トップQs
タイムライン
チャット
視点
さいたま車両センター
日本の東日本旅客鉄道京浜東北線・根岸線列車の車両基地 ウィキペディアから
Remove ads
さいたま車両センター(さいたましゃりょうセンター)は、埼玉県川口市芝塚原(さいたま運転区についてはさいたま市南区南浦和)の南浦和駅南側に所在する東日本旅客鉄道(JR東日本)首都圏本部管轄の車両基地である。
2015年3月14日に従来の「浦和電車区」から組織変更を実施し、検修部門を「さいたま車両センター」へ、運転部門を「さいたま運転区」へ名称変更した[3]。
Remove ads
配置車両に記される略号
「都サイ」…首都圏本部を意味する「都」とさいたまを意味する「サイ」から構成される。
- 浦和電車区時代は「宮ウラ」(大宮支社を意味する「宮」と、浦和の電報略号「ウラ」から構成される)。
- 浦和電車区時代の所属略号
- さいたま車両センター改称後の所属略号
歴史
- 1957年(昭和32年)12月 - 電留線の建設工事に着手[4]。
- 1960年(昭和35年) - 電車区の着工[1]。
- 1961年(昭和36年)10月25日 - 下十条電車区の派出所として構内施設の使用開始[4]。当車両基地の建設に合わせて浦和市(当時)から、請願駅として南浦和駅が新設された[4]。
- 1962年(昭和37年)4月16日 - 浦和電車区開設[3][4]。発足当初は所属車両105両、職員数は186名[1]。当時は東京鉄道管理局の管轄で、略号と車両所属表記は「東ウラ」。
- 1965年(昭和40年) - 同年に行われた国労ストでは拠点の1つとなった[5]。
- 1969年(昭和44年) - 東京北鉄道管理局発足により同管理局の管轄となる。同時に略号と車両所属表記を「北ウラ」に改称。
- 1986年(昭和61年)3月 - 下十条電車区、蒲田電車区から京浜東北線・根岸線用の全ての103系が浦和電車区に転入[1]。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR東日本に移管され、東京圏運行本部(→東京地域本社)の直轄となる。同時に略号と車両所属表記を再び「東ウラ」に改称。
- 1998年(平成10年)10月1日 - 東京支社発足により同支社の管轄となる。
- 2001年(平成13年)4月1日 - 大宮支社の発足により同支社の管轄となる[3]。同時に略号と車両所属表記を「宮ウラ」に改称。
- 2002年(平成14年)1月25日 - ISO9001認証取得。
- 2007年(平成19年)3月9日 - ISO9001認証取得。認証登録範囲は「京浜東北線及び根岸線に関連する運転サービスの提供」(検修、運転部門)。
- 2015年(平成27年)3月14日 - 運転部門をさいたま運転区に分離し[3]、さいたま車両センターに改組、同時に略号と車両所属表記を「宮サイ」に改称[6]。
- 2022年(令和4年)10月1日 - 東京支社を首都圏本部へ改称し、長野支社の車両センターと共に首都圏本部の現業機関となる。略号は「都サイ」となる。
Remove ads
構内
要約
視点
本センターの敷地は東西方向に約65 m、南北方向に1,600 mと細長いもので、蕨駅北方から南浦和駅の手前約650 mまで及んでおり、一駅間がほぼ車両センターとなっている[1]。広さは東京ドームの約2倍となる9万 m2と広大なものである[1]。
本センターの最大留置可能数は280両である[1]。センター内には入出区線3線、洗浄線3線、電留線15線(0番線と9番 - 14番線は10両編成2本の縦列留置が可能)、交番検査線3線、車輪転削線1線、臨時修繕線2線がある[1]。
浦和電車区時代は京浜東北線・根岸線の運転部門もあり、1997年当時は浦和電車区、下十条運転区、蒲田電車区、東神奈川電車区の4か所で担当していた[1]。
Remove ads
配置車両
要約
視点
配置車両は全て、電車である。2023年4月1日現在の配置車両は以下の通り[2][3]。
電車
E233系1000番台(820両)
- 10両編成(TcTMM'TMM'MM'Tc')82本(101 - 176、178 - 183編成)820両が配置されており、京浜東北線と根岸線で運用される。
- 209系電車置換え用として2007年9月より配置され、同年12月22日から営業運転を開始した。
