トップQs
タイムライン
チャット
視点
森進一
日本の歌手 (1947-) ウィキペディアから
Remove ads
森 進一(もり しんいち、1947年〈昭和22年〉11月18日 - )は、日本の歌手、シンガーソングライター、社会福祉活動家。本名:森内 一寛(もりうち かずひろ)。
山梨県甲府市生まれ、鹿児島県鹿児島市育ち[2][3]。森音楽事務所所属。長男はONE OK ROCKのTaka、次男は、はてな[4][5]、三男はMY FIRST STORYのHiro。
Remove ads
人物
演歌歌手という括りで扱われることが多いものの、本人は演歌歌手と呼ばれるのは不愉快とし、流行歌手であるとしている[6]。そのため、演歌の枠に捉われず常に新たな音楽の領域に挑戦し続ける幅広い音楽性の持ち主でもある。一聴して森と分かる、独特のハスキーボイスを特徴とする[7]。「演歌の枠にとらわれず、いい音楽であれば何の障壁もなく耳を傾け、自分の世界に取り込みたい」という彼の思いに共感する松本隆、大瀧詠一、長渕剛、小室哲哉など他ジャンルのアーティスト達と積極的に交流し、提供曲を精力的に歌い、発表した。
1968年『第19回NHK紅白歌合戦』に初出場して以来、2015年(第66回)の紅白まで48回連続出場[8]。初めてトリを務めたのは、出場2回目である1969年(第20回)の「港町ブルース」で、白組におけるトリ歴代最年少記録を持つ。トリ通算出場回数は9回で、美空ひばり、五木ひろし、北島三郎(いずれも13回)に次いで歴代第4位。トップバッターは2回務めている。
大原麗子・森昌子との結婚歴があり(いずれもその後離婚[注 1])、昌子との間に誕生した3人の息子のうち、長男・森内貴寛は元NEWSのメンバーで、現:ロックバンド「ONE OK ROCK」のボーカリスト(TAKA)、次男はテレビ東京の社員[9]およびミュージシャンのはてな[5]、三男・森内寛樹はロックバンド「MY FIRST STORY」のボーカリスト(Hiro)であり、その妻は女優の山本舞香である[10]。2024年暮れには次男が既に結婚しており、初孫が生まれたことを明らかにしている[10]。
鳥越俊太郎とは、親交があり2014年の都知事選挙では応援演説に駆けつけている[11]。
ディック・ミネの元妻が森の親戚にあたる。また、俳優の小倉一郎は親戚(互いの曾祖母が姉妹同士)であり、森は自らの座長公演で小倉とたびたび共演している。
後述の『じゃがいもの会』などの社会福祉・篤志活動でもその名を高めた。また、日本中央競馬会に馬主登録をしており、フォーレストムーンなどを所有していた[12]。
Remove ads
来歴
要約
視点
生い立ち
山梨県甲府市で、朝鮮半島清津市生まれで引揚者の母・森内尚子と、母の幼馴染の兄で元大日本帝国海軍軍人の父・白砂三郎の長男として生まれる。3人で静岡県沼津市へ移転後妹と弟が生まれるが、10歳の時に父親のギャンブル癖などが理由で両親が離婚[14]、母と妹弟とともに母の幼馴染だった父の妹を頼り下関へ移転、母子家庭となり、一寛も新聞配達で家計を支える。その後母の郷里・鹿児島に落ち着き、鹿児島市立長田中学校卒業と同時に集団就職で大阪に出て移住した。金の卵と呼ばれた若年労働者として、最初は寿司店に勤めるも1か月で退職、家族に仕送りするために少しでもいい賃金を求めて17回も職を替えた[15]。
デビュー
1965年(昭和40年)、フジテレビ系の素人参加歌番組『リズム歌合戦』に出場して優勝。チャーリー石黒にその才能を見出され、渡辺プロダクション(ナベプロ)に所属した。芸名の名付け親はハナ肇であり、本名の「森内」と「一寛」から1字ずつ取り、渡辺晋のシンを進と読み替えて合成した氏名であった[16]。
1966年(昭和41年)、猪俣公章作曲、吉川静夫作詞による「女のためいき」でデビュー。元は普通の声であり、ルックスも良く、また森が実家へ仕送りをする必要もあったことからポップス系でデビューさせる予定でスクールメイツ入りさせた。しかし個性が弱いとして、チャーリー石黒は売れるためには声を潰し、演歌を歌うしかないと森と渡辺プロを説得した。
森が初めて演歌をリリースした楽曲は、レコードデビューから後の3枚目のシングル「女の波止場」。『明星』1967年3月号の新曲コーナーには「『女のためいき』が80万枚を突破した森進一さんですが、こんど、はじめてともいうべき演歌を吹き込みました。『女の波止場』がそれで、彼独特のかすれた声が、せつない女ごころを、みごとに歌いあげています。(ビクター)」とある[17]。
「恍惚のブルース」でほぼ同時期にデビューした青江三奈と共にため息路線として売り出された。猪俣はその後の彼の数多くの代表曲を手がけることになる。美声歌手が主流だった当時の歌謡界において、かすれ声で女心を歌う森のデビューは衝撃的であり、世間からは「ゲテモノ」「一発屋」と酷評された[18]。しかしその後も「命かれても」「盛り場ブルース」と立て続けにヒットを重ね、ついにはデビュー3年目の1968年、ヒット曲「花と蝶」で『第19回NHK紅白歌合戦』(NHK総合・ラジオ第1、#NHK紅白歌合戦出場歴参照)に初出場を果たした。
円熟期
1969年(昭和44年)には全国の港町の情景を織り込んだ「港町ブルース」を発表。22歳の若さで第11回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞を受賞、さらに出場2回目にしてこの年の『第20回NHK紅白歌合戦』のトリを務めた[注 2]。1971年(昭和46年)には「おふくろさん」(作詞・川内康範、作曲・猪俣公章)が発売され、同曲で2度目の最優秀歌唱賞を受賞した(第13回日本レコード大賞最優秀歌唱賞)。また、『第22回NHK紅白歌合戦』にも同曲で出場し、3年連続でトリを務めた。
1972年(昭和47年)、森の狂信的なファンの女性から婚約不履行、未成年者略取[注 3]で告訴された。実際には女性の主張していた内容は全くの狂言だったが、彼女がそうした妄想にとらわれるようになったのは、以前病気療養中の森の母を見舞った際に母から親切に対応されたのがきっかけだった。このことを苦にした母は、翌1973年に47歳でガス自殺した。山口地裁が森の全面勝訴を言い渡したのはその半年後だった。
1974年(昭和49年)にはフォークソング全盛期の黄金コンビ、岡本おさみ作詞、吉田拓郎作曲の「襟裳岬」を発表。同曲で第16回日本レコード大賞、第5回日本歌謡大賞など多くの音楽賞を獲得し、『第25回NHK紅白歌合戦』で自身初の大トリを務めた。この「襟裳岬」との出会い以降、森の歌の世界は転換期を迎え、通常の演歌歌手にはない趣向を持ち始める。
独立
1979年(昭和54年)2月に、デビュー以来約14年間にわたり在籍したナベプロから独立し、「森音楽事務所」を設立した。一流スターが多く在籍する大手事務所からの独立は、芸能界における自身の居場所を失う可能性を示唆していた。しかし同年夏、再起を賭けて発表した「新宿・みなと町」がヒット、以降の活動に弾みをつける契機となった。このころ、ナベプロ時代の同僚だった既婚者の大原麗子との関係が取り沙汰され、1980年(昭和55年)に大原と結婚した。
1982年(昭和57年)に松本隆作詞、大瀧詠一作曲(両者とも元・はっぴいえんど)による「冬のリヴィエラ」を発表した。ポップス系のこの曲により、従来とは異なる新たなファン層を開拓した[19]。この頃の活動は、公私共に充実し順風であるとしながらも、実際の夫婦生活は既にすれ違いが生じていたと言われる。大原麗子とは、1984年(昭和59年)に離婚した。大原は離婚会見で、その理由を「家庭に男が2人いた」と語る。
社会福祉活動
離婚後、新しい挑戦として社会福祉活動「じゃがいもの会」を設立した。デビュー当時より面識があり、社会福祉活動に力を注ぎ、その前年からユニセフ親善大使の職を拝命されていた黒柳徹子がこれに賛同した。さらに歌手仲間である原田直之、小林幸子、森昌子らが参加した。この「じゃがいもの会」での活動により、歌手以外の社会的活動家としての「森内一寛(本名)」の一面が開花し、1998年(平成10年)の長野オリンピックの委員会理事、カンボジア地雷除去キャンペーン活動の発起人、在日外国人を支援援助する社会福祉法人「さぽうと21」の理事など、以後数多くの福祉・社会的活動に参画している。この活動には、独立当初の騒動で迷惑を掛けた人々への感謝と贖罪の意味があったという。この活動は新しい出会いを作るきっかけともなり、約1年半の交際を経て、1986年(昭和61年)10月1日に昌子と結婚した。昌子はこれを機に歌手を一旦引退。3児を授かり非常に仲睦まじい夫妻の在り方は、一般に理想的な家庭像・夫婦像のイメージとして広く認知されるようになった。
昌子との結婚式はテレビで生中継され、視聴率45.3%を叩き出すなど、日本中の注目を集めた。ただ、その裏では自宅に空き巣が入ったという[20]。
1988年(昭和63年)の「京都去りがたし」でシングルとしては2回目の作曲を手掛け、はじめて作曲者「森進一」のクレジットでリリースする。
闘病
2001年(平成13年)の『第52回NHK紅白歌合戦』で妻・昌子と共演する。翌2002年(平成14年)から昌子とジョイント・コンサートを行うようになり、デュエットソングも2曲発表している(書籍扱いという異色の発売方法)。しかし、これがきっかけで夫婦仲が悪化、昌子との意見の相違などがあり、結婚19年目の2005年(平成17年)3月に別居した。その心労もあってか、間も無くして長年の持病であったC型肝炎をこじらせて入院した。4月19日には所属事務所から2人の離婚が発表された。闘病中にはうつ病にかかるが、2006年(平成18年)3月に回復して退院した。
2008年(平成20年)10月5日に、台東区蔵前にあるビクターのショールームで新曲「波止場」の発表を兼ねたファン限定のミニライブを開催、そのステージ上で2年前にC型肝炎が完治したことを報告した。
2014年(平成26年)5月10日に放送された『ザ・インタビュー〜トップランナーの肖像〜』で、肺がんの手術を行ったことを明かしている[21]。
おふくろさん騒動
2007年(平成19年)2月、おふくろさん騒動が勃発、川内康範との確執が表面化した[注 4]。両者はついに和解に至ることのないまま、2008年4月6日に川内は逝去した。2008年(平成20年)11月に、森と川内の遺族が和解したことが明らかになり、1年9か月に及んだ騒動に一応の終止符が打たれた。話し合いの席には関係者らと森やレコード会社が同席したという。同年の『第59回NHK紅白歌合戦』に出演した際に「おふくろさん」を歌唱した。この時、冒頭で川内に謝罪を行った。
カバーアルバム
2009年(平成21年)11月25日には尾崎豊の「I LOVE YOU」や石川さゆりの「天城越え」など、演歌からJ-POPまで様々なジャンルの曲を集めたカバーアルバム『Love Music』をリリースした。コブクロの「蕾」では、自身初の多重録音によるハーモニーを聴かせている[22]。
デビュー50年、紅白勇退
『NHK紅白歌合戦』には第19回(1968年)の初出場から連続出場を続け、第64回(2013年)に北島三郎が勇退してからは最多出場となった。デビュー50周年となった2015年、第66回に48回目の出場を果たすが、12月4日、公式サイトで同回限りでの勇退を宣言する[23][24]。同回の紅白ではトリ前で「おふくろさん」を披露、半世紀にわたる紅白出場に終止符を打った。連続出場48回は五木ひろしに抜かれるまで歴代最長だった[注 5]。
Remove ads
音楽作風
先述の通り、演歌歌手と呼ばれることを嫌い、流行歌手として[6]、固定観念に捉われず様々なジャンルの作品を歌うことを信条としている。一般的に形式を重んじ急激な変化を好まない演歌界において、森のようなスタイルは稀少である。森への楽曲提供者には岡本おさみ、吉田拓郎、大瀧詠一、松本隆、井上陽水、谷村新司、シャ乱Qメンバー、須藤晃、長渕剛[注 6]、細野晴臣、松山千春、BORO、坂井泉水(ZARD)、小室哲哉といった多彩な顔ぶれが名を連ねる。演歌嫌いを公言して憚らなかった淡谷のり子からも、その音楽性を賞賛された[注 7]。森はこうした自身の多彩な活動について「僕が歌ってきたのは演歌ではなく流行歌です」と説明している[15]。
日本の国民的な作曲家である古賀政男の知遇を得て、その薫陶を受けたこともまた特筆すべきである。プロ歌手として3年目の1968年(昭和43年)には古賀メロディーを集めたアルバム『影を慕いて』が製作された。「人生の並木路」の録音の際には歌の内容を自らの人生に重ね合わせてしまい、涙を抑えることができなかった。後日の録り直しを申し出る森に対し、古賀は「歌は生き物だからこれでいいんだ」とそのままOKを出したという[26]。
エピソード
1974年発売の「襟裳岬」は、「森に何か新しい発想のレコードを」という方針で、作曲者の吉田拓郎が「森さんみたいな人に書いてみたい」という話をしており実現に至った。しかし、ビクターレコード上層部や渡辺プロダクションのスタッフの反応は「フォークソングのイメージは森に合わない」「こんな字余りのような曲は森に似合わない」と評され、拓郎もこれ以上直せないところまで推敲を重ねたものの、当初はB面扱いだった。当時の森は、母親の自殺や女性問題から苦境に立たされていたが、当時森と同様のスキャンダルに巻き込まれていた拓郎からの思いやりと、同曲の3番の歌詞に感動した森が渡辺プロダクションのスタッフの反対を押し切り、両A面という扱いに変更して発売した[27][28][29]。また、森が「襟裳岬」で初めて大トリを務めた『第25回NHK紅白歌合戦』では、レコード大賞からの移動で慌てていたこともあり、ズボンのファスナーを開けたまま歌唱し、間奏のときに白組の先輩歌手らが森の周りを囲む間にズボンのファスナーを閉める一幕があった。
1975年3月にはラジオ放送を含めたNHK放送開始50周年の記念式典がNHKホールにて行われ、特別来賓として出席した昭和天皇・香淳皇后を前に森が「港町ブルース」を披露した。当日は天覧歌唱という舞台でもあったためか、森は1番と2番の歌詞を一部間違え、番ごとに変わるはずの地名の箇所を「宮古 釜石 気仙沼」と2回繰り返して歌ってしまうアクシデントがあった[30]。
1977年10月26日放映のTBS系大映テレビ制作ドラマ明日の刑事の第4話「男と女の東京物語」にて当時のヒット楽曲「東京物語」を題材としたドラマに歌唱するシーンも含めて俳優として出演した。
長男のTakaと一時期確執があり、長男が高校を中退したことを知った際に勘当したものの、青山のスナックでバイトをしていることを知り、長男がバイトしているスナックに訪れて生活費を渡したという。
坂本九が、日本航空123便墜落事故で不慮の死を遂げた直後の1985年8月21日放送のフジテレビ系『夜のヒットスタジオDELUXE』では、森が坂本への追悼の意を込めて、当日歌唱予定であったオリジナル曲「うさぎ」の歌唱を急遽取り止めて、坂本の代表曲「見上げてごらん夜の星を」を涙ながらに熱唱した。その際にスタジオにいた司会の芳村真理を初め、出演者・スタッフのみならず多くの視聴者の涙を誘った。森はこの後も他のテレビ番組でも幾度か披露したほか、自身のオリジナルアルバムにも同曲を収録した。
Remove ads
ディスコグラフィ
シングル
- 全てビクターからリリース。
デュエット・シングル
企画シングル
アルバム
- 女のためいき/森進一 ベスト・ヒット(1967年)SJV-315
- 影を慕いて(1968年5月25日 / 2005年3月9日、CD化)- 古賀政男作品カバー・アルバム
- 森進一 女ごころを唄う(1968年8月15日 / 2008年10月1日、CD化) - カバー・アルバム
