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荻野目洋子

日本の女性歌手、女優 (1968-) ウィキペディアから

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荻野目 洋子(おぎのめ ようこ、1968年昭和43年〉12月10日[1] - )は、日本歌手女優。本名:辻野 洋子(つじの ようこ、旧姓:荻野目)。愛称は「荻野目ちゃん姉に女優の荻野目慶子(4人兄弟の次女)を持つ[2]

概要 荻野目 洋子, 出生名 ...

概要

人物

千葉県出身。堀越高等学校卒業。血液型B型

アイドル歌手として1980年代中盤頃よりユーロビート調の楽曲を歌い、1986年(昭和61年)から1989年(平成元年)まで、「日本レコード大賞」の金賞を4年連続で受賞。また『NHK紅白歌合戦』に計5回の出場歴がある。

原水爆禁止世界大会の賛同者である[3]

姉2人、兄1人、の4人兄弟の末っ子。次姉は女優荻野目慶子。夫であるプロテニス選手、辻野隆三[4]との間に3女あり[5]

私生活

2001年(平成13年)、高校時代の同級生でもある前述の辻野と結婚し、翌年2002年に長女を出産した。その後2004年(平成16年)には次女を出産、2006年(平成18年)には三女を出産。結婚後のしばらくは3児の育児に専念していた。子育てに対して荻野目は、荻野目家から伝えられた感性とモットーを強く持っているという[6]。 2016年(平成28年)5月25日、舞台『桂由美物語』の公演終了後に、15年越しの結婚式を人前式で行った[7]。 2019年(平成31年)1月3日、夫の辻野がTBSテレビ「消えた天才新春スペシャル」で松岡修造が唯一敵わなかったテニス選手として紹介された際に、夫婦で共演[8]

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来歴

要約
視点

生い立ち

父親はサラリーマン[9]、荻野目家は元々東京都内に家があった[9]。父の転勤で姉の慶子は熊本県で生まれ、洋子の生誕までに荻野目家は都内に戻ったが[9]、父親は職場が都内にありながら[9]「子供は自然の中で育てる」という方針で千葉県に移り住み[9]、洋子は千葉県柏市で生まれた[9]。両親から「将来は海外へ飛び出して行くような子に育って欲しい」という願いを込められて、太平から洋子と名付けられた[10]。洋子は一旦豊四季幼稚園に入園したが、かねてからの父親の方針により、埼玉県比企郡嵐山町に移り住み[9]、洋子が小学校5年から[9]、千葉県佐倉市に移る[9]。中学校では卓球部に所属したが、仕事が忙しくなり断念[9]。洋子と慶子が都内へ通うのが負担となったため、洋子の中学卒業と同時に一家で東京都内に引っ越した(兄は千葉県八千代市の高校に通っていたが中退、洋子のマネージャーとなった)[9]。堀越高等学校の芸能コースで三年次に井森美幸岩井小百合武田久美子らと同じクラスだった[9]

劇団ひまわりオーディションを受ける姉荻野目慶子について行き、そこで歌を歌わされて姉と共に合格、埼玉県東武東上線武蔵嵐山駅が劇団から遠方であることや経済的理由で劇団には姉一人が通った。父と共に民謡を習っており、「完璧な発声」と言われた[11]

1977年(昭和52年)公開の映画『獄門島』に実姉・慶子が子役として出演、その撮影を見学に行ったところ、突如市川崑監督から「出てみない?」と言われて、回想シーンで映画出演した[12](横顔が数秒間映るのみで台詞が無いため、出演時間は短い。)。

小学生ユニット「ミルク」時代

1978年(昭和53年)小学4年生の頃、テレビ番組、『ちびっこ歌まねベストテン』(東京12チャンネル〈現:テレビ東京〉)に出演していたところをスカウトされて芸能界デビューした。小畑和美(ミミ)、荻野目洋子(ルミ)、大森絹子(クミ)による小学生女子3人のグループ、「ミルク」として、1979年(昭和54年)4月、楽曲 『ザ・あれから いちねん』(CBS・ソニー)でレコードデビューした。「ミルク」は翌1980年(昭和55年)8月、2枚目となるシングルレコード、『リトル・キッス』(ワーナーパイオニア)を発売したが、これを最後に「ミルク」は自然解散となり、彼女の小学生時代の芸能活動も、ここで一旦終了となる。

