トップQs
タイムライン
チャット
視点

杉浦幸

日本の女優、歌手 (1969-) ウィキペディアから

Remove ads

杉浦 幸(すぎうら みゆき、1969年4月5日 - )は、日本女優女流雀士、元アイドル歌手

概要 すぎうら みゆき 杉浦 幸, 別名義 ...

デビュー当時は、株式会社ホリプロに所属していたが1990年に退社。2011年2月をもって株式会社ファイブシーズン・プロダクションを退所し、2011年3月よりフリーで活動している[1]

Remove ads

人物

生い立ち

1969年昭和44年)生まれ。東京都東村山市出身。出生地は東京都板橋区で、2歳の時に東村山市に転居[2]。3歳年上の兄がいる[3]

経歴

中学卒業直後の1985年(昭和60年)4月、友人に誘われて雑誌『Momoco』の素人参加コーナーに応募する[4]。当時の杉浦は美容師志望で芸能界入りへの興味はなく[3]、ほんの軽い気持ちからの応募だったという[4]。しかし、同年の『Momoco』5月号に登場し注目を集め(桃組出席番号1173番)、読者による人気投票で1位を獲得する[3]

その後、Momoco編集部預かりでグラビアの仕事をした後、ホリプロに入社[3]。同年12月、フジテレビ系の大映ドラマ『ヤヌスの鏡[5]で主役に抜擢され芸能界デビューを果たす。

翌年の1986年(昭和61年)1月には、シングル『悲しいな』でアイドル歌手としてもデビュー。同曲はオリコンのウィークリーチャートで4位となり、15万枚を売り上げた。「あ、まなざし」というキャッチコピーのもと、あどけない顔立ち、少し不安そうな切ない表情が同世代を中心に人気を得る。

Momoco』誌上では、西村知美島田奈美とともに「桃組三人娘」と呼ばれ、清純派アイドルとして扱われていた。しかし、本人曰く「デビュー前は不良」という経歴から[6]、清楚なイメージを押しつけられることに苦痛を感じていたという[7]

1990年、当時の担当マネージャーが一方的に起こしたトラブルに巻き込まれ[要出典]、それまで所属していたホリプロを退社して移籍。その後は以前からの趣味であるパチンコに傾倒し造詣を深め、パチンコ番組のMCやパチンコ雑誌への露出を増やしたことで「パチドル(パチンコ・アイドルの略称)」と称された時期もあった。

現在はバラエティー番組の活動を中心としながら、ネットラジオの出演や犬用グッズの通販会社を運営している[1]

Remove ads

エピソード

  • スポーツは苦手だったが、リレーだけは得意だったため、運動会でアンカーを務めたこともある[3]
  • 芸能界入りを決意したのは、中学生時代に自分をふった彼氏に「残念なことをした」と思わせたかったから、とも話している[3]
  • ラジオの収録中に山瀬まみを泣かせたという噂の流布について、杉浦自身は事実無根と否定している[7]。山瀬とはホリプロの同期で同い年だったということもあり、むしろ仲が良かったという[7]
  • アイドル時代は「桃組三人娘」の西村知美島田奈美と仲が良く、時間があると電話や家に遊びに行ったり、互いのライブを観にいくなど親交が深かった[8]
  • ドラマ『このこ誰の子?』に出演していた際、相手役である岡本健一のファンからカミソリやゴキブリの死骸が送られて来たことがあり、酷いときには段ボール2箱分もあった。さらに、イベントでその岡本と一緒に登場したときには「帰れ!」と罵声を浴びせられ、非常に落ち込んだという[要出典]
  • ドラマ『ヤヌスの鏡』で共演した初井言榮には「(杉浦を)いじめないでください」と杉浦のファンから多くの手紙が届いた。劇中で、初井は杉浦演じる主人公を体罰をもって厳しくしつける厳格な祖母の役であった。実際には、杉浦がスタッフに叱られた際など庇ってくれたり、演技のアドバイスをしてくれるなど、「本当に優しい良い人で、大好きだった」と語っている[9]
  • 2003年TBSロンロバハイティーンブギ』において、チャリティー番組『24時間テレビ』の楽屋で待機中、森川美穂と殴り合いになりかけたと明かしている。ADが制止してその場は収まったものの、本番に入ってからも森川とは目も合わせず、淡々と募金の呼びかけをしていたという。
  • 2005年11月2日放送の『愛のエプロン』では80年代アイドル対決の回に初登場。オムレツラザニアを作ったが、オムレツは味がまとまらず、ラザニアに使うパスタは生のままだったことに加え、チーズと間違えてバターをブロックごと大量に使用したため、バターがオーブンの熱で溶けて、油分が底に溜まってしまった。酷い味に仕上がり、ジャッジは最下位。それまでこの番組で多くのジャッジマンを悩ませたインリン・オブ・ジョイトイや初代ワーストエプロン女王である堀越のりを越えるとまで言われた。
  • 2013年2月1日放送の『爆報! THE フライデー』では、『ヤヌスの鏡』で共演したホリプロの先輩でもあった大沢逸美が大嫌いだったと、今だから言える話として大沢本人の前で発言している。その理由として、当時大沢に挨拶を無視されたからだという[10]。現在は和解して共演の機会を持ち、大沢のブログに杉浦がコメントを寄せている[11][12]
  • パチンコにハマった切っ掛けは母親からによるもので、仕事終わりに迎えに来る母親がパチンコ屋で時間をつぶしていたのが、いつの間にか一緒に打つようになっていたと語っている[1]
Remove ads

