トップQs
タイムライン
チャット
視点

第1混成群

ウィキペディアから

Remove ads

第1混成群(だいいちこんせいぐん、JGSDF 1st Combined Group)は、沖縄県那覇市那覇駐屯地に駐屯していた第1混成団の隷下部隊である。

概要 創設, 廃止 ...

成立過程

沖縄復帰後の沖縄県を担任する部隊のひとつとして北熊本を中心に高遊原・目達原等の駐屯地に部隊が間借りする形で臨時第1混成群として編成された。復帰から5ヶ月たった1972年(昭和47年)10月に那覇駐屯地へ移駐、第6高射特科群が沖縄へ移駐し、第1混成団が編成されるまでの間、沖縄の陸上防衛の主力を担った。1973年(昭和48年)10月に第1混成団が編成されると後方支援隊など一部の部隊が団直轄となり、残余の部隊は第1混成群として第1混成団隷下の部隊となった。

2010年(平成22年)3月末の第15旅団への改編に伴い廃止され、第51普通科連隊および第15施設中隊に再編成された。

妨害活動

歴史的経緯より自衛隊への感情があまりよくない沖縄へ移駐するに当たって、公団住宅への入居拒否、成人式への参加拒否、住民登録拒否など公私・合法非合法問わずさまざまな妨害活動や抗議活動があった[1]1972年(昭和47年)10月6日には移駐第一陣、わずか100名の隊員しかいない那覇駐屯地を約8,000人のデモ隊が取り囲んだ。

一方で、初代第1混成群長で沖縄出身の桑江良逢は著書の中で下記の理由からこれらの抗議や妨害の根幹は単なる(活動家の身内に対する)パフォーマンスや自衛隊という存在に対する知識の無さによるものではなかったのではないかと感じたとしている。

  • 移駐第一陣の抗議活動において自衛隊の通らない民間用出口でのみ抗議活動をしていた。(駐屯地に入ってしまえば余計に追い出しにくくなるのに)
  • 駐屯地に抗議団が来たので面会に行くと抗議文を読み上げたらすぐ帰ろうとしてしまう。
  • 新聞記者を同行したとき、抗議団の人数が多い時は同行していないときに比べて態度が強硬になる。
  • 複数団体の抗議団が来た時、桑江が一人で面会するので抗議団にも一名代表を出すように促しても拒否される。
  • 抗議割当表なるものが存在し、各団体に日時が割り当てられているがだんだん来なくなった。同級生には今度行く予定だがもう行ったことにしとくといわれた。
  • タクシーの運転手は当初駐屯地営門への運輸を拒否することは無かったが、営門内へ入ることを極度に嫌がった。これは1年程度で解消された。(復帰前の米軍基地のように駐屯地内が治外法権というイメージ)
  • タクシー運転手同様、自衛隊側の説明にもかかわらず自治体の職員も調査や指導はできないと信じ込んでいたが数か月でイメージが刷新され正常に行えるようになった。なお、住民登録拒否の中にあっても義務教育、免許の更新などはおおむね問題なく実施できた。
  • デモのシュプレヒコールが当初『日本軍帰れ』だったのが1973年(昭和48年)ごろから『自衛隊帰れ』に変わった。
Remove ads

沿革

臨時第1混成群

第1混成群

  • 1973年(昭和48年)10月16日:第1混成団が編成され、隷下部隊として第1混成群が那覇駐屯地において編成完結。
  • 1994年(平成06年)3月28日:第301重迫撃砲中隊が那覇駐屯地に新編。
  • 2010年(平成22年)3月25日:第1混成群が第1混成団の第15旅団への改編に伴い廃止。

廃止時の部隊編成

  • 第1混成群本部
  • 本部管理中隊「1混群-本」
  • 第301普通科中隊「1混群-301普」
  • 第302普通科中隊「1混群-302普」
  • 第301重迫撃砲中隊「1混群-301重迫」
  • 第301施設中隊「1混群-301施」

主要幹部

さらに見る 代, 氏名 ...
さらに見る 代, 氏名 ...
Remove ads

脚注

参考文献

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads