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佳子内親王

日本の内親王 ウィキペディアから

佳子内親王
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佳子内親王(かこないしんのう、1994年平成6年〉12月29日 - )は、日本皇族身位内親王敬称殿下[2]お印ゆうな勲等宝冠大綬章[3]

概要 佳子内親王, 続柄 ...
概要 称号:内親王, 敬称 ...
概要 皇室 ...

第126代・今上天皇(徳仁)。今上天皇の弟宮で皇嗣皇位継承順位第1位)である秋篠宮文仁親王の次女。皇位継承順位第2位の悠仁親王の姉。

上皇第125代天皇・明仁)の孫である。

近親皇族として2014年(平成26年)12月に成年皇族となると、宮中行事に参列するほか、公務に携わっている。少年の主張全国大会や全国高校生手話パフォーマンス甲子園、全日本高等学校馬術競技大会などの出席が恒例となっており、外国公式訪問を経験するなど、公務の幅を広げ、最近では主だった皇族の活動を非常に多く担っている[4]

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概要

秋篠宮文仁親王同妃紀子の第2女子。明仁(第125代天皇・上皇)の孫。徳仁(第126代天皇・今上天皇)の傍系(姪)にあたる。姉に小室眞子(眞子内親王)、弟に悠仁親王がいる。2021年(令和3年)現在、内親王としては最年長。住居は、東京都港区元赤坂赤坂御用地内にある旧・御仮寓所(ごかぐうしょ)[5][6]

年譜

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2015年(平成27年)撮影
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外遊歴(単独公式訪問)

2019年令和元年)9月、初めての外国公式訪問として、国交樹立150周年を迎えたオーストリアハンガリーを訪問した[18]。滞在中、大統領表敬や国交樹立150周年の記念式典などに出席したほか、日本人学校を視察するなど在留邦人とも交流した[19]9月22日には、ハンガリー西部にあるバラトン湖のほとりの街、ティハニ[20]を訪れ、地元の90歳の女性に「お元気でいらっしゃいますね」と声をかけた[21]。そして、記念撮影にも応じた[22]。訪問終了後、「関係してくださった多くの方々から温かい歓迎と様々なご配慮をいただきましたことに,心より感謝の気持ちを表したく思います」などと感想を述べた[23]

2023年(令和5年)11月、二度目となる外国公式訪問として、国交樹立150周年を迎えたペルーを訪問した。機材トラブルのため到着が一日遅れたが[24]、それ以降は順調に公務を行うことができた[25]。訪問終了後、「日本から移住された方々とそのご子孫が、幾多の困難や哀しみを乗り越え、誠実に、勤勉に、お互いに助け合いながら日々を過ごしてこられたことに、そして、ペルー社会から信頼を得ながら、ペルー社会に貢献してこられたことに改めて思いをいたしました」などと感想を述べた[26]

2024年(令和6年)5月、三度目となる外国公式訪問として、日本・ギリシャ文化観光年及び国交樹立125周年を迎えたギリシャを訪問した[27]。訪問終了後、「ギリシャでの出会いや出来事はどれも大切なものであり、これからも強く心に残り続け、度々に思い返すことと思います」などと感想を述べた[28]

さらに見る 年, 出国 ...

栄典・称号

勲章

日本

外国

役職

賞歴

  • 2005年(平成17年)4月2-3日、2005年スプリングトロフィー・フィギュアスケート競技大会
    • 1級女子小学4年以上の部 - 優勝(8人中1位)
  • 2007年(平成19年)3月31日 - 4月1日、2007年スプリングトロフィー・フィギュアスケート競技大会
    • ノービスB(3級以上)女子小学6年以上の部 - 優勝(13人中1位)

系譜

佳子内親王 父:
文仁親王秋篠宮
祖父:
上皇明仁
曾祖父:
昭和天皇
曾祖母:
香淳皇后
祖母:
上皇后美智子
曾祖父:
正田英三郎
曾祖母:
正田富美子
母:
紀子
祖父:
川嶋辰彦
曾祖父:
川嶋孝彦
曾祖母:
川嶋紀子
祖母:
川嶋和代
曾祖父:
杉本嘉助
曾祖母:
杉本栄子
 
 
 
 
 
 
 
 
歴代天皇
 
歴代皇后
 
親王
 
内親王女王
 
臣籍降下
 
 
 
 
大正天皇(明治天皇の子)
 
貞明皇后(大正天皇の妻)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昭和天皇(大正天皇の子)
 
香淳皇后(昭和天皇の妻)
 
秩父宮雍仁親王(大正天皇の子)
 
雍仁親王妃
勢津子
(秩父宮雍仁親王の妻)
 
高松宮宣仁親王(大正天皇の子)
 
宣仁親王妃
喜久子
(高松宮宣仁親王の妻)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三笠宮崇仁親王(大正天皇の子)
 
崇仁親王妃
百合子
(三笠宮崇仁親王の妻)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
東久邇成子
(照宮)
(昭和天皇の子、臣籍降下)
 
久宮祐子内親王(昭和天皇の子)
 
鷹司和子
(孝宮)
(昭和天皇の子、臣籍降下)
 
池田厚子
(順宮)
(昭和天皇の子、臣籍降下)
 
上皇
明仁
(昭和天皇の子)
 
上皇后
美智子
(上皇明仁の妻)
 
常陸宮正仁親王(昭和天皇の子)
 
正仁親王妃
華子
(常陸宮正仁親王の妻)
 
島津貴子
(清宮)
(昭和天皇の子、臣籍降下)
 
近衞甯子(三笠宮崇仁親王の子、臣籍降下)
 
寬仁親王(三笠宮崇仁親王の子)
 
寬仁親王妃
信子
(寬仁親王の妻)
 
桂宮
宜仁親王
(三笠宮崇仁親王の子)
 
千容子(三笠宮崇仁親王の子、臣籍降下)
 
高円宮憲仁親王(三笠宮崇仁親王の子)
 
憲仁親王妃
久子
(高円宮憲仁親王の妻)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
天皇
徳仁
(明仁の子)
 
皇后
雅子
 
皇嗣秋篠宮文仁親王(明仁の子)
 
皇嗣妃文仁親王妃紀子(秋篠宮文仁親王の妻)
 
黒田清子
(紀宮)
(明仁の子、臣籍降下)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
彬子女王(寬仁親王の子)
 
瑶子女王(寬仁親王の子)
 
 
 
 
 
承子女王(高円宮憲仁親王の子)
 
千家典子(高円宮憲仁親王の子、臣籍降下)
 
守谷絢子(高円宮憲仁親王の子、臣籍降下)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
敬宮愛子内親王(徳仁の子)
 
 
 
小室眞子(秋篠宮文仁親王の子)
 
佳子内親王(秋篠宮文仁親王の子)
 
悠仁親王(秋篠宮文仁親王の子)
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人物・逸話

  • 賜剣の儀で天皇から授けられた守り刀は、隅谷正峯の作。隅谷は1991年(平成3年)に眞子内親王の守り刀に始まり、1993年(平成5年)に皇太子妃雅子、1994年(平成6年)の佳子内親王と、皇室関係の作刀を4年間に三度行っている。
  • 祖母である上皇后美智子が手がけていた皇后御親蚕を母の紀子、姉の眞子内親王と共に手伝っていた。御親蚕において採取されたで織られたは、皇族が儀式に用いる着物に仕立てられ、佳子内親王も瑞鳥であるをあしらった晴れ着を仕立てた[41]
  • 同様に1997年(平成9年)から、眞子内親王とともに祖父にあたる明仁が行っていた稲作も手伝っている[42]
  • 上皇(当時は天皇)は、2010年(平成22年)12月23日の誕生日会見で、「御所で、皇太子一家、秋篠宮一家が集まり、大人同士が話し合っているようなとき、佳子は、よく愛子や悠仁の面倒を見、一緒に遊んでくれます。佳子のこのような気遣いをうれしく思っています」と述べ、佳子内親王の心配りに謝意を表した[43]
  • 宮家の当主ではないので宮号を冠しないが、学校生活の他、スケート大会などにおいては、「秋篠宮佳子」の名で登録されている。スケート大会の選手紹介では「秋篠宮佳子さま」と一般的な敬称で呼ばれる。
  • フィギュアスケートは、学習院初等科2年から始める。所属は明治神宮外苑FSC。東京の地方大会であるスプリングトロフィー・フィギュアスケート競技大会には2002年(平成14年)-2003年(平成15年)シーズンから2008年(平成20年)-2009年(平成21年)シーズンにかけて出場し、2007年(平成19年)4月にはノービスBクラスにおいて優勝している。
  • 2010年(平成22年)に行われた学習院女子中・高等科の学園祭では、5人のグループで少女時代AKB48などの楽曲のダンスを披露した[44][45][46]
  • 手芸が得意で[47]、弟宮の悠仁親王のためにフェルト玩具を作ることもある。また、2007年(平成19年)秋に開催された宮内庁職員の作品展には、軍手を素材に制作したぐりとぐら人形(姉・弟との合作)を出品している[48]
  • 赤坂御用地内でのジョギングを日課としている[49][50]
  • 2021年10月26日、姉の眞子が30年を過ごした赤坂御用地を出発する際に最後に家族との挨拶で姉を抱擁した[51][52][53][54]
  • それから9日後の11月4日には、母方の祖父に当たる学習院大学名誉教授の川嶋辰彦が、逝去。6日に行われた家族葬に一家で出席[55][56]。翌7日には母・紀子とともに都内の斎場へ川嶋との最後の別れに駆け付けた[57]。以降の30日間は服喪期間中として、「慶事」などのお祝い事は避けている。
  • 左利きである[58]
  • 今上天皇は、にあたる佳子内親王のことを「佳子ちゃん」と呼んでいる[59][60][61]
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発言

  • 2019年3月、国際基督教大学の卒業に当たり、宮内記者会の質問に文書で回答した[15]。姉の眞子内親王の結婚延期について「私は結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています。姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい」との思いを明かした[15]。また、メディア報道に関して「メディア等の情報を受け止める際に、情報の信頼性や情報発信の意図などをよく考えることが大切だと思っています」とコメントしている[15]
  • 2021年10月26日、姉の眞子内親王の結婚を受けて「姉は自分にとってとても大切な存在。結婚に関して誤った情報が事実であるかのように取り上げられたこと、多くの誹謗中傷があったことを私もとても悲しく感じていた。小室圭さんが姉のことを大切に思ってくださっていることをありがたく感じている。2人が結婚できたことを嬉しく思っている」と文書でコメントを公表した[53]
  • 2023年11月4日、ペルーの世界遺産マチュピチュ遺跡を訪問、同行する記者に問いかけられ「すごく壮大な景色で、写真では拝見したことがあったのですけれども、この場に立って見てみると、おーという感じがすごくします」などと感想を述べた[62]。またふもとのマチュピチュ村の役場を訪問し、役場内に飾られた初代村長で発展に力を尽くした野内与吉(福島県大玉村出身)の写真を見た佳子内親王は、こうした縁で2015年に友好都市協定を結んだ大玉村とマチュピチュ村について、「さまざまな分野で交流や協力関係が続いていきましたら、本当にうれしく思います」と話した[62]
  • 2024年5月27日、「日本・ギリシャ文化観光年」と、両国の外交関係樹立から125年となることを記念する式典に臨み、ギリシャ側の歓迎のあいさつに続いてスピーチし「パルテノン神殿を間近に見ながら、約2500年も前の高度な技術や、その壮大さや優美さ、地道な保存修復の努力に感銘を受けました」と述べた[63]。そして、今回の訪問をきっかけに子どもの頃に読んだ古代ギリシャ寓話イソップ物語」の「北風と太陽」などを読み返したとしたうえで、「古代のギリシャが、今の日本にも息づいていることを感じます」と話した[63]
  • 2024年9月21日、鳥取県境港市出身で世界的に活躍した写真家、植田正治の作品を展示している伯耆町植田正治写真美術館を訪問し、作品の特徴などについて副館長からの説明に耳を傾けながら、一つ一つの写真をじっくりと鑑賞した[64]山陰地方の自然や人物を撮った写真に「吸い込まれるような感じがします」などと感想を述べた[65]
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事件

2015年平成27年)5月21日インターネット電子掲示板に佳子内親王の名を挙げ、「逆らえないようにしてやる」などと危害を加える内容の書き込みをして、皇宮警察の業務を妨害したとして、東京都新宿区大久保2丁目の無職の男が偽計業務妨害の疑いで逮捕された[66][67]。男は大筋で容疑を認めているという[68]。逮捕された男は、投稿内容が事件として報道されているのを知り、5月20日夜に新宿警察署へ出頭した[69]。男は「(掲示板を)盛り上げるためだった。業務を妨害するとは思っていなかった」「佳子さまが好きだった」などと供述した[70][71]

その約3ヶ月後の2015年8月14日、佳子内親王が通う国際基督教大学(ICU、東京都三鷹市)に、佳子内親王に危害を加えると予告する文書を送ったとして、警視庁京都市伏見区の会社役員の男を威力業務妨害の疑いで逮捕した[72]。逮捕された男は容疑を認めているという。脅迫文には逮捕された男の知人男性の名刺が同封されていた。男は「恨みがあり、男性を陥れようと思った」などと話しているという[73]

脚注

参照文献

外部リンク

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