アイドル歌手としてソロデビュー

その後、中学生時代にキティ・フィルム製作の映画『ションベン・ライダー』のオーディションを受けたのがきっかけで、1983年(昭和58年)中学2年生の頃にキティ・フィルム製作のフジテレビ系のアニメみゆき』のヒロイン若松みゆき役の声優に抜擢された。声優の仕事は、歌手としてのソロデビュー後もアニメ映画『バリバリ伝説』(1986年)のヒロイン伊藤歩惟役や[13]、テレビ『ウゴウゴルーガ』のプラネットちゃんなどを務めた。なお、この1983年に姉・慶子や自身の芸能活動のこともあって一家で世田谷区に転居した[10]

『みゆき』終了後、高校1年生になったばかりの1984年(昭和59年)4月3日、「未来航海-Sailing-」でビクター音楽産業よりソロデビュー。その年の新人賞レースにも多数参戦した。同期歌手デビューには、岡田有希子菊池桃子吉川晃司長山洋子田中久美渡辺桂子宇沙美ゆかり山本ゆかりセイントフォー少女隊岡本舞子倉沢淳美などがいる。その後もシングル・アルバムリリースし、多くのテレビイベントなどに出演した。

デビュー当初は大きなヒット曲には恵まれなかったが、デビュー2年目の1985年(昭和60年)11月21日に発売した7枚目のシングル「ダンシング・ヒーロー (Eat You Up))」が初めてオリコンでトップ10入りし、彼女最大のヒット曲となった。また女優としても、『早春物語』(1986年、TBS)、『赤ちゃんに乾杯!』(1987年、同)などに出演した。さらに、アイドル・タレントとしてテレビのCMバラエティー番組にも多く出演していた[注釈 1]。「ダンシング・ヒーロー (Eat You Up)」の盆踊り版は1986年、名古屋市を発祥の地として[14]愛知県、岐阜県をはじめとして[15]、各地の盆踊りで採用されて、2018年には日本三大七夕まつりの一つ「一宮市七夕まつり」の七夕スペシャルミニライブに出演した。

歌手としては「ダンシング・ヒーロー」や「コーヒー・ルンバ」のようなユーロビート調の楽曲が知られるが、1988年(昭和63年)には、アメリカブラック・コンテンポラリー界の重鎮ナラダ・マイケル・ウォルデンプロデューサーに迎えてのアルバム『VERGE OF LOVE』を制作するなど、特定の音楽スタイルにとらわれない活動をしていた。1986年(昭和61年)から4年連続で日本レコード大賞の金賞を受賞、また『NHK紅白歌合戦』に5回出場し、二度の返り咲き出場を経験している。

1989年(平成元年)のフジテレビ『こまらせないで!』などでは、主演を務めて主題歌も歌った。NHKのドラマには、1990年(平成2年)の連続テレビ小説凛凛と』、1993年(平成5年)のドラマ新銀河トーキョー国盗り物語』、1995年(平成7年)のドラマ新銀河『名古屋お金物語』などがある。

育児専念

新婚生活と育児に専念していた時期を経て、2005年(平成17年)10月19日発売のインディーズコンピレーションアルバム『COVER LOVER vol.2 〜BOSSA de DISCO〜』にゲスト参加し(つのだ☆ひろメリー・ジェーン」をカバー)、歌手活動を再開。2006年(平成18年)2月22日に1980年代の洋楽ヒットソングをカバーしたアルバム『VOICE NOVA』を発売。三女の出産を経て、2009年11月25日リリースのカバーアルバム『Songs & Voice[16]収録までの4年間、全く仕事を休んでいた[17]

2010年(平成22年)4月には資生堂「IN&ON」のCMで、河合その子伊藤つかさ薬丸秀美(旧:石川秀美)と共演した[5]

デビュー30周年、「バブリー・ダンス」で再ブレイク

2014年、2013年末より音楽番組などに頻繁に出演するようになり、TV番組で久々に披露された自身のヒット曲「ダンシング・ヒーロー」が番組出演直後に音楽配信サイトにて1位を記録し、月間ランキングでも1位を獲得した。2014年7月にはデビュー30周年を迎え本格的活動を開始することが発表された。そのデビュー30周年の始動第一弾と位置付けられたアルバム『ディア・ポップシンガー』に新曲を収録し、8月20日リリース。アルバムとしては約5年ぶり、オリジナルの新曲としては約15年ぶりの発表となる。尚このニューアルバムのジャケットはシンガポール在住の人気写真家レスリー・キーによる撮影である。レスリーが荻野目のファンということで実現したコラボ。また8年ぶりとなる単独ライブも決定し、10月16日にデビュー30周年記念ライブ「30th Anniversary LIVE ディア・ポップシンガー」が、赤坂BLITZで開催され[18](追加公演は10月29日)、このライブは2015年3月25日、『30th Anniversary LIVE ディア・ポップシンガー』としてBlu-ray Disc+DVDリリースされた[19]

2017年、「ダンシング・ヒーロー (Eat You Up)」を取り入れた芸人・平野ノラのネタを元にした、大阪府立登美丘高等学校ダンス部が8月、第10回日本高校ダンス部選手権夏の公式全国大会のビッグクラスで準優勝し[20]、そのYouTube動画が爆発的な再生数を記録し、「ダンシング・ヒーロー」がリバイバルヒット[注釈 2]。急遽、全曲「ダンシング・ヒーロー (Eat You Up)」のバージョン&リミックス収録の特別編集盤CDが12月発売された[21]。11月12日、御堂筋ランウェイのメインステージのスペシャルステージで大阪府立登美丘高等学校ダンス部と共演[22]、年末にかけてテレビ各局の音楽特番で引っ張りだことなる[23]第59回日本レコード大賞ではダンシング・ヒーローが、大阪府立登美丘高等学校と共に特別賞を受賞した。

これまでに数々の作品をリリースしているが、オリコンではアルバム2作品が週間チャート1位を獲得し、うち1作品が1987年の年間ランキングで1位を獲得している。

2025年6月、約40年間所属した株式会社ライジングプロダクションから独立を発表。今後は業務提携という形でライジングとは関係を保つ。

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エピソード

  • 自身の運営しているホームページ(1999年 - 現在)でのファンメールに、限りはあるが一つ一つ全文を取り上げて、自身がきちんと答えていた。メールを投稿すると「メールは必ずお読みします。メッセージありがとうございました」などの文面も見られた。この際、「はじめまして」のファンメールは、ほぼ取り上げられて返事がついていた。
  • 別冊宝島』の調査によると、1980年代の年間ベスト50位以内ランクイン曲数4曲と当時の女性アイドル中8位であった[24]
  • 夫の辻野隆三とは堀越高校の同級生。荻野目は芸能コース、辻野は体育コースとクラスは違ったが、お互い多忙で出席日数が足りなかったため受けた補習授業で初めて顔を合わせることとなる。当時は事情により深い交際にはならなかったが、十数年後共通のレストランを介して再会し、意気投合したことで結婚に至った。
  • 仲の良い芸能人は、堀越高校時代からの友人である井森美幸森口博子。更に岡田有希子は親友であった。岡田の急逝後、30年経っても名古屋ツアーの度に菩提寺へ墓参している[25]

ディスコグラフィ

  • 全てのシングル・アルバムはビクターからリリース。

シングル

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配信限定シングル

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企画シングル

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アルバム

オリジナル・アルバム

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カバー・アルバム

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ベスト・アルバム

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リミックス・アルバム

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企画アルバム

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CD-BOX

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参加作品

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映像作品

  1. THE STEP 荻野目洋子1st(1985年3月5日、2008年11月19日DVD化)
  2. MOVING NOW(1985年12月16日、2008年11月19日DVD化)
  3. DANCING COLORS(1987年1月1日、2008年11月19日DVD化)
  4. SINGIN’DRIVE(1988年5月21日、2008年11月19日DVD化)
  5. VERGE OF LOVE 武道館ライヴ Vol.1(1989年3月21日、2008年11月19日DVD化)
  6. VERGE OF LOVE 武道館ライヴ Vol.2(1989年3月21日、2008年11月19日DVD化)
  7. NEW FASHIONED LOVE SONGS(1992年8月5日、2008年11月19日DVD化)
  8. Pop Liberation Force(1993年3月24日、2008年11月19日DVD化)
  9. 30th Anniversary LIVE "Dear Pop Singer"(2015年3月25日 / Blu-ray+DVD)

タイアップ曲

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受賞歴

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出演

要約
視点

CM(本人出演)

ラジオ

映画

テレビドラマ

単発テレビドラマ

ネットドラマ

  • 借金カノジョ 純愛と返済の日々(2008年、VISION CAST
  • 借金カノジョ2 1000のラプソディ(2008年、VISION CAST)

その他テレビ番組

NHK紅白歌合戦出場歴

さらに見る 年度, 放送回 ...
注意点
  • 出演順は「出演順/出場者数」で表す。
  • 対戦相手の歌手名のカッコ内の数字はその歌手との対戦回数を表す。

音楽特番

※いずれの番組も「ダンシング・ヒーロー (Eat You Up)」を披露

テレビアニメ

  • みゆき(1983年3月31日 - 1984年4月20日、フジテレビ) - ヒロイン・若松みゆき 役(声優として)

ビデオ

  • 神様のい・う・と・お・り(明治生命オリジナルビデオ)

劇場アニメ

OVA

  • バリバリ伝説「Part I 筑波篇」「Part II 鈴鹿篇」(1986年5月、12月、スタジオぴえろ) - 伊藤歩惟 役
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書籍

  • 『別冊近代映画 荻野目洋子特集号』(1984年6月24日、近代映画社) - 初の写真集
  • 『夏色のクレヨンで・・・。』(1985年8月15日、旺文社) - フォトエッセイ集
  • 週刊少年サンデー特別編集 夢・航海』(1985年10月5日、小学館) - 写真集
  • 『荻野目洋子写真集 ACROSS!THE PACIFIC OCEAN』(1987年4月15日、近代映画社、撮影:マイク岡田)
  • ARENA37℃臨時増刊 YOKOMOTION』(1988年4月24日、音楽専科社) - アーティストブック
  • 『太陽の海岸 Costa del sol』(1991年3月10日、近代映画社、撮影:三浦憲治)
  • 『Fine day』(1993年12月20日、角川書店) - 『月刊カドカワ』連載のエッセイ

その他連載

  • 月刊誌『DELUXEマガジンORE』にて「TalkEssay」(1990年12月1日から全7回)
  • 『月刊カドカワ』にてイラスト・散文詩「無垢の涙」連載(1992年6月5日から全19回)
  • 月刊誌『ダ・ヴィンチ』にてイラスト&エッセイ「早すぎる自叙伝」(1994年4月6日から全12回)
  • 朝日新聞』夕刊コラム(1994年7月11日から全4回)
  • 隔週誌『SPRiNG』フォトエッセイ「荻野目洋子のfrom my favorites商店街 東京リラックス」(1997年11月17日から全3回)
  • 週刊読売』にてリレー式フォト・エッセイ「どっこいショット」(1998年9月8日から全19回)

交友録

  • 小泉今日子中山美穂長山洋子らとは所属事務所の系列が同じということもありお互いの写真集やドラマ、歌番組での共演などプライベートでもデビュー以来の交友がある。特に森口博子は高校時代から現在でも親友として交友がある。他には奥居香森高千里など。
  • 専属の振付師としてデビュー以来ずっと西条満三浦亨ブレーンである。

脚注

外部リンク

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