トップQs
タイムライン
チャット
視点
郷ひろみの宴ターテイメント
ウィキペディアから
Remove ads
『郷ひろみの宴ターテイメント』(ごうひろみのえんターテイメント)は、テレビ朝日が制作し1989年4月19日から[1]11月22日まで[2]放送された、郷ひろみの冠番組にして彼が初めて[要出典]司会をつとめた音楽番組である。
概要
1989年4月19日から11月22日まで1~2カ月に1回『水曜スーパーテレビ』の企画の1つとして全6回放送された。収録は当時のテレビ朝日六本木センターの第7スタジオで第1回~第4回は生放送、第5回以降は事前収録の形式でそれぞれ行われた。
制作スタッフのプロデューサー・演出はフジテレビで『夜のヒットスタジオ』のプロデューサー・演出をしていた疋田拓が担当[3]。番組の構成作家やスタジオを飾るオーケストラバンド、音楽監督など主要スタッフは『夜のヒットスタジオ』のスタッフをそのまま起用していた。
当時音楽番組に弱かったとされるテレビ朝日は、同時期に『アイドル共和国』(こちらも担当は疋田拓)も毎週土曜日に生放送することとなった。「司会・ホスト役が郷ひろみ」「番組担当者が疋田拓」「90分の音楽番組」の3点から開始時には他局の音楽番組担当者も注目し、「できることなら自分の番組の裏ではやってほしくない」などのコメントまで出た[4]。また第4回、第5回の放送には郷ひろみの司会パートナーとして芳村真理も出演、疋田の古巣であったフジテレビからは「もう勘弁してくれ」などの声が出たと噂が飛び交った[4]。
しかし、期待したほどの視聴率は取れず放映は半年間に止まった。
Remove ads
番組テーマ曲
※タイトルバック、オープニングで毎回この曲を郷ひろみが生歌披露で始まるというパターンだった。
ゲスト
- 第1回(1989年4月19日)[1]:阿川泰子[1]、栗田貫一[1]、コロッケ[1]、沢田研二[1]、中山美穂[1]、長山洋子、元・朝潮[1]、森進一[1]、八代亜紀[1]
- 第2回(1989年5月24日)[5]:浅香唯[5]、今井美樹[5]、とんねるず[5]、布施明[5]、渡辺裕之[5]
- 第3回(1989年6月21日)[6]:稲垣潤一[6]、江川卓[6]、加藤登紀子[6]、田中裕子[6] ※衛星中継テレサ・テン[6] (下記)
- 第4回(1989年8月23日)[7]:西城秀樹[7]、野口五郎[7]、峰さを理、宮川泰(ゲスト指揮) ※赤坂プリンスホテル内のクリスタル・パレスから生放送[8]
- 第5回(1989年10月25日)[9]:荻野目洋子[9]、谷村新司[9]、テレサ・テン[9]、布施明[9]
- 第6回(1989年11月22日)[2]:石川さゆり[2]、沢田研二[2]、細川たかし[2]、森進一[2]
特別衛星中継:テレサ・テン
1989年6月21日、テレサ・テンの歌唱を香港ヴィクトリア公園に鄰接するホテルのスイートルームから衛星中継した。同年4月~6月の北京の六四天安門事件により、テレサ・テンは最新アルバム『浪漫主義』の日本での6月24日の宣伝をキャンセルし、当番組で最新曲『香港 Hong Kong』を歌唱した。衛星中継のディレクターは岩城利明。
スタッフ
- 企画:皇達也
- 構成:塚田茂、玉井貴代志、鈴木桂、和山泰明、山賀淳子 / スタッフ東京
- 音楽:広瀬健次郎
- 振付:西条満
- 踊り:スクールメイツ
- 演奏:三原綱木とザ・ニューブリード / エンターテイメント'89
- 技術(TD):宮崎輝夫、杉村俊明
- カメラ:宮田一、黒川祐治、松野功夫、辻井明、江原淳一
- 技術アシスト:生沼登
- 映像:城口順、松村清
- 音声:大塚良一、宮沢庸介
- 照明:鈴木秀、高見光平 / バリライトアジア
- 照明アシスト:春山勝
- 音響:西村光二、伊藤泰久
- 美術:妹尾河童 / 高見和彦、石上久、池上隆
- 美術装置:フジアール / クリエイティブトウキョウ / 佐藤松子、大谷重正
- 大道具:川村盛博 / テルミック
- 電飾:岩城一康
- 視覚効果:渡部宏一、藤原憲之 / 東京特殊効果
- タイトル:安田達夫
- 花師:高橋永順
- 楽器:タバタ音楽事務所
- スタイリスト:梅原久沙永 / SUNデザイン研究所
- ディレクター:岩城利明、石黒正人
- プロデューサー:中村元一
- 総合プロデューサー・演出:疋田拓[8]
Remove ads
関連項目
脚注
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads