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碑文谷

東京都目黒区の町名 ウィキペディアから

碑文谷
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碑文谷[5](ひもんや)は、東京都目黒区の地名。現行行政地名は碑文谷一丁目から碑文谷六丁目。住居表示実施済区域。

概要 碑文谷, 国 ...

地理

地区内には東京都道318号環状七号線(環七通り)および東京都道312号白金台町等々力線(目黒通り)の2つの重要幹線道路があり、両者が交差する柿の木坂陸橋は、重要な交通要所になっている。

公共交通の面では、目黒通りを中心とするバス路線網が充実しており、山手線目黒駅方面への便は非常に良い。最寄りの鉄道駅東急東横線学芸大学駅都立大学駅および東急目黒線西小山駅。他に徒歩で利用可能な駅として、東急大井町線・東急目黒線大岡山駅等がある。

地価

住宅地の地価は、2025年令和7年)1月1日公示地価によれば、碑文谷4-12-14の地点で100万円/m2となっている[6]

歴史

碑文谷は、かつては東京府荏原郡にあったである[5]1889年明治22年)の碑衾村成立、1927年昭和2年)の町制施行を経て1932年(昭和7年)に東京市目黒区に入りその町名となる[5]。かつてはタケノコの産地として有名であったが、次第に宅地化された。

地名の由来

かつての荏原郡碑文谷郷、後の碑文谷村に由来する。応永32年(1425年)に記された『日運記』の中には既に「碑文谷」という地名が著されている。碑文谷の由来には碑文谷八幡宮内稲荷社に保存されている梵字を刻んだ「碑文石」のある谷(里)ないし秘文の谷(里)(「世田谷城名残常磐記」)が起源とするもの、鎌倉・室町期からの加工品「檜物(ひもの)」作りが盛んであったことに由来するなど、諸説ある[7]

住居表示実施前後の町名の変遷

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世帯数と人口

2025年(令和7年)3月1日現在(目黒区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

さらに見る 丁目, 世帯数 ...

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

さらに見る 年, 人口 ...

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

さらに見る 年, 世帯数 ...

学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2025年4月現在)[14]

さらに見る 丁目, 番地 ...

交通

鉄道
路線バス

目黒駅や都立大学駅を起点とした東急バスの路線網が発達している。特に、碑文谷線(黒01系統)は東急バス全体の中で一番本数が多い。詳しくは以下を参照。

経済

要約
視点

事業所

2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[16]

さらに見る 丁目, 事業所数 ...

事業者数の変遷

経済センサスによる事業所数の推移。

さらに見る 年, 事業者数 ...

従業員数の変遷

経済センサスによる従業員数の推移。

さらに見る 年, 従業員数 ...

産業

農業

日本紳士録』や『人事興信録』によると、碑文谷では安藤、菅田、角田、富岡、宮野姓の人物が農業を営んでいた[18][19][20][21][22][23]

商工業者

『日本紳士録』によると、碑文谷の商工業者は保険代理業の安藤[18]白米商の角田[20]、貸地業の角田[24]、荒物商・貸金業の角田[20][24]、荒物商の富岡[22]などがいた。

店舗・企業

地主

『日本紳士録』や『人事興信録』によると、碑文谷の地主は、角田倉[21]角田長雄[25][26]角田元亮[25][27]、角田光五郎、富岡金蔵[19]、富岡佐七[22]、宮野菊蔵[18]などがいた。

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地域

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出身・ゆかりのある人物

政治・経済

学術

医師

居住者

その他

日本郵便

関連項目

参考文献

  • 篠田皇民『東京府市名誉録』東京人事調査所、1925年。
  • 交詢社 編『日本紳士録 第31版』交詢社、1927年。
  • 交詢社 編『日本紳士録 第32版』交詢社、1928年。
  • 交詢社 編『日本紳士録 第33版』交詢社、1929年。
  • 交詢社 編『日本紳士録 第34版』交詢社、1930年。
  • 人事興信所 編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
  • 交詢社 編『日本紳士録 第35版』交詢社、1931年。
  • 交詢社 編『日本紳士録 第36版』交詢社、1932年。
  • 交詢社 編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
  • 交詢社 編『日本紳士録 第38版』交詢社、1934年。
  • 日本書房 編『日本地名大辞典 第5巻』日本書房、1937-1938年。
  • 交詢社 編『日本紳士録 第45版』交詢社、1941年。
  • 人事興信所 編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。

脚注

外部リンク

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