出演

テレビドラマ

その他のテレビ


  • パチプロ放浪記(CS放送:Bigチャンネル)
  • パーラードンキホーテII年末年始大感謝祭 杉浦幸炎のリベンジ(CS放送:Bigチャンネル)
  • 杉浦幸の必勝!パチ塾(CS放送:MONDO21
  • 玉パラワイド(2006年10月、京都放送) - パーソナリティー「Queen MIYUKI」として
  • Oh!どや顔サミット(2012年1月27日・4月20日、ABC)

映画

ビデオシネマ

  • ストロベリータイムス 杉浦幸の個人教授(1989年、バンダイビュジュアル
  • 危険な恋の物語(1992年、アズバーズ
  • 首都高速トライアル5 FINAL BATTLE(1992年、にっかつビデオ)
  • 味見師竜馬 性のソムリエ(1996年、キングレコード
  • 浪花パチプロ 梁山泊4 全国制覇への幕開け(1997年、ケイエスエス
  • アクセル 〜ブチギレ女の暴走クラッシュ〜(2000年、レジェンド〜ピクチャーズ
  • 水月楼の酌婦たち(2012年、アタックゾーン)

CM 他イメージモデルなど

TEEN'S STATION『リップアミュレット』イメージガール(店頭ポスター、ラジオCM、雑誌広告)
『カフェゼリー』

ディスコグラフィ

要約
視点

シングル

EP
さらに見る #, 発売日 ...
CD
  1. 悲しいな / 4月列車1988年3月25日/10SL-112)
  2. 六本木十時軍 / 午前0時の I NEED YOU(1988年3月25日/10SL-113)
  3. -045- / 花のように(1988年3月25日/10SL-114)

アルバム

オリジナル・アルバム

ミニ・アルバム

ベスト・アルバム

さらに見る タイトル, 発売日 ...

&

lt;br />

参加アルバム

  • パチンコ・ミュージック・フロム・SANKYO SPECIAL〜愛のパチパチロック〜(1996年2月21日/KICA-1173)
    • 「愛のパチパチロック」収録(杉浦幸 with P.P.O.名義)。

タイアップ曲

さらに見る 年, 楽曲 ...
Remove ads

ビジュアル

DVD〜VIDEO

  • First(1986年、VHSβLDワーナーパイオニア)
  • Siglo de oro 金色の時刻(とき)(1989年、VHS、東宝)
  • アイドル黄金伝説(2001年、VHS、ブロードウェイ)
  • WILLS 〜生まれたままのワタシ〜(2002年、VHS〜DVD、竹書房)
  • ヌード〜メイキング〜ビデオ(2002年、DVD)
  • Mai lani(2003年、DVD、竹書房)ISBN 978-4812412602
  • My Sweet Lover(2010年、日本メディアサプライ)
  • BONHEUR(2012年6月、キングダム
  • 華〜HANA〜(2012年8月、キングダム)
  • FLASH DVD 杉浦幸 妖艶NUDE in 台湾(2012年8月、光文社FLASHスペシャル’12年盛夏号特別付録
  • 密〜MITSU〜(2012年10月、キングダム)
  • 雫〜SHIZUKU〜(2012年12月、キングダム)
  • 輝きの瞬間 清水清太郎40周年記念フォトDVDシリーズ(2013年11月、ポニーキャニオン)

写真集

Remove ads

脚注

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads