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石田泰三

日本の野球選手 (1934-2017) ウィキペディアから

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石田 泰三(いしだ やすぞう、1934年6月11日 - 2017年4月26日[1])は、福岡県豊前市[2]出身のプロ野球選手内野手)。

概要 基本情報, 国籍 ...
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経歴

小倉高校では、1年生の時に控え選手として1951年夏の甲子園に進む。1回戦で芦屋高に全員安打を喫し大敗[3]。3年時にはエースとして1953年春の選抜に出場。御所実の田原康行(阪急ブレーブス)、銚子商の原精次(大映スターズ)に投げ勝ち準決勝に進むが、加藤昌利のいた洲本高に敗退[4]。同年夏の甲子園県予選でも準決勝に進出するが、東筑高仰木彬投手に抑えられ甲子園出場はならなかった。高校同期に遊撃手有町昌昭がいた。

1954年中日ドラゴンズへ入団[2]し、内野手に転向。1955年に一軍に上がり、7月には二塁手として初の先発出場を果たす。翌1956年も二塁手、三塁手として起用されるが、その後は出場機会に恵まれず1957年限りで引退。

退団後は社会人野球河合楽器に所属した。

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...

背番号

  • 65 (1954年)
  • 41 (1955年)
  • 24 (1956年 - 1957年)

脚注

関連項目

外部リンク

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