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田代町 (名古屋市)

名古屋市千種区の地名 ウィキペディアから

田代町 (名古屋市)
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田代町(たしろちょう)は、愛知県名古屋市千種区の地名。住居表示未実施[WEB 5]

概要 田代町, 国 ...
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地理

名古屋市千種区の中央部から南東部に位置し、中央部の字岩谷・四観音道西・四観音道東・姫ケ池上・蝮池上の地域と、南東部の字鹿子殿・瓶杁の地域の2つに分かれている。

字一覧

1882年(明治15年)の田代村当時の字は以下の通り。

  • 瓶杁(かめいり)[2]
  • 新池(しんいけ)[2]
  • 唐山(からやま)[2]
  • 東屋敷(ひがしやしき)[2]
  • 牛毛(うしけ)[2]
  • 烏金(からすがね)[2]
  • 大坂(おさか)[2]
  • 鹿子殿(かごとの)[2]
  • 金子硲(かねこはさま)[2]
  • 砥(と)ヶ硲(はさま)[2]
  • 仲田(なかだ)[2]
  • 本山(ほんやま)[2]
  • 前田(まえだ)[2]
  • 四(よ)ツ谷(や)[2]
  • 首利(くびり)[2]
  • 山崎(やまざき)[2]
  • 西田面(にしだおも)[2]
  • 稲葉下(いなばした)[2]
  • 三本松(さんぼんまつ)[2]
  • 小川(こがわ)[2]
  • 楠(くす)[2]
  • 城山(しろやま)[2]
  • 姫(ひめ)ノ池下(いけしも)[2]
  • 竹(たけ)ノ下(した)[2]
  • 坂下(さかした)[2]
  • 坂上(さかうえ)[2]
  • 御棚妻(おたなつま)[2]
  • 東畑(ひがしばた)[2]
  • 池下(いけした)[2]
  • 山下(やました)[2]
  • 八反田(はったんだ)[2]
  • 流(ながれ)[2]
  • 南田面(みなみだおも)[2]
  • 村内(むらうち)[2]
  • 大塚(おおつか)[2]
  • 安田(やすだ)[2]
  • 西畑(にしばた)[2]
  • 二(ふた)ツ池(いけ)[2]
  • 北畑(きたはた)[2]
  • 小坂下(こさかした)[2]
  • 堀割(ほりわり)[2]
  • 月見坂(つきみさか)[2]
  • 越前(こしまえ)[2]
  • 四観音道東(しかんおんみちひがし)[2]
  • 四観音道西(しかんおんみちにし)[2]
  • 岩谷(いわや)[2]
  • 蝮池上(まむしいけかみ)[2]
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歴史

要約
視点

町名の由来

田を作るために開墾した土地であることを示す地名であるという[3]

沿革


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世帯数と人口

2019年(平成31年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 2]

さらに見る 町丁, 世帯数 ...

人口の変遷

国勢調査による人口の推移

2000年(平成12年) 2,326人[WEB 7]
2005年(平成17年) 1,271人[WEB 8]
2010年(平成22年) 1,299人[WEB 9]
2015年(平成27年) 1,356人[WEB 10]

学区

市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 11]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 12]

さらに見る 字名, 小学校 ...

施設

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About OpenStreetMaps
Maps: terms of use
750 m
4
3
2
1
略地図
1
字瓶杁
2
字鹿子殿
3
東山公園
4
名古屋市千種図書館

字瓶杁

名前の由来は、東山古窯址群の陶片の出土。[要出典]

字瓶杁1-50に所在[14]。名古屋市の運営による公立のユースホステルであり、1968年(昭和43年)4月に建設[WEB 13]。利用率の低下、耐震補強工事に多額の費用が必要となったこともあり、2006年(平成18年)をもって閉館となった[WEB 13]
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About OpenStreetMaps
Maps: terms of use
300 m
6
5
4
3
2
1
略地図
1
字岩谷
2
字四観音道東
3
字四観音道西
4
字蝮池上
5
字姫ヶ池上
6
山神社

字岩谷

  • 山神社

字四観音道東

  • メゾン覚王山月宮殿

字四観音道西

字姫ヶ池上

  • 放生池(跡)
江戸時代には「西どろあき池」「西源蔵池」「上姫ケ池」とも称された農業用の溜池であったが、付近に覚王山日泰寺ができたことにより、日泰寺の参拝者がコイやカメを放つことで功徳を得ようとする池へと変貌し、放生池と呼ばれるようになったとされる[16]。東山公園が開園するまでは景勝地として盛んに人を集めたというが、付近の開発により徐々に埋め立てられ、人家の汚水を集めるようになると水質も悪化したことから、1982年(昭和57年)秋に埋め立てられ、消滅[17]。跡地は駐車場として使用されることとなった[18]。以後は姫ケ池通一丁目交差点北西角付近に残された「殺生禁断 放生池」と刻まれた高さ約2メートルの石碑の存在が、当地にかつて池があったことを示しているのみである[19]
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脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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