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湊谷武雄
日本のプロ野球選手 (1937-) ウィキペディアから
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湊谷 武雄(みなとや たけお、1937年4月9日 - )は福井県出身の元プロ野球選手、横浜ベイスターズ代表取締役(1997 - 2003年)。選手時代の姓は松井。
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来歴・人物
福井県立若狭高等学校では1955年、エースとして甲子園に春夏連続出場を果たす。春の選抜では準々決勝に進むが、県尼崎高の今津光男投手に完封を喫する[1]。同年の春季北信越地区大会県予選決勝で、武生高を相手にノーヒットノーランを達成。北信越地区大会でも決勝で大町南高を降し優勝した。同年夏の選手権では、2回戦で立命館高の富永格郎投手に抑えられ敗退[2]。カーブ、ドロップ、シュートが武器だった。高校同期には、後にプロで同僚となる遊撃手の浜中祥和がいた。
1956年に投手として大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に入団。1957年には先発陣の一角に喰い込み、1完封を含む4勝9敗、防御率3.63を記録した。その後は肩を壊し低迷、1960年より外野手に転向する。同年の日本シリーズでは、第4戦で偵察メンバー(左翼手)に起用される。1962年限りで引退。
引退後はスカウトに転進。遠藤一彦などの獲得に携わった。スカウト部長を経て、球団代表に就任。1998年には球団代表として、横浜ベイスターズのリーグ優勝、日本シリーズ制覇に貢献した。
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詳細情報
年度別投手成績
年度別打撃成績
背番号
- 38(1956年 - 1961年)
- 69(1962年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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