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李明起
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李 明起(イ・ミョンギ、1987年12月26日 - )は、大韓民国・仁川広域市出身の元プロ野球選手(外野手)。 本貫は青海李氏[1]。
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経歴
SK時代
2006年2次ドラフトで指名を受けて契約金4億5千万ウォンの条件SKワイバーンズに入団した。
2008年に初めて一軍に出場した。しかし頻繁な負傷と不足した守備力に対する改善がなされず、結局レギュラーをつかむことはできなかった。
2011年に公益勤務要員として入隊した。翌年に除隊されチームに復帰した。
除隊後の2013年は26試合に出場し、100打数34安打、打率0.340、出塁率0.391、長打率0.440で良い活躍を見せていたがシーズン途中で負傷し長期離脱し二軍に降りた。その後一軍に上がってくることはできず、そのまま2013シーズンを終えた。
2014年はリハビリを繰り返した末に2014年6月からSKの主戦外野手に昇格。その年には7月7日から9月14日まで朴栽弘とチームトップタイになる28試合連続安打を記録した。
2015年になると李明起は自身の弱点である守備を克服していった。2015年には鄭義潤、アンドリュー・ブラウンとともに打線の中核をなすようになり、チームで唯一規定打席3割を越える選手になった。
2016年は開幕戦で4打数3安打の高打撃を見せたがその後は打撃が低迷し、打率1割台に留まるなど極度のスランプに陥り、出場機会をつかめなかった。しかし試合に出ている間は俊足を生かして1番打者として主に出場した[2]。
起亜時代
2017年4月、金珉植、崔炡敏、盧官賢とともに盧壽匡、尹晶右、李晟宇、李弘救との4対4トレードで起亜タイガースへ移籍した[3]。
起亜では主に1番打者として活動し、2017年の優勝に大きく貢献した。
NC時代
2019年7月、李遇成とのトレードでNCダイノスへ移籍し、主力として活躍を続けた。 2021年7月14日にチームの規制を破って同僚の朴錫珉、権熙東、朴珉宇及び部外者2人の計6人で密会を行い、さらに球団に虚偽報告をした上に朴珉宇以外の5人がCOVID-19の陽性反応者となっていたことが発覚[4]、7月16日に他のNCの選手4名と同じくKBOより72試合の出場停止処分が科された[5]。
ハンファ時代
2023年2月14日、FAでハンファ・イーグルスに1+1年1億ウォンの条件で移籍した[6]。これは「サインアンドトレード」方式で、いったん前所属球団とFA契約してからトレードで移籍という形式である[7][8]。このトレードでは李財鏞とともにハンファに移籍し、NCは趙賢振と2024年ドラフト7巡目指名権(全体61番目)を得た[9]。2024年シーズン終了後の11月30日、自由契約選手となり現役を引退した。
現役引退後
2025年からSSGランダースのコーチに就任する[10]。
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詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 49 (2006年)
- 58 (2007年 - 2008年)
- 35 (2009年 - 2010年途中)
- 40 (2010年途中 - 同年終了)
- 17 (2013年 - 2017年途中)
- 27 (2017年途中 - 2018年)
- 61 (2019年 - 同年途中)
- 33 (2019年途中 - 2022年)
- 14 (2023年 - 2024年)
- 77 (2025年 - )
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脚注
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