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白鳥 (列車)
かつて存在した特急列車 ウィキペディアから
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白鳥(はくちょう)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)および西日本旅客鉄道(JR西日本)が、かつて大阪駅 - 青森駅間、直江津駅 - 上野駅間などで運行していた特急列車である。2001年のダイヤ改正で廃止された。
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概要
1961年10月に運行を開始。大阪駅 - 直江津駅間は青森駅発着編成と上野駅発着編成を併結した多層建て列車として運行された。混乱を防止するため国鉄内部では青森駅発着編成を「日本海白鳥」、上野発着編成を「信越白鳥」と区分していた。また「日本海白鳥」は大阪 - 青森間(当時1052.9km)を走るという、昼行特急列車としては日本一の走行距離を有する列車となった。また大阪発基準で「日本海白鳥」が下り、「信越白鳥」が上り列車となる。
- 日本海白鳥
- 信越白鳥
青森駅では青函連絡船深夜便を介し北海道内の特急「おおぞら」に接続。
- 連絡船の深夜便に接続するダイヤは連絡船の便名をとって「1便接続」と呼ばれたが、接続列車の列車番号も1D(「はつかり」・「おおぞら」)、2001D(「白鳥」)など下一桁が1で統一されており、以後廃止されるまで踏襲された。
1965年10月1日のダイヤ改正で上野駅発着の「白鳥」を「はくたか」と系統分離した後、青森駅発着の「白鳥」が単独で運行され、上越新幹線開業後に、急行「しらゆき」の格上げにより一時的に福井〜青森間で1往復増発されたが、再び大阪〜青森間の1往復のみとなり、国鉄分割民営化を経て2001年3月3日のダイヤ改正により、大阪駅 - 金沢駅間は「雷鳥」、金沢駅 - 新潟駅間は「北越」、新潟駅 - 青森駅間は「いなほ」に系統分割され廃止された[1]。
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運行概況
停車駅
担当乗務員区所
能生騒動
運行開始当初、単線ゆえの列車待ち合わせのため、北陸本線能生駅(当時・西頸城郡能生町、現・糸魚川市)に「白鳥」が運転停車するダイヤが組まれたが、誤って駅の時刻表や一般の時刻表に発車時刻が掲載された。これが一漁村である能生駅に新しい特急列車が客扱い停車をすると伝わってしまい、地元はたちまちお祭り騒ぎになった。
運行開始日に大勢の人が「白鳥」を出迎えたが、停車するだけでドアを開けずにそのまま走り去ってしまい、出迎えた地元の人々は愕然とした。騒動は国鉄の不祥事としてマスコミによって日本中に伝えられ[4]、「能生(のう)はNO!」などという流行語も生まれた。
→「能生駅 § 能生騒動」も参照
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使用車両
要約
視点
車両は前年の1960年に開発され東北本線特急「はつかり」に投入されたキハ81系の改良型となるキハ82系新造車が充当された。
- キハ81系は初の特急形気動車であり開発期間が短かったことも災いし初期故障を頻発させたことからマスコミから「はつかり、がっかり、事故ばつかり」と
揶揄 ()された。そのためキハ82系では故障防止のために入念な試運転などが行われた。しかし1963年の冬期には38豪雪によって運行不能となる事態が発生しマスコミから「瀕死の白鳥」と皮肉られたこともあった。
日本海白鳥・信越白鳥ともに、同一のキハ82系標準とされる1等車(現・グリーン車)・食堂車各1両を連結した6両編成で組成された。それぞれの有効時間などの兼ね合いで、両編成とも食堂車は日本食堂により営業されたが、担当営業所は日本海白鳥と信越白鳥とでは異なっており、編成ごとのメニューの相違から、当該列車の常連客は気分や好みで使い分けをしたり、味の比較を行ったりしたエピソードも残っている[5]。
1972年10月に白新線・羽越本線の電化により485系電車に置換えられた当時は「運行距離世界最長の電車列車」と称された。
- 「白鳥」485系編成(1972年10月2日現在)[9]
その他
1998年1月29日大阪発、翌30日青森発「白鳥」は583系10両編成で運転され、臨時「日本海」などに次ぐ583系による3電源直通運転となった[10]。
降雪や暴風など列車が大幅に遅れた場合には、途中区間から特発として他区所の485系を用いた「白鳥」を見ることができた。その一例を示す[11]。
- 485系3両編成(南秋田運転所・かもしか編成)による「白鳥」(秋田 → 青森)
