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日本の音楽グループ ウィキペディアから
和田弘とマヒナスターズ(わだひろしとマヒナスターズ、英: Hiroshi Wada & Mahina Stars もしくは Wada Hiroshi & His Mahina Stars)は、スチールギター奏者の和田弘をリーダーとする日本の音楽グループ。ハワイアン、ムード歌謡の第一人者として知られた。略称並びに通称であるマヒナはハワイ語で「月」を意味する。
山口銀次、和田弘、三島敏夫らが「バッキー白片とアロハ・ハワイアンズ」(以下、アロハ)を退団し、1953年にハワイアンバンド「山口銀次とマヒナスターズ」を結成。翌1954年、リーダーの山口銀次が脱退しアロハに復帰したため、和田弘がリーダーとなり「和田弘とマヒナスターズ」(以下、マヒナ)に改名する[1]。
ハワイアンのサウンド、コーラスワークと作曲家の吉田正によるメロディを融合して、フランク永井や松尾和子らと並び、それまでにない都会的で斬新な歌謡曲(ムード歌謡)を生み出し、昭和30年代から40年代前半にかけてムード・コーラスグループの第一人者として数多くのヒット曲を世に送った。
マヒナは吉田の門下として、1957年にムード歌謡コーラスグループとしてデビュー。第一弾は「東京の人(三浦洸一のカバー)/哀愁の街に霧が降る(山田真二のカバー)」で、第二弾は「好きだった」(鶴田浩二のカバー)を吹き込む[2]。共に既存の吉田正作品のカバーであったが、ハワイアンギターとコーラスによる「マヒナサウンド」と呼ばれることになる新しいアレンジで注目され、「好きだった」がヒットした。1958年8月にオリジナル曲「泣かないで」を発表し、これが大ヒットした。
1959年、ビクターの歌謡曲(流行歌)部門のレコード売上で「夜霧の空の終着港(エアーターミナル)」が年間2位を獲得したほか[注 1]、トップ10内に4作がランクインした[3]。
1960年代には、松尾和子らの女性歌手を迎えるスタイルをとり、第2回日本レコード大賞を受賞した「誰よりも君を愛す」や、当時としては驚異的な300万枚の売上を記録した「お座敷小唄」をはじめ、「寒い朝」「島のブルース」「愛して愛して愛しちゃったのよ」「北上夜曲」など多数のヒット曲を残した[1]。1967年にビクターから東芝に移籍。
その後はメンバーの変動があったが、1989年に全盛期のメンバーが再集結し[4]、同年の「第40回NHK紅白歌合戦」に紅組の出場歌手として、22年振りの再出場を果たした[5]。
2002年頃に内紛が再び起き、和田と日高以外のメンバーが全員離脱。和田弘とマヒナスターズとしては事実上の解散となった。
その後、松平・佐々木・三原は新たに別グループを結成。和田側も新たにメンバーを入れて、新生マヒナスターズとして再始動した。2004年1月5日、和田は急死した[4]。その後は松平が中心となって活動を行った。
2006年9月30日、マヒナのボーカルとして長年活躍した三原が逝去。2003年7月に脳梗塞で倒れ、リハビリを続けていたが復帰は叶わなかった。
ABC制作のコメディ番組『やりくり天国』(1960年3月6日 - 8月28日)の主題歌[注 2]を唄った。同曲は発売されていない。 樋屋製薬の「樋屋奇應丸[注 3]」のCMソングを歌ったことでも知られている。
以上が往年のメンバー。他には三島敏夫(1954年参加)、船場太郎(当時:松原昌平)、影山ミキ、タブレット純(当時:田渕純)も一時在籍していた。
最終メンバーは松平と
の4名である。
代表曲「お座敷小唄」は、1964年(昭和39年)にマヒナが広島へ巡業した際、キャバレーのホステスが口ずさんでいたのを和田弘が採譜したものである。早速、松尾和子を加えてレコーディングし、同年8月にビクターから発表された。
元々、このメロディは戦時中の1943年(昭和18年)頃から海軍兵士に歌われ、戦後は売春が黙認された地域で歌い継がれていたものだった。マヒナに続いてテイチクで久美悦子が「裏町小唄」、コロムビアでこまどり姉妹が「祇園エレジー」、東芝で紫ふじみが「しらゆき小唄」と、それぞれ発表し競作となったが、古臭い日本語をドドンパのリズムに乗せてモダン化したマヒナ盤が300万枚を売上げ独走、夜の巷で大受けした[8]。
第6回日本レコード大賞では「お座敷小唄」がエントリー寸前であったが、同曲は作曲者不詳であり大賞の受賞資格外であったことから、代替に「ウナ・セラ・ディ東京」がノミネートされることとなった。
2001年(平成13年)、和田は、「マヒナスターズ」のロゴの商標登録を出願し、2003年(平成15年)に権利者として和田が登録された。しかし、元メンバーの松平、佐々木、白片修らによって、2006年(平成18年)に登録異議申立てがなされた(商標登録第4650580号)。この異議申立ては却下され和田の権利が維持された。ところが、和田の死後に行われた別件の登録取消審判(取消2006-030921)において、商標の不使用を理由に商標の取り消しが認められ、ロゴの商標登録が消滅した(2008年1月確定)。
ビクターレコード
東芝音楽工業
沖縄煙草産業
キングレコード
ビクターレコード
東芝レコード
キングレコード
年度/放送回 | 曲目 | 対戦相手 |
---|---|---|
1959年(昭和34年)/第10回 | 夜霧のエアー・ターミナル | ザ・ピーナッツ |
1960年(昭和35年)/第11回 | お百度こいさん | |
1961年(昭和36年)/第12回 | 惚れたって駄目よ | こまどり姉妹 |
1962年(昭和37年)/第13回 | 泣かせるね | |
1963年(昭和38年)/第14回 | 男ならやってみな | |
1964年(昭和39年)/第15回 | お座敷小唄 | 五月みどり |
1965年(昭和40年)/第16回 | 愛して愛して愛しちゃったのよ | 倍賞千恵子 |
1966年(昭和41年)/第17回 | 銀座ブルース | こまどり姉妹 |
1967年(昭和42年)/第18回 | 男の夜曲 | |
1989年(平成元年)/第40回 | 誰よりも君を愛す[注 4] | 千昌夫 |
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