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酒井敏明
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酒井 敏明(さかい としあき、1934年1月12日 - 2007年8月15日)は三重県桑名市[1]出身のプロ野球選手、新聞記者。現役時代のポジションは捕手。
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来歴・人物
三重県立桑名高等学校から早稲田大学に進学。東京六大学野球リーグでは在学中3回優勝。1年下のエース木村保とバッテリーを組む。4年生時の1955年秋季リーグでは、長嶋茂雄(立大)らと共にベストナイン(捕手)にも選ばれた。同年12月にフィリピンで行われたアジア・アマチュア野球選手権日本代表(東京六大学リーグ選抜チーム)に選出され、木村、長嶋、森徹(早大)、佐々木信也(慶大)らとともに全勝優勝に貢献。リーグ通算58試合出場、160打数33安打、打率.206、0本塁打。大学同期に二塁手の松岡雅俊がいる。
1956年、中日ドラゴンズに入団[1]。1957年には20試合に先発マスクを被り、吉沢岳男、河合保彦と定位置を争う。しかし打力に劣りレギュラーに定着することはできなかった。1958年は一塁手としても起用され、1959年のみ内野手として登録される。1961年限りで退団[1]。
その後は中部日本新聞社(現在の中日新聞社)に入社し、東京中日新聞(現在の東京中日スポーツ)記者となる。同社報道部次長、編集委員を経て定年の1994年まで在籍、定年退職後も同社社友として大学野球を中心に取材を続け、死の直前まで寄稿を続けていた。
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詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 57 (1956年、1960年)
- 4 (1957年 - 1959年、1961年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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