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千昌夫
日本の歌手、実業家 (1947-) ウィキペディアから
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千 昌夫(せん まさお、1947年〈昭和22年〉4月8日 - )は、岩手県陸前高田市出身の演歌歌手、司会者。元妻は元タレントのジョーン・シェパード。
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バブル期には「アベインターナショナル」を立ち上げ、不動産業などを幅広く展開する実業家としても知られた[1]。
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来歴
農家の次男として生まれ、小学3年の時に父親を亡くした[2]。母親は早朝に農作業、日中は隣県宮城県気仙沼の工場で働き[3]、女手ひとつで3人兄弟を育てた。
私立水沢第一高校在学中に作曲家の遠藤実に弟子入りし、1965年に「君が好き」でデビューした。翌年発売の「星影のワルツ」が1967年秋頃よりヒットしミリオンセラーを記録[1]。1968年の『NHK紅白歌合戦』(NHK総合・ラジオ第1)に初出場した。
1979年、1977年発売の「北国の春」が大ヒット[4]。ミリオンセラーとなり[1]第21回日本レコード大賞ロングセラー賞を受賞。同曲は中国・シンガポール・マレーシア・タイ・台湾などアジア各国でもヒットした[5]。このほかに「望郷酒場」「夕焼け雲」「味噌汁の詩」「津軽平野」などのヒット曲がある。
私生活では、1972年にタレントのジョーン・シェパードと結婚。松下電器・象印マホービン・いすゞアスカのCMに夫婦で出演した。その後1988年に離婚。のちに18歳年下のイギリス人女性と再婚し、2男2女をもうけている[6]。次女のダニエラは2009年に芸能界デビューした[7]。千は高校時代にもハーフの少女と交際したことがある。
1970年、仙台市郊外にある5万坪の山林を約2,000万円で購入[8]。この土地を担保に利益を増やしてゆき[8]、1972年に「アベインターナショナル」を設立[9]。次第に不動産業に傾倒するようになり、バブル期には歌手を休業して不動産業に専念した[10]。
世界各地にマンションやビルなどを所有し「歌う不動産王」[9]「ホテル王」と呼ばれるほどであった。しかし、1991年のバブル崩壊とともに経営は悪化、約2,500億円の借金を抱えたと報じられたが[11]、その半額にあたる1,250億円を3年で返済した[12]。
しかし不況には抗えず「アベインターナショナル」は2000年に経営破綻(負債総額1,034億円)。東京地裁に「6年間で1億6,000万円を返す」という再生計画書を提出し、債権者と決着した[13]。
2011年、ジャッキー・チェンが発起人となった、香港での東日本大震災チャリティーイベントにエリック・ツァン、アンディ・ラウ、リッチー・レン、アグネス・チャン、中村雅俊、AKB48の梅田彩佳らと参加[14][15]。義捐金2億9,000万円を集めた[16]。
東日本大震災では千の実家に住む家族も被災[5]。母親は間一髪のところで近所の人に救出されたという[5]。同年末には「北国の春」で22年ぶりに紅白歌合戦出場を果たした。
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人物
趣味
- 飛行機とヘリコプターの免許を取得し[17][18]自家用セスナを所有していた[19][20]。2023年現在でも飛行機の操縦をする[21]。
- 愛鳥家として知られ[21]、ニワトリ・インコ・オウムなど17羽の鳥を飼っている[22]。溺愛するあまり楽屋[23]のみならず地方巡業中のバス[24]でもニワトリを放し飼いにする様子が、後輩歌手の伍代夏子や石原詢子の公式サイトで確認できる[注釈 1]。鳥の名前はウッピー・チャッピー[24]・ビューティー[23]・ET・太郎[25]など。烏骨鶏のウッピーは自らの手で孵化させたことも手伝って特に溺愛している。インコはお手・キス・バンザイ[25]・おしゃべり[24]・「北国の春」を歌う[26]などの芸ができる。多頭飼いであるが、愛鳥は千によく懐いており[24]、4年前にインコを亡くした悲しみが癒えないと語ったこともある[26]。2014年にオキナインコのオッキーを亡くしたことで、寂しさから鳥の数が増えたという[注釈 2]。また、楽屋が汚くなったと言われないように掃除機を持参している。
バブル期
- 人気絶頂期に高級車のロールス・ロイスを所有していたが、真夏の暑い時でもクーラーは切ったまま運転していた[27]。
- 子息が通学していた横浜のインターナショナルスクール「セント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジ」が経営難で廃校危機に陥った際には、廃校反対デモに参加した。
- 不動産投資の失敗で膨れ上がった借金について「利子は一日5000万円です」と当時のテレビ番組で語っていた。
- 借金報道が過熱した結果「俺はマスコミのおもちゃじゃない。男は余計なことをしゃべらない!」と激怒し、しばらくマスコミとは距離を置いていた。
その他
- スター歌手になっても4畳半の風呂なし・テレビなしのアパートに住み続け[28]、洒落た服を着ることもなかったという[29]。交際費も掛けないため[29]「ケチ男」と陰口を叩かれることもあった[30]。第一プロからの月給10万円のうち4万円は母親に送金[29]、生活費の残りは寒村に住む母親を東京に呼び寄せるべく貯金していた[29][注釈 3]。
- 芸歴20年以上になってもクラブやキャバレーでの営業を厭わずに行い、これらが月のスケジュールの大半を占めることもあった[31]。
- トレードマークの額のほくろは2000年に開運の意味も込めてレーザー手術で除去した。その後、細木数子に「ほくろは取らないほうがよかった」と指摘されている。タレントのコロッケは現在もほくろのある千を真似ている。
- プロ野球東北楽天ゴールデンイーグルスのファンクラブ名誉会員である(会員No.7)。
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ディスコグラフィ
シングル
デュエット・シングル
企画シングル
アルバム
オリジナル・アルバム
カバー・アルバム
ライブ・アルバム
ベスト・アルバム
CD-BOX
タイアップ曲
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出演
NHK紅白歌合戦出場歴
- 対戦相手の歌手名の( )内の数字はその歌手との対戦回数。
- 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
- 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。
テレビ
- ロッテ 歌のアルバム 千と一慶生放送(1977年11月6日 - 1978年3月26日、TBS、司会)※玉置宏の後任且つ、小島一慶との共同司会
- 金曜10時!うわさのチャンネル!!(日本テレビ、司会)
- 千昌夫の評判家族探訪(テレビ東京)
- 初恋宣言(1968年、松竹映画)
- ねぎぼうずの唄(1974年、NET)第21話
- けんか安兵衛(1975年、関西テレビ)第12話
- 土曜ドラマ / 松本清張シリーズ・事故(1975年、NHK総合) 佐々役
- 水戸黄門(TBS・C.A.L)
- 破れ奉行(1977年、テレビ朝日・中村プロ)本田敬三郎役
- あまから家族(1976年、日本テレビ)司会
- 関口宏のオォ!笑歌(1976年 - 1977年、テレビ朝日)レギュラー
ラジオ
- いすゞハイウェイパートナー・千昌夫のおーい陽がしずむ(文化放送)パーソナリティー
- 花の五大スター チャンピオン大放送(ニッポン放送、1978年10月 - 1979年3月、水曜日)
- ハッピーバラエティ ほかほか大放送(ニッポン放送、1979年10月 - 1980年3月、火曜日)
CM
- 大洋漁業(現:マルハニチロ)「マルハ シーエースアメリカン」(まぐろ缶詰 1982年)
- カゴメ 野菜ジュース(1982年)
- いすゞ自動車 アスカ(1983年)
- 松下電器産業(現:パナソニック) 「パナカラー・クイントリックス」
- 象印 マイコン炊飯ジャー
- 上記はいずれも当時、妻だったジョーン・シェパードと共演。
- エースコック
- 中村さん家のきつねわかめ、力うどん(1984年)
- ワンタンメン(1985年)
- フマキラー
- 夢グループ カラオケ1番(2011年 - 2012年)
- アイダ設計 AiBEST(2012年)
パチンコ
- CR北国の春 - 藤商事 激熱リーチと大当たりとラウンド場面の映像で、妻のアマンダ夫人と共演している。
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脚注
関連項目
外部リンク
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