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渡邉和也

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渡邉 和也(わたなべ かずや、1988年7月20日 - )は、宮城県柴田町出身で短距離走が専門の陸上競技選手400mで45秒71の自己ベストを持つ。2014年世界リレー男子4×400m日本代表

概要 渡邉 和也, 選手情報 ...
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経歴

要約
視点

宮城県柴田町出身。柴田町立船岡中学校宮城県柴田高等学校東北福祉大学卒業、東北福祉大学大学院修了。

高校生時代まで

陸上競技は小学4年の時に始め、高校まで走幅跳中心の選手だった[1][2]船岡中学校時代にジュニアオリンピックD優勝、全日本中学校選手権9位、国民体育大会少年Bで4位に入り、記録面でも7m05の宮城県中学記録(2003年日本中学ランキング1位)を樹立している。柴田高校時代にはインターハイ走幅跳で9位、4×100mRで8位、国民体育大会少年B走幅跳で3位などの成績を残した。

大学生・大学院生時代

東北福祉大学進学後に「走ることのほうが好きだった」と短距離中心の選手になり[1]、2年時に日本学生個人選手権200mで5位。3年になってから始めた400mでは46秒台をマークした[2]。 4年時には日本インカレで400mで初の決勝進出を果たし8位に入賞している。

東北福祉大学大学院では、1年時に日本インカレの200mと400mで決勝進出を果たし、それぞれ8位と4位。10月の国体成年400mでも中野弘幸に次ぐ2位になり、自己ベストも46秒43に伸ばした[2]。 2年時には6月の日本選手権400mに初出場を果たして6位。日本学生個人選手権400mで46秒76の大会新記録を樹立して初の大学日本一に輝くと[3]、関東学連主催のトワイライトゲームス400mで優勝、実業団・学生対抗陸上400mでも実業団選手をおさえて優勝し、9月の日本インカレ400mでは中野弘幸に次ぐ2位で過去最高成績を記録した。10月の国体成年400mでは4位に入賞している。

社会人時代

社会人1年目となった2013年からはミズノチームミズノアスレティックに所属をし、5月の静岡国際400mで45秒71の自己ベストをマークすると、6月の日本選手権400mに2年連続の出場を果たし、石塚祐輔と同着の4位。この結果を受けて7月に行われるアジア選手権の日本代表に選出され、初めて日の丸を背負うことになった。アジア選手権には400mと4×400mリレーに出場し、400mは準決勝で敗退したが、4×400mリレーでは3走を務めて銀メダルを獲得した[4]。初出場となった9月の全日本実業団選手権は400mで石塚祐輔に次ぐ2位。10月の国体成年400mでも石塚祐輔に次ぐ2位で初優勝を逃した。12月には日本陸上競技連盟がリレー種目強化のために発足したナショナルチーム(男子24名、女子14名)の一員に選ばれた[5]

2014年、2月にアジア室内選手権400mに出場し5位[6]。5月に世界リレー日本代表に選出され、4×400mのアンカーを務めてB決勝2位に貢献した[7]。6月の日本選手権400mでは、この種目で10連覇を達成した金丸祐三に次ぐ2位。この結果を受けて9月のアジア大会日本代表に選出されたが、後に右足の怪我のため出場を辞退した[8]

2013年シーズンからミズノチームミズノアスレティックに所属していたが、2015年シーズンよりミズノトラッククラブに昇格した[9]。その後、2016年シーズンをもって退部となった[10]

2017年10月1日付で東北福祉大学に入職したことを、同日に自身のツイッターで明らかにした。

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人物・エピソード

  • 中学1年の時に、学校の砂場が狭いために走幅跳の練習をしているとよく飛び越えてしまっていた。そのことを顧問が柴田町の町長に伝えたところ、砂場を改修してもらったという[1]
  • 趣味は温泉[1]。よく自身のツイッターで温泉に行った様子を報告している。
  • 2016年に入籍し「永浦」姓となった。

自己ベスト

記録欄の( )内の数字は風速m/s)で、+は追い風を意味する。

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主要大会成績

要約
視点

備考欄の記録は当時のもの

国際大会

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日本選手権

4x400mRは日本選手権リレーの成績

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その他

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脚注

外部リンク

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