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渡辺宜嗣

日本のアナウンサー、キャスター ウィキペディアから

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渡辺 宜嗣(わたなべ のりつぐ、1954年12月19日[2] - )は、日本のフリーアナウンサー。元テレビ朝日エグゼクティブアナウンサー。元テレビ朝日所属のアナウンス部付嘱託契約のニュースキャスター

概要 わたなべ のりつぐ渡辺 宜嗣, プロフィール ...
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来歴

愛知県名古屋市西区出身[2]。実家は祖父の代から続く建具屋[3]愛知県立熱田高等学校明治大学商学部卒業。高校時代に聴いていたミッドナイト東海のディスクジョッキー(つボイノリオ)に憧れてアナウンサーを目指すようになる[4]。大学時代は放送研究会に所属。また、東京アナウンスアカデミーにも通いアナウンサー修業に励んだ。

職務経歴

1977年4月、テレビ朝日に入社[1]。同月より『大相撲ダイジェスト』に出演 ( - 1980年9月)。若手の時期は『エキサイトボクシング』(解説者・ガッツ石松)など、スポーツ実況も担当。古舘伊知郎佐々木正洋は同期入社。

1980年10月より『トゥナイト』のリポーターを担当( - 1985年9月)。[t 1]

1985年4月より『OH!相撲』に出演( - 1988年9月)。

1985年10月より『ニュースステーション』のリポーター役や久米宏の代役を担当( - 2002年9月)。

1985年11月より『なうNOWスタジオ』の司会を担当 ( - 1987年3月20日)。

1987年4月より『気分はシャッフル』の司会を担当 ( - 9月)。

同1987年4月より『朝まで生テレビ!』の司会を担当 ( - 現在)。

1991年4月より『モーニングショー』のメイン司会を担当( - 1993年3月)。

1993年4月より『ステーションEYE』のメインキャスターを担当( - 1995年9月)。

2002年10月より『スーパーモーニング』の司会を担当( - 2007年3月)。

2010年4月より『スーパーJチャンネル』のメインキャスターを担当 ( - 2020年9月)。

2014年12月19日に60歳の誕生日を迎え、同12月いっぱいで定年退職した[5]。定年後もテレビ朝日に嘱託として籍を残し、専属キャスターとして引き続き『スーパーJチャンネル』『朝まで生テレビ!』に出演。『スーパーJチャンネル』はメインキャスターを10年担当した。

2020年10月に、2010年から担当してきた『スーパーJチャンネル』のメインキャスターを勇退[6][t 2]。なお同月より同番組のコメンテーター兼スペシャルリポーターを担当 ( - 2023年9月)。

1985年6月24日、『月曜スペシャル90』独占生中継!!聖子♡正輝結婚(神田正輝松田聖子)で成田空港から司会進行を務めた。リポーターは同期のアナウンサー・佐々木正洋と南美希子が務めていた。

上述以外にも、スポーツ実況、単発番組への出演、代理出演、ゲスト出演など出演多数。また『ドラえもん』の映画シリーズへのナレーター役での出演も多数。→#出演
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パーソナルデータ

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出演

要約
視点

テレビ朝日在籍時代

報道・情報・ワイドショー・討論番組(フリー転身後も含めて)

さらに見る 期間, 番組名 ...

その他(フリー転身後も含めて)

映画

ドラえもん映画作品
特撮作品
その他の作品

フリー

同期のアナウンサー

さらに見る 一覧, 現在の主な活動 ...

補足

渡辺が入社した1977年は、1980年のモスクワオリンピック独占放送権を得た同社が、オリンピックに向けた人材養成を見越してアナウンサーを大量採用した年であった。ちなみに、NET(日本教育テレビ)からテレビ朝日(当時の正式社名は「全国朝日放送」)に名称変更の頃であった。2012年1月時点では、朝(吉澤)・昼(佐々木)・夕(渡辺)・夜(古舘)の各時間帯で1977年入社のアナそれぞれ出演していた(古舘・佐々木は定年前にフリーへ転身、吉澤は2015年に定年退職)。

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脚注

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関連項目

関連人物

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