- ひとり酒場で/森進一 ベスト・ヒット第2集(1968年10月5日)
- 無情の夢(1969年12月5日 / 2008年10月1日、CD化) - 懐メロのカバーアルバム
- 森進一のブルース(1970年7月5日 / 2005年3月9日、CD化)SJX-48 - カバー・アルバム
- 波止場女のブルース/森進一 ベスト・ヒット第3集(1970年9月5日)SJV-469
- 旅路(1971年3月10日 / 2005年3月9日、CD化)SJX-60 - 初のオリジナル・アルバム ※「おふくろさん」収録
- 流れのブルース/森進一 ベスト・ヒット第4集(1971年)SJV-550
- 再会(1971年12月5日 / 2005年3月9日、CD化) - 吉田正作品カバー・アルバム
- 女の詩情(1972年4月25日)SJV-576
- 輪廻/愛と哀しみのさすらい(1972年8月25日) ※「旅路のはてに」収録
- 森進一物語〜ある歌手の限りなき道〜(1973年1月25日 / 2007年1月24日、CD化)SJX-111 ※「故郷」収録
- くちべに怨歌(1973年6月25日) ※「くちべに怨歌」収録
- 旅情(1974年3月25日 / 2007年1月24日、CD化)
- 湯けむりの町(1975年2月25日 / 2007年1月24日、CD化) - 日本のフォークのカバー・アルバム ※「湯けむりの町」収録
- 別れの接吻(1975年7月25日)GX-1006 ※「別れの接吻」「女がひとり」収録
- 心の旅路(1976年3月5日)SJX-10120 ※「故郷」収録
- 愛と涙(1976年)SJX-10136 ※「つくり花」収録
- 夜行列車(1977年8月25日)SJX-20001 ※「夜行列車」収録
- 追想(1978年)SJX20082 ※「雪よおまえは」「林檎抄」収録
- 男坂・女坂(1979年) ※「きみよ荒野へ」収録
- 新宿・みなと町(1979年8月1日 / 2020年11月18日、配信)SJX-20143 - カバー・アルバム ※「新宿・みなと町」収録
- 翔べ!(1979年10月1日)SJX-20153 ※「新宿・みなと町」収録
- 一番短い小説・男と女がいた(1980年11月15日 / 2009年10月21日、CD化)SJX-30022 - 阿久悠プロデュース ※「夢という名の女」収録
- ブランデーグラス 有線ヒットメロディーを唄う SJX-30073 - カバー・アルバム
- 命あたえて(1981年10月21日) ※「命あたえて」収録
- 男の真情(1982年7月5日) ※「男の真情」「哀愁行路」収録
- 北酒場(1982年) - カバー・アルバム
- 紐育物語(1983年5月21日) ※「冬のリヴィエラ」「紐育物語」収録
- 人を恋うる唄(1984年) ※「人を恋うる唄」「待たせたね」収録
- 夢芝居(1984年12月16日) - カバー・アルバム
- 北国神話(1985年1月 / 2009年10月21日、CD化) - 「北の螢」収録
- わが故郷は心のふるさと(1986年2月21日) ※「わが故郷は心のふるさと」「止まり木のブルース」収録
- 時を紡いで(1987年2月21日) ※「ゆうすげの恋」収録
- 悲しいけれど(1987年9月21日) - カバー・アルバム ※「悲しいけれど」収録
- 浅き夢見し さよならの女たち(1988年6月21日)SJX-30359 ※「京都去りがたし」「挽歌の街から」収録
- 花物語(1990年9月21日)
- 風のエレジー(1990年10月21日) ※「風のエレジー」「移り香」収録
- 酒無情(1991年4月21日) ※「酒無情」「ひとり東京の片隅で」収録
- 劇場の前〜野口雨情作品集〜(1992年10月21日) ※「劇場の前」収録
- うそつき(1994年6月22日) ※「土俵の鬼」収録
- 女恋港(1995年7月21日) - 全曲森進一作曲 ※「女恋港」収録
- こころの雫〜平成和讃(2000年9月21日) - 五木寛之のプロデュース・全作詞
- 人生ひたすら…(2006年6月21日) ※「人生ひたすら」「たずねて小樽」収録
- Love Music(2009年11月25日) - カバー・アルバム
ライブ・アルバム
- 熱唱の森進一 オン・ステージ(1974年9月15日) - 2LP
- 全国横断リサイタル(1975年) - CD-4
- 全国横断リサイタル 明日に向かって(1976年) - 2LP
- オリジナル・コンサート〜愛と涙のオン・ステージ(1977年)
- オリジナル・コンサートII〜男と女の季節(1978年1月10日)
- 時は流れて・・いま 森進一イン武道館(1980年)
- サマーコンサート’84(1984年)
- 熱唱!森進一最新コンサート・ライブ(1989年1月1日)
- '98 森進一リサイタル 〜女心(1998年7月23日)
ベスト・アルバム
- 花と涙/森進一のすべて(1969年10月) -2LP
- 演歌(1970年12月5日) - 2LP
- 森進一(1971年10月25日)
- 波止場町/全ヒット曲集(1972年6月25日)SJV-583〜4 - 2LP
- 豪華盤 森進一のすべて(1972年11月25日)SJV-609〜10 - 2LP
- スーパーデラックス(1973年7月25日)DX-10004
- ベスト・コレクション(1973年11月25日)SJV-681〜2 - 2LP
- グランド・デラックス(1974年7月25日)
- ベスト・コレクション'75(1974年11月25日) - 2LP
- ゴールデン・デラックス(1974年12月5日) - CD-4
- スーパー・デラックスNO.2(1975年)
- ベスト・コレクション'76(1976年)SJV-830〜31 - 2LP
- 愛と哀しみの谷間で/ベスト・コレクション(1976年)SJV-901〜2 - 2LP
- ある世界 GX-23
- ベストヒットアルバム(1978年)GX-31
- EXCEL ONE 森進一のすべて(1981年)X678
- 夢という名の女/ベストヒットアルバム(1981年)
- スーパーコレクション(1984年)
- 北の蛍(1984年)
- 全曲集(1985年)
- 冬のリヴィエラ〜サマータイム(1986年4月21日)
- 北の螢〜北上夜曲(1986年4月21日)
- スーパーベスト(1985年12月16日)
- BEST SELECTION 森進一のすべて(1986年11月1日)
- CDファイル/森進一Vol.1(1988年2月21日)
- CDファイル/森進一Vol.2(1988年2月21日)
- CDファイル/森進一Vol.3(1988年2月21日)
- CDファイル/森進一Vol.4(1988年2月21日)
- ベスト・コレクション〜冬の桑港(1989年2月21日)
- 指輪/うさぎ 最新オリジナルベスト(1989年9月21日)
- BEST ONE 決定版 森進一(1989年10月21日)
- 古賀メロディー・ベスト10選(1989年10月21日)
- ベスト・セレクション(1990年11月25日)
- 全曲集(1991年11月25日)
- 愛しい人よ〜森進一セレクション(1992年1月21日)
- 悲しい歌が流行ります(1992年7月22日)
- ベスト・セレクション(1992年12月2日)2CD
- わるいひと〜森進一作曲全集(1993年7月21日)
- 猪俣公章追悼アルバム〜さらば友よ(1993年7月28日)
- 全曲集(1994年11月2日)
- 昭和の名曲選(1)青い山脈(1995年2月22日)
- 昭和の名曲選(2)別れの一本杉(1995年2月22日)
- 昭和の名曲選(3)黒い花びら(1995年2月22日)
- 昭和の名曲選(4)おふくろさん(1995年2月22日)
- 昭和の名曲選(5)襟裳岬(1995年2月22日)
- 古賀メロディーを唄う(1995年3月24日)
- 女のためいき〜森進一シングルファイル1(1995年6月28日)
- 港町ブルース〜森進一シングルファイル2(1995年6月28日)
- おふくろさん〜森進一シングルファイル3(1995年6月28日)
- 冬の旅〜森進一シングルファイル4(1995年6月28日)
- 襟裳岬〜森進一シングルファイル5(1995年6月28日)
- さざんか〜森進一シングルファイル6(1995年6月28日)
- 新宿みなと町〜森進一シングルファイル7(1995年6月28日)
- 冬のリヴィエラ〜森進一シングルファイル8(1995年6月28日)
- 北の螢〜森進一シングルファイル9(1995年6月28日)
- ゆうすげの恋〜森進一シングルファイル10(1995年6月28日)
- 京都去りがたし〜森進一シングルファイル11(1995年6月28日)
- わるいひと〜森進一シングルファイル12(1995年6月28日)
- 女恋港〜森進一シングルファイル13(1995年6月28日)
- TWIN BEST(1995年6月28日)
- ベスト(1995年11月22日)
- ベスト(1996年11月21日)
- BEST ONE 森進一 ベスト(1997年10月22日)
- 女心〜森進一 ベスト(1998年11月6日)
- 全曲集(1998年11月6日) 2CD
- 全曲集(1999年11月20日)
- ファンが選んだ森進一ベスト(2000年11月22日)
- 全曲集(2002年12月18日)
- 全曲集(2003年11月26日)
- セルフカバー・アルバム(2005年9月22日)
- ベスト(2005年11月23日)
- 全曲集〜たずねて小樽〜(2006年10月18日)
- ベスト〜人生ひたすら〜(2007年9月21日)
- 阿久悠作品集(2007年12月19日)
- ベスト(2008年11月19日)
- 全曲集〜ゆらぎ〜(2009年11月25日)
- ベスト〜歌手生活45周年記念盤〜(2010年9月22日)
- スペシャルセレクション〜コラボレーション・ベスト〜(2010年11月3日)
- スペシャルベスト〜希望の明日へ!〜(2011年9月7日) CD+DVD
- スペシャルセレクション〜ご当地ソング・ベスト〜(2011年11月23日)
- ベスト<演歌の心を唄う>(2012年10月24日)
- ベストアルバム〜富士山〜(2014年1月22日)
- ベスト〜歌手生活50周年記念盤〜(2016年3月23日)
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
ボックス・セット
- 大全集(1971年6月5日) 4LPボックス
- 絶唱 森進一大全集(1975年) 10LPボックス
- 歌ひとすじ20年 森進一大全集 10LPボックス
- スペシャルCDボックス“感謝”(2006年9月22日) 10CD+DVD
- 森進一コンプリートボックス(2010年9月1日) 15CD+2DVD
タイアップ曲
Remove ads
出演
要約
視点
NHK紅白歌合戦出場歴
※曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。対戦相手の歌手名の()内の数字はその歌手との対戦回数を表す。備考のトリなどの次にある()はトリなどを務めた回数を表す。前半トリとは1990年以降の紅白において、前半戦(ニュース中断まで)で両軍の締めくくりを務めたことを指す。
- 連続出場48回は第2位の記録[注 8]。
テレビドラマ
映画
CM
Remove ads
森進一を演じた俳優
- 田代万里生(2013年3月6日、テレビ東京、女優 麗子〜炎のように)
脚注
参考文献
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads