トップQs
タイムライン
チャット
視点
牛田成樹
ウィキペディアから
Remove ads
牛田 成樹(うしだ しげき、1981年12月6日 - )は、徳島県小松島市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。
愛称は「牛くん」[1]。
Remove ads
経歴
要約
視点
プロ入り前
高校時代は徳島商業高校の野球部に所属し、1999年の第81回全国高等学校野球選手権大会に出場。
明治大学に進学し、大学の同期には呉本成徳、岡本篤志や佐藤賢がいる。東京六大学リーグ戦41試合に登板、6勝5敗、防御率2.61を記録[2]。
プロ入り後
2004年7月28日の東京ヤクルトスワローズ戦で初登板した。
2006年、本来は中継ぎ・抑えの投手ながら、5月9日のイースタン・リーグ対インボイス戦で先発。8回2アウトまでノーヒットノーランを続けたが水田圭介にヒットを打たれた。結局9回をこの1安打のみにおさえて完封勝利。一軍の試合でも7月11日に札幌ドームでの対読売ジャイアンツ戦、8回2失点でプロ初勝利を挙げている。
2007年シーズン序盤は、中継ぎ投手として一軍で出場するも、5月7日に急性大腸炎のため横浜市内の病院に入院。翌日登録を抹消された。入院で体力が落ちたこともあり、その後は1度の一軍登板のみでシーズンを終えた。
2008年は右足首骨折で出遅れたが、8月に戦列復帰し中継ぎで23試合に登板した。
2009年、一軍では中継ぎとして4試合の出場にとどまった。教育リーグに参加したが新型インフルエンザに感染し隔離された。
2010年、春季キャンプは二軍スタートとなったが、一軍キャンプの紅白戦に呼ばれ、奪三振ショーを魅せつけた。独自の筋肉トレーニングも実を結んで、オープン戦で好投し開幕一軍を果たすと、抑えの山口俊へと繋ぐセットアッパーとして活躍。このシーズンに活躍した牛田成樹(Shigeki Ushida)・江尻慎太郎(Shintarou Ejiri)・山口俊(Shun Yamaguchi)・真田裕貴(Hiroki Sanada)の4選手は、投手コーチの野村弘樹から「クアトロS」と呼ばれた(かつてのクアトロKになぞらえたものである)。3年ぶりの白星を挙げた3月31日の巨人戦ではお立ち台で「やじられないように投げた」などと語り、ファンを笑わせた。6月17日には、右肩骨挫傷により一軍登録を抹消されるものの、9月に復帰後もセットアッパーとして安定した投球を続け、自己最高の成績を残した。
2011年は腰痛で開幕を出遅れるものの、5月に戦線に復帰するとセットアッパーとして活躍。しかし夏場に入ると打ち込まれるケースが目立ち、一時二軍落ちを経験。結局自己最多の45試合に登板するものの、防御率は前年より悪化した。
2012年はインフルエンザで開幕に出遅れ、6月に一軍に復帰。しかし6月27日のヤクルト戦で2イニングを4失点と炎上し登録を抹消。そのままシーズンを終え、僅か5試合の登板に終わった。
2013年は1度も一軍に昇格出来ないまま、10月3日に球団より戦力外通告を受けた[3]。11月20日、自身のFacebook上で現役引退することを表明した。
引退後
2015年2月27日、四国アイランドリーグplus・徳島インディゴソックスの投手コーチに就任することが発表された[4]。2シーズン務め、この間にチームの投手からは吉田嵩・福永春吾・木下雄介がNPBドラフト会議で指名を受けた(吉田と木下は育成選手枠)。
2016年シーズン終了後の12月26日、退任が発表された[5]。
Remove ads
選手としての特徴
投球の途中で一度三塁側に顔を向ける独特のフォームから平均球速約140km/h[7]、最速149km/hのストレートと大小2種類のフォークボールを投げ込む。また、時折スローカーブも織り交ぜて投球を組み立てる。2010年春キャンプでは監督の尾花高夫からシュートを直伝された[8]。
人物
大学時代は深夜自主トレを頻繁に行っていたため、警察官から職務質問を5回受けたことがある。
趣味、特技はどちらとも阿波踊り、2007年4月29日のヒーローインタビュー(お立ち台)でも阿波踊りを披露している。
半袖のアンダーシャツを好み、春先やシーズン終盤の寒い時期でも半袖で登板する。本人の言では「腕を思いきりふるために長袖はまとわり付いて邪魔になるから」とのことである[9]。
詳細情報
年度別投手成績
- 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更
記録
- 初記録
- 投手記録
- 初登板:2004年7月28日、対ヤクルトスワローズ17回戦(明治神宮野球場)、8回裏に3番手で救援登板、1/3回1失点[10]
- 初奪三振:2004年10月4日、対読売ジャイアンツ28回戦(横浜スタジアム)、9回表に阿部慎之助から空振り三振[11]
- 初先発:2006年7月2日、対東京ヤクルトスワローズ8回戦(横浜スタジアム)、8回1失点で敗戦投手[12]
- 初勝利・初先発勝利:2006年7月11日、対読売ジャイアンツ10回戦(札幌ドーム)、6回1失点[13]
- 初ホールド:2007年4月30日、対中日ドラゴンズ6回戦(横浜スタジアム)、6回表1死に2番手で救援登板、2/3回無失点[14]
- 打撃記録
- 初安打:2006年7月11日、対読売ジャイアンツ10回戦(札幌ドーム)、3回表にジェレミー・パウエルから中前安打
背番号
- 35(2004年 - 2013年)
- 75(2015年 - 2016年)
- 86(2020年 - 2021年)
Remove ads
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads