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若林隆信
日本の元プロ野球選手 ウィキペディアから
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若林 隆信(わかばやし たかのぶ、1974年2月26日 - )は、佐賀県佐賀市出身の元プロ野球選手(投手、内野手)、社会人野球選手。右投左打。父・若林淳至も元プロ野球選手である。
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来歴・人物
佐賀学園高時代は、エースとして2年次の1990年夏の甲子園と3年次の1991年夏の甲子園に連続して出場。2年次は初戦敗退、3年次には2回戦で谷口功一(天理高)から本塁打を打つなど3回戦まで進出した[1]。高校通算46本塁打。
1991年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから3位指名を受け、内野手として入団。
1995年には一軍初登板を果たすが、同年オフに音重鎮、山田和利とのトレードで広島東洋カープへ移籍。
1997年には、サイドスローからのシンカーを武器に中継ぎとして30試合に登板する。
1998年には故障もあり4試合の登板に留まる。
1999年からは再び野手に転向。ここで野手登録として一軍初出場を含む18試合に出場し、打率3割1分6厘と結果を残す。
2001年から社会人野球のミキハウスへ入団し、ここでもまた投手に転向する。その後、社会人野球のクラブチームである宮崎ゴールデンゴールズのコーチ兼任外野手として活躍していた。
2008年に故郷の佐賀県へ戻り、子供たちに基礎的な野球の体つくりの指導をとおして将来活躍する選手の育成を目指す[2]と共にNPO法人ホークスジュニアアカデミーのコーチに就任。
2004年秋には埼玉県で行われた彩の国まごころ国体(軟式野球一般B)に出場。
2023年から、福岡ソフトバンクホークスで野球振興部スタッフに就任することが発表された[3]。
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詳細情報
年度別投手成績
年度別打撃成績
記録
- 初記録
- 投手記録
- 初登板:1995年7月30日 対広島東洋カープ18回戦(広島市民球場)、5回裏から3番手救援で登板、2回1失点
- 打撃記録
背番号
- 30 (1992年入団時)
- 00 (1992年 - 1993年)
- 68 (1994年 - 1995年)
- 65 (1996年)
- 48 (1997年 - 2000年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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