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氷室京介
日本のシンガーソングライター (1960-) ウィキペディアから
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氷室 京介(ひむろ きょうすけ、1960年〈昭和35年〉10月7日[3] - )は、日本の歌手、シンガーソングライター。
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群馬県高崎市倉賀野町出身。BeatNix所属。公式ファンクラブは「KING SWING」。
1982年、氷室 狂介名義[注釈 1]でロックバンドBOØWYのヴォーカリストとして、アルバム『MORAL』でデビュー。1988年4月5日、およそ7年の活動期間を以てBOØWYは解散する[4]。1988年、シングル『ANGEL』でソロデビュー。同年オリコン年間順位8位となった。
1994年以降、国外での音楽制作が増え、1997年に家族と共にロサンゼルスに移住した。ロサンゼルスという環境で、本場の名だたるエンジニア、ミュージシャン等との作業がしやすくなったという[要出典]。近年はセルフプロデュースが主であった[いつ?]。
なお、アーティスト英語表記は「KYOSUKE HIMURO」だが、『ザ・ベストテン』(TBS)のランキングボードや『歌のトップテン』(日本テレビ)の順位発表画面においては1989年頃、当時のシングルのジャケットのアーティスト表記に準じて「HIMURO KYOSUKE」と姓名が逆になっている[要出典]。
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経歴
要約
視点
アマチュア時代
高校二年生の時に音楽を始める[5]。上京後、バンド活動をしながらヒモのような生活をしていたが[5]、このままではマズイと感じ、「夢を叶えるための仮の姿」だと自分に言い聞かせ、英語教材を販売する会社に就職[5]。40万円のセットがよく売れ、全国売り上げ8位となり月給150万円となる[5]。しかし上司に過度に将来性を期待されることが重荷で、このままでは夢を諦めないといけなくなると考え、上司に「音楽で夢をつかみたいんです」と事情を話し、円満退社する[5]。
BOØWY時代
- 1980年
- 織田哲郎の後任ボーカリストとしてスピニッヂ・パワーでレコードデビューを果たしたが[6]、思い通りにならないことが多く脱退[7]。群馬へ帰る決意をした頃、当時の交際女性から貰ったチケットで、思い出のつもりで7月5日、日比谷野外音楽堂でのRCサクセションのライブを観る。それが新たなモチベーションを与えたといわれている。当時18歳の布袋寅泰[注釈 2]を電話で六本木の「アマンド」に呼び出し、バンド結成の話を持ちかけた。そして、彼の協力のもと曲を作り、新たなバンド作りに取り掛かる。2人が再会した際に、布袋は、「群馬時代は硬派な印象だった氷室の風貌がニューウェーブ風になっていることに驚いた」というエピソードを残している。9月、松井恒松が加入。その後、深沢和明、諸星アツシが加入。
- 1981年
- 1982年
- バンド名をBOØWYに改名。3月21日、アルバム『MORAL』でBOØWYのボーカリストとして再レコードデビュー。
- 1984年
- 12月「狂介」から「京介」に改名[注釈 3]。
- 1987年
- 12月24日 - 既に絶頂期の人気を獲得していたBOØWYは、解散するという噂とともにツアーを続けていた。ファイナルの渋谷公会堂のアンコールの時に、氷室がバンドの終焉を宣言した。
- 1988年
ソロ始動
- 1988年
- 7月21日 解散公演から3ヶ月後の7月21日、シングル「ANGEL」でソロデビュー。その後の7月25日に、真駒内陸上競技場で「KING OF ROCK SHOW "DON'T KNOCK THE ROCK"」ツアーも開始[注釈 4]。
- 9月1日 ファーストソロアルバム『Flowers for Algernon』リリース。
- 10月1日 高松市総合体育館で「KING OF ROCK SHOW "FLOWERS for ALGERNON"」ツアーを開始。後に、このライヴ・ツアーの1989年1月3〜4日、東京ドーム公演と「KING OF ROCK SHOW "DON'T KNOCK THE ROCK"」ツアー公演の模様は1989年6月28日にビデオ『KING OF ROCK SHOW of 88'S-89'S TURNING PROCESS』としてリリース。
- 10月7日 セカンド・シングル「DEAR ALGERNON」リリース。
- 10月27日 STINGの東京ドーム来日コンサートに出演する。
- 12月12日 - 15日 KING SWING[注釈 5]香港ツアー(香港QUEEN ELIZABETH STADIUMにてライブコンサート)
- 12月31日 ファーストソロアルバム『Flowers for Algernon』で第30回日本レコード大賞・アルバム大賞、シングル「ANGEL」で金賞をそれぞれ受賞。同番組にも出演。
- 1989年(平成元年)
- 7月21日 Charlie Sexton(ギターリスト)の東京公演にゲスト出演。
- 7月26日 サード・シングル「SUMMER GAME」リリース。
- 8月6日「HIROSHIMA '89 LIVE」に出演(sp≒eed名義でのシークレット出演)。
- 9月6日 4作目シングル「MISTY〜微妙に〜」リリース。
- 9月27日 セカンド・アルバム『NEO FASCIO』リリース。
- 10月6日 群馬音楽センターで「"NEO FASCIO"TOUR」を開始。
- 1990年(平成2年)
- 2月26日 福岡国際センターで「"NEO FASCIO ENCORE" TOUR ARENA '90」を開始。後に、このライヴ・ツアーの1990年4月3日、東京ドーム(最終日)公演の模様は、1990年7月27日にビデオ『NEO FASCIO TURNING POINT』としてリリース。
- 4月13日 - 18日 KING SWING ハワイツアーを敢行。
- 5月16日 5作目シングル「JEALOUSYを眠らせて」リリース。
- 7月7日「GOLDEN AGE OF R&R(日比谷野外音楽堂)」に出演(sp≒eed名義でのシークレット出演[注釈 6])。
- 8月6日「JT SUPER SOUND '90(真駒内陸上競技場)」に出演(sp≒eed名義でのシークレット出演[注釈 7])。このイベントには布袋寅泰も出演していた。
- 8月12日「ロックンロールオリンピック(スポーツランドSUGO)」に出演(sp≒eed名義でのシークレット出演)。
- 10月27日 ARBのラストコンサート(代々木体育館)にゲスト出演(「TOKYO CITYは風だらけ」を競演する)。
- 12月24日 ビデオ『Birth of Lovers』リリース。
- 1991年(平成3年)
- 1992年(平成4年)
- 2月26日 7作目シングル「URBAN DANCE」リリース。
- 4月25日 リミックス・アルバム『masterpiece #12』リリース。
- 11月7日 8作目シングル「GOOD LUCK MY LOVE」リリース。
- 12月7日 9作目シングル「KISS ME」リリース。自身初のミリオンセラーを達成する。
- 1993年(平成5年)
- 1月7日 4作目アルバム『Memories Of Blue』リリース。累計130万枚を超える大ヒットとなる[注釈 8]。
- 1月11日 横浜アリーナで「TOUR 1993 "L'EGOISTE"」を開始。後に、このライヴ・ツアーの1993年5月12日、国立代々木競技場第一体育館(最終日)公演の模様は、2009年2月25日にDVD『L'EGOISTE』としてリリース。
- 4月28日 ビデオ『CAPTURED CLIPS』リリース。
- 1994年(平成6年)
- 8月29日 10作目シングル「VIRGIN BEAT」リリース。
- 9月26日 5作目アルバム『SHAKE THE FAKE』リリース。
- 10月12日 横浜アリーナで「SHAKE THE FAKE」ツアーを開始。後に、このライヴ・ツアーの1994年12月24〜25日、東京ドーム公演の模様は、1995年12月10日にビデオ『LIVE AT THE TOKYO DOME SHAKE THE FAKE TOUR』としてリリース。
- この頃から自身の希望によりアメリカでの活動が増える。
渡米後
- 1997年(平成9年)
- この年に家族とロサンゼルスに移住[注釈 10]。
- 1月15日 14作目シングル「WALTZ」リリース。
- 5月14日 ビデオ『MISSING PIECE』リリース。
- 6月4日 15作目シングル「NATIVE STRANGER」リリース。
- 10月29日 16作目シングル「HEAT」リリース。
- 12月10日 7作目アルバム『I・DE・A』リリース。
- 1998年(平成10年)
- 6月24日 ベスト・アルバム『Collective SOULS 〜THE BEST OF BEST〜』リリース。
- 7月15日 横浜アリーナで「TOUR "COLLECTIVE SOULS"1998 One Night Stand」を開始。後に、このライヴ・ツアーの1998年9月19〜20日、横浜スタジアム公演の模様は、1998年12月9日にCDライヴ・アルバム『The One Night Stands 〜TOUR "COLLECTIVE SOULS" 1998〜』としてリリースされ、また、12月24日には同じ内容のライヴを収録したビデオ『The One Night Stands 〜TOUR "COLLECTIVE SOULS" 1998〜』をリリース。
- 1999年(平成11年)
- 8月18日 17作目シングル「SLEEPLESS NIGHT 〜眠れない夜のために〜」リリース。
- 10月27日 18作目シングル「ダイヤモンド・ダスト」リリース。
- 12月24日 ビデオ『100152』リリース。
- 2000年(平成12年)
- 1月15日 19作目シングル「永遠 〜Eternity〜」リリース。
- 2月23日 8作目アルバム『MELLOW』リリース。
- 6月28日 20作目シングル「炎の化石」リリース。同時に、過去にポリドールでリリースされた8cmCDシングル6枚がマキシ・シングルとして再発売された。
- 10月18日 9作目アルバム『beat haze odyssey』とDVD(CD-ROM)『Digital BeatNix Tower』を同時にリリース。また、結城市民文化センターで「KYOSUKE HIMURO TOUR 2000"BEAT HAZE ODYSSEY"」を開始。
- 12月31日 「KYOSUKE HIMURO TOUR 2000"BEAT HAZE ODYSSEY"」のファイナル公演として国立代々木競技場第二体育館にて自身初となるカウントダウンライブ(公式ファンクラブKING SWING会員限定)を開催。
- 2001年(平成13年)
- 1月1日 21作目シングル「Girls Be Glamorous」リリース。
- 9月27日 ベスト・アルバム『Ballad 〜La Pluie』リリース。
- 2002年(平成14年)
- ポリドールから東芝EMIへ復帰。
- 2003年(平成15年)
- ソロ15周年に当たるこの年、ベスト・アルバム『Case of HIMURO』が3月19日にリリース。その後の2003年7月20日、さいたまスーパーアリーナで「15th Anniversary Special LIVE "Case of HIMURO"」と称したライブを行った[注釈 11]。そのライヴの模様は、2003年11月25日にDVD『Case of HIMURO 15th Anniversary Special LIVE』としてリリース。
- 7月21日 22作目シングル「Claudia」リリース。同時に過去に東芝EMIでリリースされた8枚のCDアルバムが再発売された。
- 8月20日 10作目アルバム『Follow the wind』リリース。
- 8月29日 市原市市民会館で「KYOSUKE HIMURO TOUR 2003 "HIGHER THAN HEAVEN"」を開始。後に、このライヴ・ツアーの2003年11月23日、国立代々木競技場第一体育館(最終日)公演の模様は、2004年8月18日にDVD『HIGHER THAN HEAVEN〜AT YOYOGI NATIONAL STADIUM』としてリリース[注釈 12]。
- 2004年(平成16年)
- 8月22日 東京ドームでしばらく封印していたBOØWY時代の曲を自らのソロ曲と共に演奏する「KYOSUKE HIMURO "21st Century Boøwys VS HIMURO"」を行い、5万5千人のファンが全国から集まった。そのライヴの模様は、2004年12月24日にDVD『21st Century Boøwys Vs Himuro』としてリリースされ、また、同じ内容のライヴを収録したCDライヴ・アルバム『21st Century Boøwys Vs Himuro』も同時にリリース[注釈 13]。
- 9月8日 23作目シングル「Wild Romance」リリース。
- 9月19日 羽生市産業文化会館で「KYOSUKE HIMURO TOUR 2004 "SOUL STANDING BY〜"」を開始。後に、このライヴ・ツアーの2004年12月25日、国立代々木競技場第一体育館(最終日)公演と、2004年11月8日、ZEPP TOKYO公演(Zepp Tokyo ver.)の模様は、2005年12月24日にDVD『SOUL STANDING BY〜』として(氷室の公式サイト内の限定販売のみで)リリース。
- NBAのシャキール・オニールが所有していたビバリーヒルズにある豪邸を約7億円で購入し、11月7日付の米ロサンゼルス・タイムズ紙などで取り上げられた。
- 2005年(平成17年)
- 9月14日 スクウェア・エニックスより発売された映像作品『ファイナルファンタジーVII アドベントチルドレン』のテーマ曲としてアルバム『NEO FASCIO』収録の楽曲「CALLING」が使用された[注釈 14]。
- 12月31日〜2006年1月1日に、幕張メッセ国際展示場・9-11ホールで「KYOSUKE HIMURO COUNTDOWN LIVE 〜CROSSOVER 05-06〜」と題したカウントダウン・ライヴを行う。そのライヴの模様は、2009年4月29日にDVD『KYOSUKE HIMURO COUNTDOWN LIVE CROSSOVER 05-06 1st STAGE/2nd STAGE』としてリリース。
- 2006年(平成18年)
- 2月8日 24作目シングル「EASY LOVE」リリース。
- 3月31日 DVD『Kyosuke Himuro/Captured Clips 1988-2006』リリース。
- 8月2日 GLAYとのコラボレーション・シングル「ANSWER」リリース。
- 8月5日 - 6日 GLAYと「KYOSUKE HIMURO+GLAY 2006 at AJINOMOTO-STADIUM "SWING ADDICTION"」を味の素スタジアムで開催した[注釈 15]。
- 10月4日 25作目シングル「SWEET REVOLUTION」リリース。
- 11月27日 GLAYのツアーを京都会館第一ホールで観覧、アンコールで飛び入り出演する。
- 12月20日 11作目アルバム『IN THE MOOD』リリース。
- 2007年(平成19年)
- 2月24日 市原市市民会館で「KYOSUKE HIMURO TOUR 2007 "IN THE MOOD"」を開始。後に、そのライヴ・ツアーの2007年7月8日、さいたまスーパーアリーナ(最終日)公演の模様は、2008年6月11日にDVD『KYOSUKE HIMURO TOUR 2007"IN THE MOOD"』としてリリース。
- 7月16日 ap bank fes '07にシークレットゲストとして出演、会場を驚かせた(ファンにも当然知らされていなかった[注釈 16])。
- 2008年(平成20年)
- 6月11日 ベスト・アルバム『20th Anniversary ALL SINGLES COMPLETE BEST JUST MOVIN' ON 〜ALL THE-S-HIT〜』リリース。同時に、2003年発売のアルバム『Follow the wind』をノンコピーコントロール仕様で再リリース。
- 7月20日、さいたまスーパーアリーナで「KYOSUKE HIMURO 20th anniversary TOUR 2008 JUST MOVIN’ ON -MORAL〜PRESENT-」を開始。後に、このライヴ・ツアーの2008年9月14日、横浜アリーナ公演の模様は、2009年1月21日にDVD『20th ANNIVERSARY TOUR 2008 JUST MOVIN' ON -MORAL〜PRESENT-』としてリリースされ、また、2008年9月2日、日本武道館公演の模様を収録したDVD『20th Anniversary TOUR 2008 JUST MOVIN' ON -MORAL〜PRESENT- Special Live at the BUDOKAN』を2009年7月21日に(氷室の公式サイト内の限定販売のみで)リリース。
- 9月21日 KYOSUKE HIMURO 20th anniversary TOURの札幌公演にシークレットゲストとしてGLAYが飛び入り参加。「ANSWER」と「SUMMER GAME」で再度共演する。
- 2009年(平成21年)
- 9月19日 EIKICHI YAZAWA ROCK'N'ROLL IN TOKYO DOMEへシークレットゲストとして参加。
- 9月27日 LIVE for LOVE We support WaterAid 横浜スタジアム
- 2010年(平成22年)
- 7月14日 26作目シングル「BANG THE BEAT」リリース。
- 9月4日 市原市市民会館にてSpecial Preview Live for KS PREMIUM MEMBERSと題した会員限定ライブ開催。
- 9月8日 12作目アルバム「"B"ORDERLESS」リリース。
- 9月9日 日本武道館にてTOUR2010-11 BORDERLESS "50x50 ROCK'N'ROLL SUICIDE"を開始。
- 12月31日 日本武道館にて自身三度目となるカウントダウンライブ開催。
- 2011年(平成23年)
- 2月12日 横浜アリーナにてTOUR2010-11 BORDERLESS "50x50 ROCK'N'ROLL SUICIDE"終了。
- 6月11日(土)、6月12日(日)に東京ドームで東日本大震災の復興支援を目的とするチャリティ公演「KYOSUKE HIMURO GIG at TOKYO DOME“We Are Down But Never Give Up!!”」が行われた。
- EMIミュージック・ジャパンからワーナーミュージック・ジャパンに移籍。
- 12月17日 幕張メッセイベントホールにてKYOSUKE HIMURO SPECIAL GIGS THE BORDERLESS FROM BOØWY TO HIMURO"を開始。
- 12月31日 日本武道館にてKYOSUKE HIMURO SPECIAL GIGS THE BORDERLESS FROM BOØWY TO HIMURO"終了。
- 2012年(平成24年)
- 3月14日 27作目シングル「IF YOU WANT」リリース。
- 8月7日 ニューユニット:GOSPELS OF JUDAS(ゴスペルズ オブ ジュダ)※HIMURO.comにて結成発表。8月7日、HIMURO.com内に、ダウンロードコンテンツ【DiGiTRONiX】を開設。
- 9月26日 28作目シングル「WARRIORS」リリース。
- 11月28日 デジタル・シングル「Bloody Moon」リリース。by GOSPELS OF JUDAS [Digital Contents Only]
- 12月30日、31日 日本武道館にて「CROSSOVER 12-13」31日は4度目のカウントダウンライブ終了。
- 2013年(平成25年)
- ソロ25周年
- 3月11日 群馬にある実家など3棟が全半焼する事件が発生。
- 5月1日 29作目シングル「NORTH OF EDEN」リリース。初回限定盤は「WARRIORS」のライブ映像と、三池崇史監督との対談映像を収録したDVD付の特別使用。
- 8月21日 ベスト・アルバム「25th Anniversary BEST ALBUM "GREATEST ANTHOLOGY"」リリース。初回限定盤には25年間のライブ映像が入ったDVDが付属
- 2014年(平成26年)
- 1月6日 全国でオンエアが開始されるフォルクスワーゲン「新型Golf Variant」の新TV-CM「Trek+ing」篇に楽曲提供とともに氷室本人がCMイメージキャラクターとして登場。
- 7月13日 山口・周南市文化会館で行われたライブ中、同月19・20日の横浜スタジアム2日間公演をもって「氷室京介を卒業する」と電撃発表。のちの「The sun also rises」では歌詞と自身が重なったのか、涙ぐんで歌った。またこの発表の件はスタッフはじめ周囲は「知らなかった」と口をそろえ、同日深夜、公式サイトにて驚かせたことに対する謝罪と翌2015年のファイナルコンサートをもって、氷室京介としてのライブ活動を休止することが掲載された(結局ファイナルコンサートは後述の翌々2016年春の横浜スタジアムのリベンジライブに一旦決定したが、のちに4大ドームツアーに変更)。ただし、氷室は7月19日のライブにて寝耳に水報道を否定している[注釈 17]。
- 7月16日 30作目シングル「ONE LIFE」リリース。
- 7月19日 アンコールで卒業の理由は耳の不調だと明かす。7年前からある一定のトーンが聞こえづらくなり、利き耳である左耳に頼ってきたが、その左耳でさえもダメージを受け、日本語訳をすると音痴となるトーン・デフを患ったのだという。
- 7月20日 この日のリハーサルで先日の雨で滑って転び肋骨を折る大怪我を負う。公演では雷の影響で一時中断され、再開時に骨折を公表。これらのハプニングに見舞われながらも「KYOSUKE HIMURO 25th Anniversary TOUR GREATEST ANTHOLOGY -NAKED-」を終了。
- 2015年(平成27年)
- 3月2日 翌2016年春に、7月20日の横浜スタジアムのリベンジライブを開催することを一旦決定。セットリストは、ファンのリクエストによって決まることも発表。
- 3月14日「Personal Jesus Cafe」が期間限定オープン。住所は渋谷区代官山町20-20モンシュリー代官山B2F。
- 11月6日 第一弾「LIVE DAM STADIUM」にて来春ライブ演奏候補曲のリクエストキャンペーンが先行スタート。11月9日〜来年1月11日まで[注釈 18]。
- 12月17日 翌2016年春のファイナルコンサートを「LAST GIGS」と題し、決まっていた横浜スタジアムから変更、初の4大ドームツアーとして開催することを発表した。
- 2016年(平成28年)
- 2017年(平成29年)
- 3月1日 2016年4月から5月にかけて開催されたライブツアー、「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」4地区、全7公演の模様を収めた映像作品『KYOSUKE HIMURO LAST GIGS』発売。DVDは初週で2.6万枚、Blu-rayは4.0万枚を売り上げ、共に3月13日付での週間チャート(オリコン)で首位獲得を達成した[12]。
- 2020年(令和2年)
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特徴
音楽性
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クリエイターとしての制作活動も重視しており、日本を離れることで得たものもあった。自分の時間を自由に作曲、アレンジ、録音等に割くことができ、レコーディングには当初、ジョシュ・フリーズ(Josh Freese、ドラム)、マイケル・ランドウ(ギター)など、ロサンゼルスの著名なミュージシャンを直接交渉して起用することもできた。
日本にいた頃から、デヴィッド・ボウイやエルヴィス・コステロなどの影響を受けていた。渡米後は、1990年代以降のオルタナティヴ・ロックなどを意識した曲作りに始まり、時代とともに新たな録音システムを駆使した音作り、新たなロックの潮流にも貪欲に取り組んでいったといえる。自分で近年、「オタク」と認めるほど、制作に熱中して取り組む姿勢が窺える。特に2003年のリリースは「クレームが来ないか心配だった」と語る通り、現地仕込みのロック的要素を容赦なく出し始めた分岐点のようでもある。
ヴォーカリストとしてのイメージが強力であるが、弾き語りではそのギターテクニックを披露することもある。また、ソロ活動のレコーディングで稀にギターを演奏している。本田毅も認めるほど、そのレベルは高いようである。
作詞
作詞は、松井五郎や森雪之丞の起用が目立つ。本人曰く「BOØWY時代は、詞を書いたが、ソロではほとんど詞を書かなくなった」、「アルバム『FOLLOW THE WIND』は全て雪之丞さんに作詞を依頼した」。自分で作詞をしなくなったのは、BOØWYのアルバム『MORAL』収録曲の「SCHOOL OUT」の詞の内容に影響された若者が「あなたの言う通り学校を中退した」などとする内容の手紙を送ってきたためで、歌詞の影響力について深く知ったため、と述べている。
アルバム『IN THE MOOD』収録曲「Ignition」で、松井五郎を起用した際のエピソードとしては、「息子の成長を見守っている内に自分にも心境の変化があった。この世界を表現するには松井さんが適任だと思った」「彼の詞は聴き手によって、どちらの意味にも取れるので‥」とその理由を述べている。その他にもアルバム『"B"ORDERLESS』、シングル「ONE LIFE」(共作)で松井五郎が担当した。
最近では『"B"ORDERLESS』の中で多くを、かねてより親交があり、リスペクトし合う間柄となったTAKUROが担当したことも話題となった。
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エピソード
要約
視点
復興支援チャリティ公演
- 当初、2011年6月11日に東京ドームで、50歳のアニバーサリー公演を予定し、2011年3月14日に発表する準備をしていたが、その直前に震災が起こったため発表を見送り、公演自体を見直した。
- 東京ドームという場所柄、電力消費の問題もあるが、可能な限り節電に配慮し、最小限の電力、機材で行ったほか、氷室本人・バックバンドメンバー・コンサートスタッフの全員がボランティアとして参加し、このライブの収益金の全ては復興義援金として寄付された。
- 「互いの気持ちと力を合わせて支え合う運命の時。微力ではあるけれど俺なりに過酷な状況下でいまも闘っている皆さんを応援したいと思います。We are down but never give up ! 氷室京介」とコメント。
- ライブは、BOØWYの楽曲で全編が構成された。氷室がBOØWYの楽曲を演奏する件に関してはかつてのメンバーである布袋、松井、高橋には寝耳に水であったようで[14]、高橋が氷室にエールを贈ったものの[15]、松井は氷室のアクションを高く評価しつつ、「こんな時だからこそ再び4人で手を握り合い、協力すべきだ」「残念でならない」とコメント。
- また、布袋はTwitter上で氷室に関する質問攻めにあってしまったこともあり、2日ほど沈黙を続けていたが、その後、自身のブログ上で「再結成を望む気持ちは皆さんと同じでした」と述べた上で、「そして同時に自分の中で踏ん切りがつきました」と、今後の再結成も非現実的であることを伝えた[16][17]。
- 2日間でライブに参加したオーディエンスは11万人に上り、日本でのチャリティーライブにおいて過去最多の入場者数を記録した[注釈 21]。
- このライブの1ヶ月後に布袋と吉川晃司によるロックユニットCOMPLEXが日本一心を行うからか「来月友人たちがここでライブをやりますから…」と二人に向けてに匂わせた発言をした。
GOSPELS OF JUDAS
- GOSPELS OF JUDASとは、氷室と親交の深いクリエイター達が集まり、クリエイティヴィティだけを元に、「自由に遊びから生まれた音楽をデジタルツールを使ってリスナーに届けたい」という想いから、2012年に氷室が立ち上げた[18]【DiGiTRONiX】プロジェクトの一つで、氷室のレコーディングにギタリスト&アレンジャーとして参加しているL.A.在住の日本人ギタリスト滝山幸英(YUKIHIDE TAKIYAMA、通称:YT)とのユニット。
- GOSPELS OF JUDASを立ち上げた経緯を氷室曰く「氷室京介という枠に囚われず、自由に楽曲を創出する、そういった想いを共有できるアーティスト仲間と作ったプロジェクト」と語っている。この【DiGiTRONiX】はまさに、アーティスト達の音楽の遊び場「Music Play Ground」として機能している為、GOSPELS OF JUDASの「Play Within A Play」においても、氷室京介名義のオリジナル作品では見られない音楽的アプローチがなされており、全く新しい氷室京介を発見する事になるだろう[注釈 22]。
- 2018年7月18日、1stアルバム『IF』を発表。
実家の火災事件
