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水田圭介

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水田圭介
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水田 圭介(みずた けいすけ、1980年11月4日 - )は、大阪府大阪市西淀川区出身の元プロ野球選手内野手外野手)。右投右打。

概要 ロキテクノ富山 野手総合コーチ #72, 基本情報 ...

愛称は「みず[1]

社会人野球の企業チームのロキテクノ富山で野手総合コーチを務める傍ら、「野球塾ブリジャール」の塾長として小中学生向けの野球指導も行っている。

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経歴

要約
視点

プロ入り前

大阪桐蔭高校時代には通算55本塁打を記録するも甲子園の出場はなかった。高校卒業後はプリンスホテルに進むが、2年目の2000年に野球部の廃部が決まったため、特例措置で規定より1年早くプロ入りする事になり、同年のドラフト西武ライオンズから7位指名を受け入団が決まった。なお同じく西武から8位指名を受け入団した福井強は高校の同級生であり、プリンスホテルでも同期入社であった。

西武時代

ルーキーだった2001年フレッシュオールスターゲーム出場を果たし、一軍昇格も経験。

2005年ファームで3割を打ち、守備だけでなく確実な打撃も評価された。

2006年オープン戦で結果を残し、開幕一軍入りを果たした。遊撃手の中島裕之の故障などで出場機会が格段に増えたが、先発出場は2試合のみで守備固め代走での途中出場がほとんどであった。8月6日北海道日本ハムファイターズ戦で、守備固めとして出場し回ってきた打席で、MICHEALからプロ初本塁打となるランニング本塁打を打った。プロ初本塁打をランニングホームランで達成したのは、武上四郎緒方耕一坪井智哉に次ぐ、2リーグ制以降史上4人目だった。またこれが水田のこの年唯一の安打であった。

2007年は右打ちからスイッチヒッターに転向し、二軍で主力選手として活躍したが、打率2割と低迷した。シーズン終盤に一軍に昇格したが、やはり守備固めとしての出場がほとんどだった。

2008年は本来の右打ちに戻し、2月の紅白戦でルーキーの平野将光から2本塁打を打ったものの、一軍出場は17試合に留まった。打席に立ったのも交流戦の2打席のみであったが、その内容は「投犠打」と「四球」で出塁率10割であった。

2009年7月4日に昇格するが、7日後の11日に藤田太陽とのトレードで阪神に移籍[2]が決定した。これはアレックス・グラマンの離脱などでリリーフ投手が手薄だった西武と内野手の補強を求めていた阪神の思惑が合致した結果であった。トレード発表後の試合となった同日の対オリックス・バファローズ11回戦において、渡辺久信は水田を良い形で送りだそうと、9回裏・同点の場面で二塁打で出塁した上本達之の代走として起用(移籍が決まった選手の試合出場は異例)。試合は延長戦の末片岡易之のサヨナラホームランで西武が勝利し、試合終了後にチームメイトから胴上げされて別れを惜しんだ[3]

阪神時代

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阪神時代(2009年)

2009年7月13日に阪神に支配下登録。背番号は15

一軍では主に守備固めや代走として出場した。

2010年は背番号を32に変更[4]。8月14日には昇格したものの、試合出場がないまま31日に登録を抹消され、一軍公式戦試合出場はなかった。二軍のウエスタン・リーグでは79試合に出場し、打率.263、本塁打3であった。12月24日新井良太とのトレードで中日ドラゴンズに移籍[5]

中日時代

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中日時代(2011年)

2011年1月6日に契約と入団発表が行われた。背番号は阪神時代と同じ32[6]

自身としては5年ぶりに開幕を一軍で迎えるが、目立つ活躍ができず4月30日に二軍に降格。しかし、7月3日に再昇格。井端弘和の打撃不振などで、昇格当日の対巨人戦で7番二塁手で移籍後初スタメン出場を果たし、その試合で移籍後初安打を放っている。しかし、二軍降格後は一度も一軍に上がることなく、11月11日、球団から戦力外通告を受けた[7]。11月24日、東京ヤクルトスワローズに入団することが発表された[8]

ヤクルト時代

2012年は、一軍でわずか2試合の出場に終わった。

2013年は、5月10日に一軍に昇格すると、5月12日の対阪神戦(松山)で7年ぶりに本塁打を放った[9]。水田にとっては、プロ初めてのスタンドインでのホームランであったが、10月8日に球団から2度目の戦力外通告を受ける[10]。現役続行を希望したが、獲得球団は現れず、引退を決断した。

引退後

東京都東大和市のトムス野球塾で講師を務めた[11]。また、2014年4月18日に古巣の埼玉西武ライオンズが企画した「GO!ファンクラブシリーズ」で西武OBとしてノッカーを務めた。

2016年11月1日からはトムス野球塾に代わってオープンした野球塾Brillar(ブリジャール)の塾長を務めている[12]

社会人企業チーム時代

2019年4月より富山県クラブチームロキテクノベースボールクラブ内野手兼任コーチとして現役に復帰することが発表された[13](2020年よりロキテクノ富山にチーム名変更、2021年より企業チームに区分変更)。背番号は6。2020年は背番号を45に変更した。

2020年に楽天の渡辺直人が現役を引退したことにより、NPBにおける松坂世代の野手が現役を引退する一方で、水田は2021年も引き続きロキテクノ富山で現役を続行したため、「松坂世代最後の野手」と表現されることもしばしばあった。2022年からは選手を引退し、野手総合コーチを務めている。

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選手としての特徴

内・外野をこなすユーティリティープレイヤーであり[14]、堅実な守備に定評がある[15]。打撃に課題があるがパンチ力があり、小技が得意[15]

詳細情報

要約
視点

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...

年度別守備成績

さらに見る 年 度, 二塁手 ...

記録

その他の記録
  • プロ初本塁打がランニング本塁打:同上 ※2リーグ制以後4人目

背番号

  • 59 (2001年 - 2004年)
  • 45 (2005年 - 2009年途中)
  • 15 (2009年途中 - 同年終了)
  • 32 (2010年 - 2011年)
  • 54 (2012年 - 2013年)

登場曲

(2007年以前のものは不明)

脚注

関連項目

外部リンク

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