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練馬区の町名
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本項練馬区の町名(ねりまくのちょうめい)では、東京都練馬区に存在する、または過去に存在した町名を一覧化するとともに、明治時代初期以来の区内の町名の変遷について説明する。
練馬区の前史と行政区画の移り変わり
要約
視点
明治維新以後
東京都練馬区は、昭和22年(1947年)8月1日、従前の板橋区の一部が分区して成立した。以下、明治時代初期から練馬区成立までの行政区画の変遷について略述する。
現在の練馬区の区域は、かつては武蔵国豊島郡及び新座郡(にいくらぐん)に属し、近世末には以下の15村が存在した。
- 豊島郡
- 上練馬村、下練馬村、中村、中新井村、土支田村、上石神井村(かみしゃくじいむら)、下石神井村、関村、谷原村(やはらむら)、田中村、田中新田、竹下新田、江古田新田
- 新座郡
- 小榑村(こぐれむら)、橋戸村
明治維新以降、これらの村は武蔵知県事の支配を経て、明治2年1月〜2月(1869年2月〜3月)には大部分が小菅県、一部が大宮県(県庁は日本橋馬喰町)・品川県に編入された。上掲の村のうち豊島郡の12村(江古田新田を除く)は、明治2年1月、小菅県に編入されたが、数週間後の同年2月には品川県に編入された。一方、江古田新田は、明治2年1月、大宮県に所属。同県は同年9月県庁が浦和に置かれ浦和県に改称した。
明治4年7月(1871年8月)、前述のとおり廃藩置県が実施された。同年11月(1872年1月)、従来の東京府、品川県、小菅県が廃止されて、新しい東京府が設置され、豊島郡のうち浦和県管轄だった部分も東京府に編入されることとなった。以上により、江古田新田を含む13村は東京府の所属となった。廃藩置県に際し、府内は6大区・97小区に分けられた(いわゆる大区小区制)。明治7年(1874年)3月、区割りが見直され、あらためて11大区・103小区が設置された。上述の13村のうち、江古田新田は第9大区第4小区、その他は第8大区第7・8小区に属した。
新座郡の小榑村と橋戸村(現在の練馬区大泉地区)は、明治2年2月、品川県に編入されたが、廃藩置県後は東京府ではなく入間県に編入された。入間県は明治4年11月(1871年12月)、旧川越県に旧品川県の一部を併せて成立した。明治5年(1872年)、入間県においても大区小区制が行われて、上記2村は第2大区第7小区に所属。明治6年(1873年)6月には入間県が当時の群馬県と合併して熊谷県となった。さらに明治9年(1876年)8月には入間県が再度分割され、旧入間県域は埼玉県の一部となった。こうして小榑村と橋戸村は、明治24年(1891年)までは埼玉県に属していた。
その後、郡区町村編制法の施行に伴い、大区小区制は廃止され、明治11年(1878年)11月2日、東京府下に15区6郡(荏原、南豊島、北豊島、東多摩、南足立、南葛飾)が置かれた。後に練馬区となる区域(大泉地区除く)は、このうちの北豊島郡に属し、小榑村と橋戸村(現在の大泉地区)は埼玉県新座郡のうちとなった。
市制・町村制施行以後
明治22年(1889年)、市制・町村制が施行され、東京市(15区からなる)が成立、東京府下の6郡は、既存の町村が整理統合されて85町村となった。85町村のうち北豊島郡に属していたのは19町村で、このうち上板橋村の一部と、下練馬村、上練馬村、中新井村、石神井村が現在の練馬区域にあたる。これら各村と、整理統合前の旧村との対応関係は以下のとおりである。
- 上板橋村(一部) - 江古田新田、旧上板橋村(字小竹)
- 下練馬村 - 下練馬村
- 上練馬村 - 上練馬村、下土支田村
- 中新井村 - 中村、中新井村
- 石神井村 - 上石神井村、下石神井村、関村、上土支田村、谷原村、田中村、田中新田、竹下新田
このうち、上土支田村・下土支田村は、もとの土支田村が明治2年頃に上・下に分かれて成立した。田中新田は田中村の北方に離れて位置する新田で、田中村と同一村と見なされる場合もあった。下練馬村は昭和3年(1928年)に町制施行して練馬町となった。
小榑村と橋戸村は明治22年に合併して埼玉県新座郡榑橋村(くれはしむら)となったが、この村名は2年間しか続かなかった。明治24年(1891年)、榑橋村は石神井村上土支田および埼玉県新座郡新倉村長久保を編入。同時に東京府の所属となり、東京府北豊島郡大泉村と改称した。
昭和7年(1932年)10月1日、東京市は周辺の5郡(荏原、北豊島、豊多摩、南足立、南葛飾)に属する82町村を編入し、いわゆる大東京市が成立した。なお、従前の6郡のうち、南豊島郡と東多摩郡が明治29年(1896年)に合併して豊多摩郡となっている。編入された82町村は20区に編成され、東京市は既存の15区と合わせ、35区から構成されることとなった。この時、北豊島郡板橋町、上板橋村、志村、赤塚村、練馬町、上練馬村、中新井村、石神井村、大泉村の2町7村の区域をもって板橋区(後の練馬区の区域を含む)が新設された。
昭和18年(1943年)7月1日、東京府と東京市が廃止されて、新たに東京都が設置された。この時、板橋区を含む35区は東京都直轄の区となった。昭和22年(1947年)3月15日、35区は22区に再編される。この時点では板橋区の区域には変更はなかったが、5か月後の同年8月1日、旧練馬町・上練馬村・中新井村・石神井村・大泉村の全部、旧板橋町の一部に該当する区域が練馬区として分区した。
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旧町名
要約
視点
明治22年の市制町村制施行時、旧村の大幅な廃置分合(合併)が実施されたが、旧村名はそのまま合併後の村の大字名に引き継がれる例が多かった。ただし、竹下新田は隣の関村の一部とみなされ、大字関乙となった。昭和7年の板橋区(当時)成立時には大字田中が石神井南田中町と石神井北田中町(旧田中新田)に分かれ、旧小榑・橋戸・上土支田が東・西・南・北大泉町と大泉学園町に変更されるなどの変化があった。
以下は、明治22年(1889年)以前の旧村名、明治24年(1891年)の大泉村成立時の大字名、昭和7年(1932年)の板橋区(当時)成立時の町名の対照表である。
練馬区では、1963年から順次区内の住居表示が実施され、1990年までにほぼ全域の住居表示実施が完了した(埼玉県新座市内にある区の飛地の西大泉町を除く)。なお、豊玉地区、中村地区など、区の南西部では住居表示法施行以前から町名地番整理が進められている。
以下は、住居表示実施以前の、1960年現在の町名と現行町名の対照表である。
※住居表示が1月1日に施行されている場合は、その前年を旧町名の廃止年とした。
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現行行政地名
要約
視点
練馬区では大泉地区のごく一部を除き、住居表示の実施が完了している。以下は住居表示実施後の町名と、当該住居表示実施直前の旧町名の一覧である。旧町名の後に「(全)」と注記したもの以外は当該旧町域の一部である。
練馬区役所区民課管内(46町丁)
早宮区民事務所管内(33町丁)
光が丘区民事務所管内(48町丁)
石神井区民事務所管内(26町丁)
大泉区民事務所管内(35町丁)
関区民事務所管内(12町丁)
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脚注
参考文献
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