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DAIGO

日本のシンガーソングライター、ミュージシャン、タレント、俳優 (1978-) ウィキペディアから

DAIGO
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DAIGO(ダイゴ、1978年4月8日 - )は、日本男性シンガーソングライターボーカリストマルチタレント作詞家作曲家[1][2][3]東京都[4][5]世田谷区出身。身長178cm[6]。本名は内藤 大湖。DAIGO☆STARDUSTの元メンバー、BREAKERZのメンバー。妻は女優の北川景子

概要 基本情報, 出生名 ...
概要 出身地, ジャンル ...
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来歴

要約
視点

1978年 - 2001年(誕生からインディーズバンド時代)

1978年4月8日午後1時2分[7]東京都中野区にて誕生。3歳から小学3年生の夏までを千葉県市川市で過ごし、祖父が総理大臣に就任することに伴い再び東京都へ移住[8]世田谷区立代沢小学校から玉川学園中学部・高等部を経て玉川大学文学部芸術学科(音楽専攻)中退。

中学3年の時、兄の持っていたBOØWYのCDをきっかけに、音楽に目覚める[9]。当初はクラシック・ギターを習いに行ったがすぐに辞め、独学でエレキギターを練習した[10]。友人と行ったカラオケで一番上手かったため、ヴォーカルを目指すことになった[11]。また、現在の所属レーベルの先輩であるB'zの大ファンであり、彼らの影響も受けたと自身のブログで語っている[12]。高1でコピーバンドを結成[11]。高3でボイストレーニングを始める[13]。高2でモテることに目覚め(高3時に一学年下の佐藤麻衣と交際していたことを2024年のテレビ出演時に明かした[14])、校内自分プロモーションの結果、憧れの先輩ランキング3位になったことも重なり[15]、卒業前の学園祭で組んだバンド(JZEIL)が大好評。卒業後も続けることになる。ライブは後輩や友人らが来て満員となり[16]、すぐに事務所がついたほどだった[17]SIAM SHADEの後輩バンド・JZEIL(ジェイル)のボーカルとして活動。当時は様々なヴィジュアル系バンドが活動する中で、金髪と派手なメイクとセクシーな衣装がトレードマークだった。各音楽誌からは「何と言ってもカリスマボーカリストであるDAIGOが聴き手を吸い込んでしまうほどの独自の世界観を演出」「ロックシーンを塗り替える」[18]という期待を受けプロへの誘いもあったが、良い結果が出せず2001年9月25日バンドは解散[11]。自身は「(2ndミニアルバムは)カッコ良い曲はカッコ良いんですけど、俺のキャパを超えている曲もあったりして、すごいシャウトする曲とか(「自分の声質に合わない」[19])。それでちょっとずつ、よりヘビーな方に行きたいっていうメンバーとキャッチーなメロディがあるものを歌いたいっていう俺が分かれて来て、“ちょっとここらで1回離れた方がいいんじゃない?”って切りだしたんですよね」と語っている[8]。デモテープ2本、インディーズCD1枚、ミニアルバム2枚をリリースした。当初のヴィジュアル系ルックスから、1stミニアルバムでグラムに(楽曲は普通のロック)、1stフルアルバムで楽曲は洋楽テイストに変化。パンチの強いヴォーカルや高い張り上げヴォイスは現在の面影がないほどだった。年間100本のライブを行い[20]、韓国へも行った[21]

2001年 - 2007年(DAIGO☆STARDUST)

バンド解散後、「DAIGO with The space toys」という名前でソロ歌手としての活動を始める。河村隆一のライブのオープニング・アクトが初ステージだった[8][19]。地道にライブハウスなどでの活動を続けていた2003年、彼を撮影していた写真家の加藤正憲によって氷室京介を紹介され、1対1で会うこととなる。その際に才能を見出され、「何かしら力になってあげたいよね」とのことで氷室自らデビュー曲のプロデュースを申し出る。以前からBOØWYより多大な影響を受けていた彼にとっては願ってもない出来事だった[22]。そして2003年7月21日、25歳でDAIGO☆STARDUST(ダイゴ スターダスト)(略称は“D☆S”。ファンの総称は“STARDUST軍団”。)として、氷室自身が再始動する際に作曲した「Claudia」の曲にDAIGO作詞による違う歌詞をのせた形の「MARIA」でメジャーデビューを果たす[5](オリコンチャート64位)。当時は「竹下登の孫」である事実を公表していなかった(後述)[23]。リスペクトしてやまない人物の一人デヴィッド・ボウイの“火星から舞い降りたロックスター”「ジギースターダスト」から名前をとった。本人曰く「カメレオンのように変化していく人に惹かれます。デヴィッド・ボウイを見習ってばりばりのグラムでやることにした」とのこと[24]

デビュー当時、ドラマやCMに出演するなど期待されていたが売れず、「一つの新しい発明」くらいに真剣にやっていたものが[22]、「そもそもスペイシーってどうなの?」「自分でも一回フラットに考えたいな」と思い、事務所に話しフリーに戻る[8]。2006年10月、レコード会社との契約が切れたが、活動は続けた。セックス・ピストルズをカバーしたり自身の曲をパンクにしたDAIGO☆PUNKS[25][22]の活動も行った(2011年12月2日、イベント[26]のオープニングアクトで1日限りの復活をした)。「後期からだんだん書く曲もバンド感が濃くなって」「そろそろ新しいことをしたい。暴れたい感じ。シャウトしたい」「メロディが奇麗な曲が大好きで、そういう歌を中心に歌ってきたんですけど、そこからはみ出したい」[27]といった理由から2007年6月4日、DAIGO☆STARDUSTを封印した[28]。2010年2月、1曲だけ披露した[29][30]

2007年 - 2013年(BREAKERZ)

2007年に音楽活動の拠点をビーイングに移し、男性3人組ロックバンド・BREAKERZとして活動を開始[5]。同時にDAIGOに改名し現在に至る。「BREAKERZは終電」「生涯最後のバンド」とし[19]、バンド名には「自分の限界やジャンルの壁をブッ壊して新しいモノを作っていく」という思いが込められている[16]。同年7月25日、1stアルバム「BREAKERZ」でデビュー。(オリコンチャート300位以下)当初はクールなロックバンドを目指しMCでは笑わないというルールで[31]、楽曲もJZEILに比べメロディ主体で、また現在と比べると洋楽風であったりダークな世界観があった。

同年10月、姉の影木栄貴に『世界バリバリ☆バリュー』“私の家族は有名人”特集の出演依頼が来た際、姉はバンドを結成したばかりのDAIGOをメインに使うことを条件に出演を許可した。家族全員と自宅を公開しなければいけなかったため「おばあちゃん(竹下直子)が駄目と言ったら断念だね」という話をしていたが[32]、祖母は快諾し、家族で出演し話題となった。後日VTRを見た番組スタッフがDAIGOを気に入り、スタジオゲストとして何回か出演。タレント事務所(A-PLUS)に勤めていた元クラスメイトにマネージメントについて相談し、事務所社長と会うことに。社長はDAIGOのキャラを大絶賛、タレントとしてのDAIGOが誕生した[9]

改名後のDAIGOは「竹下登の孫」であることを公表、同時にBREAKERZの知名度も上昇した。祖父ネタは「開き直り」「出し惜しみなく、フルに活用していくように」なった[33]。また、元首相の孫とは思えぬ若者言葉で話すギャップや、親指を立てたコルナで手の甲を表に向け、腕をクロスさせるポーズと共に発する「うぃっしゅ!」という決め台詞が流行するなど、テレビタレントとしても人気を博している。

1stシングル「SUMMER PARTY」(2008年7月、オリコンチャート10位。以降トップ10内連続チャートイン)は「せっかくだしちょっとロックと自分の個性(「自分ではフツーだと思ってたこの“しゃべり”」[16])、メディアリンクも含めてそういう曲を!」[34]と作り、タレント活動について他のメンバーも「バンドの彩りを豊かにしていく」と前向きに捉えている[35]。ライヴは「基本ロックだけれど初めて見る人でも楽しめるようエンターテイメントに」[36]また、BREAKERZが男性ファン2%ということに対し「男性ファンが増えてくれるのはもちろん喜ばしいですけど、俺は女性ファンのほうがうれしいです(笑)」と語っている[35]

「テレビなんか出ないぜ!っていうロッカーなスタイル、俺はすごい好きです。だけど俺の場合、固定観念に縛られてると逆に表現に足かせがかかっちゃう。だから、自分のスタイルを貫くことこそ、ロックだと思うんだ」[37]「今は、歌もバラエティーもすべてガチでやりたいんです。やらせてもらえる今の環境にいるからこそ、オファーには期待をすべて裏切らないように応えたいんですよ。ニーズには応えたいタイプなんでね(笑)」「今は何でも挑戦したい年ごろ(笑)」[38]「“人を楽しませたい欲”が強い」[19]と語りドラマ、ミュージカルなどに出演を果たした。

2013年 - 2014年(再びソロへ、DAIGO☆STARDUST復活)

2013年4月BREAKERZのさらなる飛躍のため[39]それぞれがソロ活動を開始、DAIGOは2013年7月31日ソロ第一弾シングル「いつも抱きしめて / 無限∞REBIRTH」を発売した(オリコンチャート8位)。「バンドサウンドはBREAKERZで満足してる。だから逆にBREAKERZでできないことを」[40]と話しデジタル系楽曲や一部本格ダンスにトライした。

2013年7月12日、DAIGO☆STARDUSTとして10年ぶりの復活ライブ「帰ってきたDAIGO☆STARDUST」を渋谷公会堂で開催。一夜限りの復活ライブとなる予定だったが、あまりに反響が大きかったため、急遽追加公演が決定。同年7月26日、同じく渋谷公会堂にて「帰ってゆくDAIGO☆STARDUST」を行った[41]。なお、DAIGO☆STARDUSTの楽曲は、その後DAIGOのライヴのレパートリーになっている。また、同年にDAIGOとしてのライブツアーも行った。

2015年以降(BREAKERZ再始動、結婚)

2015年5月20日、15枚目シングルにてBREAKERZを再始動。「今後はエンタメ感というより、もっとロックに振り切ったBREAKERZを目指してやっていこうと思ってます」[42]なお、ソロ活動も引き続き行っている。

2015年5月19日放送分の『幸せ!ボンビーガール』にて『第38回 24時間テレビ 「愛は地球を救う」』のチャリティーマラソンランナーに任命され、翌週5月26日放送分の生放送部分にてランナーとしての役割を「HM(走ります)」と承諾した[43]。8月22日にマラソンがスタートし、翌23日20時44分(JST)に完走した[44]

2016年1月10日(110番の日)、警視庁の一日通信指令本部長を務めた[45]

同年1月11日、女優の北川景子と結婚したことを所属事務所を通して発表した[46]婚姻届は東京都内の区役所に代理人を通じて提出。同日、都内にてツーショットで記者会見を行った[47]。同年4月29日、都内で挙式を行い、グランドプリンスホテル新高輪で披露宴を行った[48]。北川へのプロポーズソング「KSK」(DAI語で”結婚してください”)をも書き下ろし、DAIGO自身のソロ名義で同年6月15日にリリースした。北川とは交際に至る数年前の2011年に『LADY〜最後の犯罪プロファイル〜』(TBS)初回で共演している。ちなみに入籍日がぞろ目だったこともあってか午前11時11分にちょうど出したという[49]

2018年7月21日、DAIGO☆STARDUSTデビュー15周年ライブ「DAIGO VS DAIGO☆STARDUST」が中野サンプラザで開催された[50]

2020年4月22日、妻の北川の第1子妊娠が報じられ、北川が自身の公式サイトで妊娠を正式に報告した[51][52]。同年9月7日、第1子となる女児が誕生したことを自身のブログで報告した[53][54]

2021年10月7日、『ZIP!』の木曜パーソナリティーに就任した[55]

2023年7月23日、DAIGO☆STARDUSTデビュー20周年記念ライブ「20th ANNIVERSARY “ONE NIGHT SPACEY SHOW” シン・DAIGO☆STARDUST」を品川インターシティホールにて開催した[56]

2024年1月16日、B ZONE傘下の新レーベル『D5 RECORDS』を発足[57]

2024年1月31日、第2子となる男児が誕生したことを自身のブログで報告した[58][59]

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人物

要約
視点

本名の「大湖(だいご)」は、「きいのように広い心を持った人間になれ」という意味で名付けられた[60]

3人姉弟の次男(末っ子)で姉と兄がいる。

好きな食べ物は寿司ラーメン焼肉ポップコーン[8]キャベツ太郎(「一途に好き」)[61]うまい棒などのスナック菓子。好きなブランドはRoen[62]、Loree Rodkin[63][64]、長年愛用している香水はドルチェ&ガッバーナの「ライトブルー」。無名時代からドルチェ&ガッバーナやDiorなどハイブラインドの服を着こなす。

座右の銘は「我が道を行く」。幼いころ、よく祖父に聞かされていたからとのこと。

巨人ファンでもある。

温厚な性格で、平和主義者。DAIGOの姉の著書によると、DAIGOは「姉と兄の肉食獣同士の熾烈な喧嘩を側でながめながら、争いには首をつっこまない草食系の習性を身につけた」とのことである[9]

テレビ出演時は、「そうっスね」「マジで」「マジっすか?」「ガチで」「ハンパない」「みたいな〜」など典型的な若者言葉(ただし基本的には敬語)でかつ語尾をのばした口調で喋る。DAIGOのこの独特の口調は、『森田一義アワー 笑っていいとも!』で共演したタモリやものまねタレントの花香よしあきら多くのタレントによくものまねをされている。他、明石家さんまと受け答えする際には、「確かにぃ」という台詞をふられるのがお約束となっている。近年は、「KSK(結婚してください)[65]」や「DD(努力大事)[66]」、「GGYK(グイグイヨシコイ)」など、日本語のフレーズなどを数文字のアルファベットに略して表現した「DAI語」を多用している[67]。2015年8月19日にDAI語をまとめた『DAI語辞典』がぴあ株式会社から発売された[67]

食事の際などを除き、常に指貫グローブを着用している。中には「Roen」製やL'Arc〜en〜Cielhydeに貰った指貫グローブ、Janne Da Arcyasuとお揃いのグローブもある。

クイズ番組では博識ぶりを幾度となく披露しており、『ネプリーグ』の漢字書き取りコーナーでもある「ファイブツアーズバギー」では1人目のプレーヤーとして9問連続で正解、『熱血! 平成教育学院』では総合2位という成績を残している。

特技はモノマネで、十八番はサザンオールスターズの「TSUNAMI」。他にも同じビーイング所属の先輩でもあるB'z稲葉浩志LUNA SEA河村隆一などを持ちネタとして、ライブで頻繁に披露している。

DAIGOの生み出したキャラクターにくまパンダがある。グッズもライヴ会場などで販売されている。鳴き声はキューキュー[16]

ガイナックスのアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のマニアで知られており、登場人物の一人・惣流・アスカ・ラングレーのファンでもある。『踊る!さんま御殿!!』では、アスカ役の声優宮村優子と共演を果たし、宮村にアスカの声で毒づいて欲しいとのお願いをしたのと同時に自分にMっ気がある旨を告白した。さらに番組収録後、DAIGOが宮村に頼んで自身の目覚まし時計に宮村の声をアラーム音として録音している[68]。その時、「もし日本武道館でライブやるようなことがあったらぜひナレーションをお願いしたい!」と話し、2009年のBREAKERZ初武道館ライブ"WISH"にて実現に至り、エヴァ仕様のオープニングになった[69]。さらにエヴァンゲリオンとNTTドコモのコラボで発売されたエヴァケータイやエヴァスマホは欠かさず購入しており、2012年に発売されたエヴァスマホ「SH-06D NERV」の公式PR動画にもサポーターとして出演した。DAIGOもその動画内で原宿のエヴァストアを訪れ、計48,612円ものエヴァグッズを買っている[70]

『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』のチャリティーマラソン完走後に生放送された『行列のできる法律相談所』において、完走に対するご褒美として主題歌である「残酷な天使のテーゼ」の高橋洋子本人による歌唱が披露された[71]

競馬好き[72][73][74]が高じて番組(「馬の王子様」)を担当した。兄(博文)が競馬を内藤家に持ち込んだと影木が著書[9]の中で語っている。

好きな仮面ライダーシリーズは『仮面ライダーV3[4]

交友関係

  • Janne Da Arc・Acid Black Cherryのボーカル・yasuを兄貴分として慕っており、L'Arc〜en〜Cielのhydeについては「神であり最高の先輩」と語っている。
    • 特にyasuとは週5で食事するほどの仲である。L'Arc〜en〜Cielのライブを見に行った際に、hydeの熱狂的ファンであるyasuと出会い、それ以来の付き合い。祖父の名前を公表するか迷っていた時にyasuに相談したところ、「音楽ができなくなるわけじゃない」「家族なんだから何も後ろめたいことない」と言われ[75]、現在に至る。
    • ブレーク前の2007年に、Acid Black Cherry主催イベント「SWAPPING ROCK PARTY!」にBREAKERZとして出演、この時の転換中に行ったyasuとのコント中に「うぃっしゅ!」というDAIGOオリジナル「ロックポーズ」が誕生した(yasu曰く、本当のロックポーズは親指を立てず中指に付け悪魔の数字「6」を現すが、DAIGOが間違えてしまったらしい)。
    • Acid Black Cherryのカバーアルバム『Recreation2』に収録されている「大都会」にゲストヴォーカルとしてyasuとデュエットしていて、VAMPS主催HALLOWEEN PARTY 2010-2011に転換中のカラオケコーナーにて2人でコントを交え歌ったことがある。
  • 元:La'cryma Christi、現:LibraianのボーカルTAKAについても「芸能界の兄貴」と呼んで慕っており、ライブ合間のMCの「だーれーかーなっ?」や「○○(メンバーの名前)を呼ぶ声が小さいな!」を真似している(使用許可は得ている)。また、メイクや髪型もTAKAの影響を受けている部分がある。
  • 以前結成していたバンド「JZEIL」時代には元Due'le quartz雅(現:雅-miyavi-)や元DAS:VASSERの響兵などとも交流があった。
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エピソード

  • 15歳の時、小渕恵三内閣総理大臣から、お年玉として5万を貰っている。祖父・竹下登からのお年玉は基本的に1万円だったことから、彼の中で「小渕さん、リスペクトですよ」とのこと[76]
  • 実家には、当時官房長官小渕恵三昭和64年(1989年1月7日)に、当時の総理大臣官邸記者会見で掲げた平成元号が書かれた色紙や、祖父昭和天皇から手渡された内閣総理大臣任命書、ローマ教皇だったヨハネ・パウロ2世からの贈呈品や、フランススペインセネガルからの勲章などが秘蔵されている。これはTBSテレビの『世界バリバリ★バリュー』でも紹介された。同局の『うたばん』で「平成」の色紙を鑑定してもらったところ、「価値が高すぎて鑑定出来ない」との結果が出た。なお、河東純一揮毫した「平成」の色紙は、この放送の後に国立公文書館に寄贈されている[77]
  • 2003年、「DAIGO☆STARDUST」でメジャーデビューした際は「宇宙から舞い降りたロック王子」という設定で活動していたが、(本人曰く)小倉優子の「こりん星人」に比べ設定が甘かったため、次第に演じる本人が厳しくなり、ビーイング移籍を機に封印した。当時は「スペイシー・ハグ」「スペイシー・よちよち」など、自身の行為に「スペイシー」の接頭辞を付けていた。DAIGO☆STARDUSTのキャラについて、土屋アンナからは完全否定されていた[28]が、つんく♂高見沢俊彦、yasuらからは気に入られていた[22]
  • DAIGO☆STARDUST時代をバラエティ番組ではオチに使っているが、楽曲はL'Arc〜en〜Cielのhydeに「全部イイ」(2ndアルバム)と褒められており[16]、当時hydeから送られてきた電子メールは「ずっと保護して残している」と語っている。
  • 指貫きグローブについて以前からライヴなどでしてきていたが、「ある時バラエティ番組に出させてもらった時に、グローブのことをすごい突っ込まれたんで」「その時、“これ、結構いい感じなんじゃないの?”って」[78]と語り「あれが無いとロックポーズも決まらないから」手袋なしのDAIGOは「たぶん3%位(真顔)」とまで言い切るほどである[79]
  • 遠藤久美子と生年月日が同じ[80]
  • 日本テレビ系『天才!志村どうぶつ園』のペンギン(ペンペン)に向けた曲は「I Wish」で、子猿(さくら)旅については「いつも抱きしめて」で表現。また、亡くなったヘアメイク久保田苛湖(カコ)[81]さんへ「YELL」(DAIGOアルバム「DAIGOLD」より)を作った[82]
  • 祖父の実家である竹下本店には、DAIGOの写真をラベルとした清酒「出雲誉」がラインナップされていた。
  • 2020年7月26日、自身がメインMCを務める競馬中継『みんなのKEIBA』(フジテレビ)生放送中に5重勝単勝式馬券「WIN5」を的中させ81万6,800円の払い戻しを得た。当日夜に「WIN5 まさかの的中!」と題したブログを更新し的中までの詳細を明かした。

家族・親族

作品

概要 リリースリスト, ↙スタジオ・アルバム ...

シングル

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オリジナルアルバム

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ベストアルバム

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カバーアルバム

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コラボレーション楽曲

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映像作品

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参加作品

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提供楽曲

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タイアップ一覧

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ライブ・主催イベント

要約
視点
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出演イベント

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書籍

  • DAIGO ROCK(2008年10月14日、ゴマブックス
    • フォト&エッセイ公式ガイド本
  • DAIGO POP(2008年12月2日、ゴマブックス)
    • フォト&ブログ(2006.5 - 2008.10)
  • DAIGOの支持率急上昇!?(2010年9月4日、東京ニュース通信社
  • DAI語辞典(2015年8月19日、ぴあ株式会社)
  • ビッグフェイスくん(2016年12月18日、ワニブックス[86]
  • くまパンダものがたり(2017年9月23日、ワニブックス)

写真集

  • DAIGOING L.A.(2009年9月10日、学研

漫画

雑誌連載

出演

テレビ

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映画

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ラジオ

さらに見る タイトル (※は冠番組), 放送局 ...

CM

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書籍

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WEB

テレビドラマ

舞台

テレビアニメ

ゲーム

ドラマCD

ボイスコミック

PV

CM

ポスター

玩具

  • カードゲームヴァンガードDAIGOスペシャルセット(2013年6月1日、ブシロード) - 本人の実写カードが封入される
  • DXウルトラマンサーガブレス、光る!鳴る!DXウルトラマンサーガドラマチックサウンドBIGフィギュア(2012年、バンダイ) - 映画『ウルトラマンサーガ』のDAIGOのセリフを収蔵しており再生が可能

その他制作活動

  • ローリー・ロドキンとのコラボレーション・ジュエリー(2009年1月、2012年10月26日 - 2013年1月26日)
  • amebaのピグ・パーカー(2010年 - 現在終了)

その他活動

  • 島根県PR大使(2013年7月31日 - ) - 島根は祖父母・母の生まれ育った地である。2014年3月30日、島根のキャラクターしまねっこから感謝状を受ける[148]。また、「しまねソング」を作詞・作曲した(2014年7月)

受賞歴

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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