2013年3月11日、群馬にある実家など3棟が全半焼する事件が発生。両親共に無事ではあるものの実母が火災から逃げる際に腕を骨折する大ケガを負っている[19]。この件に関して氷室側は公式WEBサイトで両親の命に別状がないことを報告[20]。同日、氷室の実家に放火した女性が高崎署に出頭、現住建造物等放火容疑で逮捕[21]、後に熱狂的な氷室、BOØWYファンによる犯行であることも明らかになった[22][23]。また布袋と高橋によると、過去に犯人から自分宛に何度もツイートがあったことも明かされている[24][25][注釈 23]。
ディスコグラフィー
要約
視点
シングル
コラボレーション・シングル
アルバム
オリジナル・アルバム
ベスト・アルバム
ライブ・アルバム
その他のアルバム
配信限定コンテンツ
DiGiTRONiXは2022年9月30日をもってサービス終了したため、OFFICIAL PIRATES MIXシリーズを始めとする配信限定コンテンツは現在入手不可能。
映像作品
収録作品
タイアップ
提供作品
参加作品
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ライブコンサート
- 1988年
- KING OF ROCK SHOW "DON'T KNOCK THE ROCK"(5公演、約5万人)
- KING OF ROCK SHOW "FLOWERS for ALGERNON"(15公演、約18万人)
- 1989年
- "NEO FASCIO"TOUR(36公演、約13万人)
- 1990年
- "NEO FASCIO ENCORE" TOUR ARENA '90(7公演、約10万人)
- 1991年
- OVER SOUL MATRIX TOUR 1991(46公演、約12万人)
- 1993年
- TOUR 1993 "L'EGOISTE"(51公演、約15万人)
- 1994年
- SHAKE THE FAKE(16公演、約19万人)
- 1998年
- TOUR "COLLECTIVE SOULS"1998 One Night Stand[注釈 28](14公演、約21万人)
- 2000年
- KYOSUKE HIMURO TOUR 2000"BEAT HAZE ODYSSEY"(35公演、約10万人)
- 2003年
- KYOSUKE HIMURO "Case of HIMURO"15th Anniversary Special LIVE(7月20日、さいたまスーパーアリーナ)約3万5千人
- KYOSUKE HIMURO TOUR 2003 "HIGHER THAN HEAVEN"(38公演、約12万人)
- 2004年
- KYOSUKE HIMURO "21st Century Boøwys VS HIMURO"(8月22日、東京ドーム)約5万5千人
- KYOSUKE HIMURO TOUR 2004 "SOUL STANDING BY〜"(49公演、約14万人、11月8日、Zepp Tokyo ver.を含む)
- 2005年
- 2006年
- KYOSUKE HIMURO+GLAY 2006 at AJINOMOTO-STADIUM "SWING ADDICTION"(8月5日〜6日、東京スタジアム(味の素スタジアム))2公演、約10万人
- 2007年
- KYOSUKE HIMURO TOUR 2007 "IN THE MOOD"(47公演、約12万人)
- 2008年
- KYOSUKE HIMURO 20th anniversary TOUR 2008 JUST MOVIN' ON -MORAL〜PRESENT-(23公演)
- 2010年
- KYOSUKE HIMURO TOUR2010-11 "BORDERLESS" -Special Preview Live for KING SWING Premium Members-(9月4日、市原市市民会館)
- KYOSUKE HIMURO TOUR2010-11 "BORDERLESS"(52公演)約20万人
- 2011年
- KYOSUKE HIMURO GIG at TOKYO DOME "We Are Down But Never Give Up!!"(6月11日〜12日、東京ドーム)2公演、12万人
- KYOSUKE HIMURO SPECIAL GIGS THE BORDERLESS FROM BOØWY TO HIMURO(12月17日〜31日、6公演)
- 2012年
- CROSSOVER 12-13(12月30日〜12月31日、日本武道館)2公演、3万人
- 2014年
- KYOSUKE HIIMURO Charity Live in SENDAI"We Are Down But Never Give Up!!"(3月11日、仙台サンプラザホール)
- 「25th Anniversary TOUR GREATEST ANTHOLOGY -NAKED-」(3月15日〜6月22日)42公演
- 「25th Anniversary TOUR GREATEST ANTHOLOGY -NAKED-」追加公演(6月27日〜7月20日)8公演