- 川崎駅付近で発生した脱線事故により、177編成のうち損傷の激しかった2両が2016年12月に廃車となり[7]、残る8両も2018年4月7日付で廃車され[8]、同月下旬より東京総合車両センターで解体処分となった。
- E233系1000番台
過去の配置車両
- 1998年(平成10年)撤退。大部分が廃車・解体されたが、中央・総武緩行線、京葉線や南武線、仙石線、国鉄時代は京阪神地区(大阪環状線や阪和線など)や名古屋地区(中央西線)などに転配された車両もある。逆に国鉄末期には浦和電車区のクモハ103形のユニットとクハ103形低窓車を日根野電車区(現・吹田総合車両所日根野支所)の中間車とトレードし、阪和線103系の短編成化に充てていた。転入した中間車は標記が「天ヒネ」のまま、さらに一部には阪和線時代のドアステッカー(「ゆびづめちゅうい」の表記あり[9])もそのままだった。さらに豊田電車区(現・豊田車両センター)や松戸電車区(現・松戸車両センター)からオレンジ色のモハユニットが転入したことがあり、後者は淀川電車区(現・網干総合車両所明石支所放出派出所)から松戸電車区に転入していた車両であった。
- 0番台
- 500番台
- 900番台
- 2007年(平成19年)に運用を離脱し、東京総合車両センターに回送され、付随車1両を除き同月に東大宮操車場(大宮総合車両センター東大宮センター)に疎開回送された。その後、長野総合車両センターに回送されたのち、クハ209-901を残して解体。同車は東京総合車両センターの正門付近に保存された。
- 910番台
- 2006年(平成18年)に運用を離脱し、東大宮操車場に疎開回送の後、2008年(平成20年)1月に長野総合車両センターに回送され解体された。
- 920番台
- 2007年(平成19年)に運用を離脱し、東大宮操車場に疎開回送の後、長野総合車両センターに回送され解体された。
- 103系
- 205系
- 209系0番台
- 209系500番台
事業用車両
- 1が配置されていたが、東京総合車両センターに転出し、事業用車両の配置は無くなった。
Remove ads
大宮駅派出
大宮駅構内に大宮駅派出があり、異常時の初期対応などを行っている。
その他エピソード
- かつて、京浜東北線の車両の配置は浦和電車区(当時「北ウラ」)のほか、下十条電車区(北モセ)と蒲田電車区(南カマ)の3か所に分散していたが、1986年(昭和61年)3月3日のダイヤ改正の際に車両配置を浦和電車区に集約させ、下十条電車区は乗務員のみ配属の下十条運転区に、蒲田電車区は乗務員と横浜線の車両(1996年に大船電車区→鎌倉総合車両センター(現・鎌倉車両センター)に転出)の配置区となった。現在も下十条・蒲田は車庫として車両が留置されている。
- 乗務員が所属しているため2013年現在でもJR東日本の車両配置基地としては「車両センター」の名称を使用していなかったが、2015年3月16日からさいたま車両センターと改名された。同時に、乗務員配置を行う部署はさいたま運転区に分離設置された。車両センターに名称変更されていない車両基地は田端運転所・宇都宮運転所などがある。
- 209系電車0番台の側面大窓の改造工事に伴う予備車確保のため、当時の三鷹電車区に配置されていた500番台C515編成が当区に貸し出されて運用されたことがあった[10]が、編成番号札と所属区表記は「八ミツ」表記のままだった。一旦、三鷹電車区に返却の後、改めて転入して正式に当区配置のウラ84編成となり、ウラ90編成(901系A編成)を置換えた。
- ウラ91編成(901系B編成)・ウラ92編成(901系C編成)は、運用離脱時に当時の三鷹電車区からC514・C513編成をそれぞれ当区に転配し、ウラ83・ウラ82編成として置換えた。
- 当区を出入場する際には京浜東北線南行(大船方面)の線路を横断する必要があるため、敷地内私道上に踏切が設置されている。なお踏切には係員以外渡らないよう注意書きがある。
Remove ads
さいたま運転区
さいたま運転区(さいたまうんてんく)は、かつて存在した東日本旅客鉄道(JR東日本)大宮支社の運転士が所属する組織である。2024年11月30日限りで廃止し、現在は浦和統括センター乗務ユニット南オフィス。
歴史
脚注
参考文献
関連項目
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads