勝を挙げるが、以降は勝ち星を挙げることができず、1961年限りで引退。
引退後は投手コーチ(1964年)・二軍投手コーチ(1968年 - 1973年、1980年 - 1985年)・一軍投手コーチ(1974年、1979年)・一軍投手コーチ補佐(1976年 - 1978年)・三軍監督(1990年 - 1991年)・二軍育成担当チーフコーチ(1992年)など巨人の指導者を歴任。その合間を縫って寮長・スカウトなども務め、1998年に退団。スカウト時代には高橋一三を獲得した。
2023年12月25日、虚血性心不全のため神奈川県相模原市の自宅で死去[3]。86歳没。
負傷事件
→詳細は「木戸美摸投手負傷事件」を参照
1956年5月20日に広島県総合グランド野球場で開催された広島東洋カープとのダブルヘッダーで、巨人に3連敗してイライラしていた熱狂的な広島ファンがスタンドからビール瓶などを投げ込み、マウンドからベンチへ引き上げようとしていた木戸の右足にビール瓶が命中し、ひざ下を2針縫う負傷をした。
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選手としての特徴
シンカー・カーブ・スライダー・フォーク・シュート・ナックルと多彩な変化球を全く同じフォームから投げ分けた。さらに球筋も一定しなかったことから、当時の二軍監督であった千葉茂が木戸に秘訣を訪ねたところ、「実は、ボクにも球の行き先がわかりません」との返事であったという[2]。
人物
コルゲンコーワのキャラクター(ケロちゃんコロちゃん)に容姿が似ていたことから、仲間内ではコルゲンコーワと呼ばれていた[2]。
詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
- 最高勝率:1回 (1957年)
背番号
- 56 (1955年 - 1956年)
- 29 (1957年 - 1961年)
- 76 (1964年)
- 82 (1968年 - 1974年)
- 72 (1976年 - 1980年)
- 71 (1981年 - 1985年)
- 119 (1990年 - 1991年)
- 92 (1992年)
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関連情報
著書
- 巨人軍の息子たちへ―ジャイアンツ組織論・指導論(1998年7月刊、TOKYO FM出版)ISBN 4-88745-025-7
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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