- 2016年
- 「KYOSUKE HIMURO LAST GIGS」(4月23日〜5月23日)4会場7公演、35万人
- 会場一覧
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出演
映画
- 裸の24時間(1984年、自主制作映画)
全編白黒映画。フィルムは傷んでしまっており、上映は不可能
テレビドラマ
テレビ番組
- キング・オブ・ロックショー 氷室京介(1989年4月22日、NHK総合、BS(日にち不明))
- 89広島コンサート(1989年9月16日、NHK総合(BS[日にち不明] SUMMER GAME等))
- エンターテインメント・スペシャル 「氷室京介 48HOURS」- THE SLEEPLESS NIGHTS-(1999年7月9日、NHKBS2)
- 2006 FNS歌謡祭(2006年12月6日、フジテレビ)
- NEWS ZERO(2010年9月8日・10月11日・2011年2月15日、2013年8月20日、日本テレビ)
- 当時の番組プロデューサーだった「山崎大介」が2010年から密着取材を続け、随時放映してきた。その集大成として2016年、ドキュメンタリー作品『DOCUMENT OF KYOSUKE HIMURO“POSTSCRIPT”』として、Hulu限定配信および劇場映画として公開される。
- 氷室京介 WOWOW SPECIAL〜DOCUMENT OF LAST GIGS〜(WOWOW、2016年6月26日)ナレーションは古舘伊知郎
ラジオ番組
- 「SF Rock Station」(1986年10月 - 1987年3月、東海ラジオ)[3]
- 「TOSHIBA PREMIA 3」(1990年4月〜1992年3月、TOKYO FM)
CM
ゲーム
- 龍が如く5 主題歌「Bloody Moon」 (氷室京介が結成した新ユニット、「GOSPELS OF JUDAS」[ゴスペルズ オブ ジュダ]による楽曲) (2012年)
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書籍
写真集
- Don't Knock The Rock / KING OF ROCK SHOW(1988年)ISBN 9784789704076
- HIMURO DOCUMENT 1987-1988(シンコーミュージック、1988年)ISBN 9784401621408
- FLOWERS for ALGERNON / KING OF ROCK SHOW(1989年)ISBN 9784789704373
- PAPARAZZI[注釈 29](1991年)
関連項目
- 吉田拓郎
- キャロル
- キャロルの解散ライブ映像を見て、バンドを始めるきっかけになった。2009年にはキャロルのメンバーであった矢沢永吉との共演が実現した。
- RCサクセション
- 氷室は再デビュー前、挫折して群馬へ帰る直前、彼女にもらったチケットでコンサートを見に行き、ステージだけに集中している多くのファンたちの様子などを目の当たりにして、音楽に対する情熱を取り戻し、帰郷を思い留まったというエピソードがある。
- 泉谷しげる
- 「独りファシズム」を作詞。少年院を共に訪問した。
- ジェラルド・ウェイ
- 「Safe and Sound」をコラボレーションした。
- スティーヴ・スティーヴンス
- グラミー賞受賞ギタリスト。氷室渡米後のレコーディングやツアーに参加。
- リチャード・スターク
- クロムハーツの設立者にして責任者。氷室のステージ衣装やアクセサリーデザインも手がける。
- ミック・ジャガー
- 「ステージ見たら、俺泣いちゃいますからね」など、定期的にコメントの中でリスペクトすべき人物として名前を出している。
- グリーン・デイ
- iPodに彼らのライブ映像を全てダウンロードするほどお気に入りの頃があった。
- 山田かまち
- 幼なじみ。同じ小・中学校出身。
- 東海ラジオ放送
- 先述した「SF Rock Station」の制作・放送局。この時 番組パーソナリティーをやらせてもらっていたことから、氷室は名古屋でコンサートを行う際「名古屋は第二の故郷」とコメントすることがある。
- ワル (漫画)
- 同漫画の主人公が名前の由来と言われている(「ワル (漫画)#影響」参照)。
- 佐伯明
- 友森昭一
- 永井利光
- 後藤次利
- ホッピー神山
- 北島健二
- 佐橋佳幸
- 美久月千晴
- 佐久間正英
- 田家秀樹
- DAITA
- 加藤正憲
- BUCK-TICK
- 吉川晃司
- 西山史晃
- 西平彰
- 本田毅
- Yukihide "YT" Takiyama
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脚注
外部リンク
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