- 485系9両編成(上沼垂運転区)による「白鳥」(新潟 → 大阪)[注 2]
気動車運行時、北陸本線の米原駅 - 富山駅間が不通の時は高山本線経由で迂回運転したことがある[12]。また、1967年6月27日には、膳所駅で発生した脱線事故の影響で東海道本線が不通となったことを受け、青森行「白鳥」が京都〜敦賀間を山陰本線、舞鶴線、小浜線経由で迂回して運転した(当時湖西線は未開通だったため、そのルートで迂回するしかなかった)。
沿革
- 1961年(昭和36年)10月1日: ダイヤ改正によりキハ82系気動車で大阪駅 - 直江津駅 - 青森駅・上野駅間の特急「白鳥」運行を開始。
- 1962年(昭和37年)
- 1963年(昭和38年)4月20日:信越白鳥の運用を向日町運転所へ移管。
- 1965年(昭和40年)10月1日:ダイヤ改正により信越白鳥は上野駅 - 金沢駅間の「はくたか」として分離。「白鳥」は大阪駅 - 青森駅間の運行になると同時に日本海白鳥の呼称の使用を終了した。また新津駅 - 新発田駅間は白新線経由となり、新潟駅での客扱いを開始。新たに羽後本荘駅に停車、客扱いを開始。
- 1972年(昭和47年)10月2日:白新線・羽越本線電化完成により大阪駅 - 青森駅間の全線電化が完成。「白鳥」は青森運転所(→青森車両センター現・盛岡車両センター青森派出所)所属の485系電車に置換えられて電車化。大阪駅 - 青森駅の所要時間が13時間40分となる[2]。
- 1975年(昭和50年)3月10日:ダイヤ改正で山科駅 - 近江塩津駅間を前年開業の湖西線経由に変更[注 3]。これにより大阪駅 - 青森駅の所要時間は12時間47分となる[2]。新たに温海駅(現・あつみ温泉駅)に停車、客扱いを開始。
- 1978年(昭和53年)
- 1982年(昭和57年)11月15日:ダイヤ改正により、金沢駅 - 青森駅間の急行「しらゆき」を発展的解消させ、福井駅 - 青森駅間で福井白鳥を1往復を増発。増発分は青森運転所所属の485系9両編成(グリーン車1両連結、一部の「はつかり」と「いなほ」と共通運用の為、食堂車は不連結)が担当し、「白鳥」は計2往復となる。白鳥3・2号の停車駅に柏崎駅と坂町駅が追加される。
- 白鳥1・4号の停車駅
- 福井駅 - 芦原温泉駅 - 加賀温泉駅 - (小松駅) - 金沢駅 - 〔石動駅〕 - 高岡駅 - 富山駅 - 〔滑川駅〕 - (魚津駅) - 糸魚川駅 - 直江津駅 - 〔柿崎駅〕 - 柏崎駅 - 長岡駅 - 〔見附駅〕 - 東三条駅 - 〔加茂駅〕 - (新津駅) - 新潟駅 - 新発田駅 - (中条駅) - 坂町駅 - 村上駅 - あつみ温泉駅 - 鶴岡駅 - 酒田駅 - (象潟駅) - (仁賀保駅) - 羽後本荘駅 - 秋田駅 -〔八郎潟駅〕 - 〔森岳駅〕 - 東能代駅 - 鷹ノ巣駅 - 大館駅 - 〔大鰐駅(現・大鰐温泉駅)〕 - 弘前駅 - 青森駅
- ()はその後、大阪駅 - 青森駅便の「白鳥」号の停車駅に追加、〔〕は白鳥1・4号廃止後、「白鳥」号が一切しなくなった駅。
- 白鳥3・2号は、「鳥海」との車両運行のやり繰りの都合上、11月15日〜12月22日の間、グリーン車不連結で運転していた日があった。
- 1984年(昭和59年)11月1日:大阪駅発着の2・3号に連結されていた食堂車の営業を休止し、編成から外す。
- 1984年(昭和59年)日時不詳:「白鳥」1・4号のグリーン車の連結が「いなほ」号との共通運用の関係で編成から外れる。
- 1985年(昭和60年)3月14日:ダイヤ改正で福井駅 - 青森駅間の「白鳥」1・4号を「北越」・「いなほ」の2列車に系統分割して福井白鳥を廃止。再び1往復となる。
- 1986年(昭和61年)11月1日:ダイヤ改正で日本海縦貫線に関係する特急車両配置基地の見直しを行った結果、車両配置を上沼垂運転区(現・新潟車両センター)に移管のうえ、普通車1両減車の9両編成とする[14]。
- 1988年(昭和63年)3月13日:青函トンネル開通に伴うダイヤ改正で「白鳥」の対北海道接続[注 5]が従来の青函連絡船から青森駅 - 札幌駅間の夜行急行「はまなす」に変更。新たに象潟駅、仁賀保駅に停車、客扱いを開始(但し、2往復時代は、1・4号が停車していた)。
- 1990年(平成2年)3月10日:前述のアコモ改良の進捗に伴い、アコモ改良編成が毎日充当されるようになる[15]。
- 1997年(平成9年)3月:車両配置を京都総合運転所に移管。
- 1999年(平成11年):秋田駅 - 青森駅間の車内販売営業廃止。
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脚注
参考文献
関連項目
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