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野村将希

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野村 将希(のむら まさき、本名、野村 正樹(読み同じ)、1952年11月13日 - )は、日本の俳優演歌歌手である。旧芸名、野村 真樹(読み同じ)。

概要 のむら まさき 野村 将希, 本名 ...
概要 YouTube, チャンネル ...

所属事務所はサンミュージックプロダクション。所属レコード会社はテイチクエンタテインメント

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経歴

福岡県北九州市生まれの、兵庫県尼崎市育ち。長嶋茂雄に憧れて小学校から野球を始め、プロ野球選手を目指して尼崎市立尼崎産業高等学校に進学して野球部に入部したが、無理が祟った練習により思い通りのプレーができなくなり、プロ野球の道を断念。野球の次に好きな歌の世界で勝負しようと高校を中退し、1969年に歌手を目指して上京[1]。デビュー前に高崎競馬場で約3か月間厩務員のバイトをしていた。そして新宿の靴屋で靴磨きのバイト中、サンミュージック相沢社長の目にとまりスカウトされた[2]。決め手は『笑顔』だったそうである。

1970年RCAレコードと契約、同年4月に『ひるのプレゼント』(NHK総合テレビジョン)の新人コーナーに出演し、『涙をかついで行こうよ』(デビュー曲『一度だけなら』のB面収録曲)を歌い注目を集めた。

1970年6月5日に『一度だけなら』をリリース、正式に男性アイドル歌手としてデビューを果たす。キャッチフレーズは「歌謡界の若獅子」。同年『野良猫ロック ワイルド・ジャンボ』にスリーNの一人として映画初出演(残りの2人はにしきのあきら夏夕介)を果たす。さらにデビュー曲「一度だけなら」はいきなり大ヒットと成り、第12回日本レコード大賞新人賞・第1回日本歌謡大賞放送音楽新人賞・第3回日本有線大賞新人賞などを総なめに受賞、同年末放映の第21回NHK紅白歌合戦には初出場をそれぞれ達成した。

その後修行のため2年間海外に渡り[3]、帰国後の1982年、芸名を現在の野村将希に改名した。

その一方で役者としても才能を開花させ、1987年放送の『水戸黄門第17部』から柘植の飛猿役としてレギュラー入りし、当たり役となった。

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人物

私生活では2男の父で、長男はプロサッカー選手の野村政孝[4]、次男は俳優の野村祐希[5] である。

少年時代より野球で鍛えた抜群の運動神経から芸能人スポーツ大会などでも活躍し、『スポーツマンNo.1決定戦』では2007年10月現在、芸能人大会19回中18回に出場しており、「コロッセオの鉄人」の異名をもつ。パワー系が得意で芸能人サバイバルバトルのパワー系の一通りの種目は制覇している。

ディスコグラフィ

シングル

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アルバム

  1. 野村将希 全曲集〜夕子〜(2001年9月21日)
  2. 野村将希 全曲集〜アカシアの女〜(2002年9月26日)
  3. 野村将希 2005年全曲集(2004年10月21日)
  4. 野村将希 2006年全曲集(2005年9月21日)
  5. 野村真樹 ゴールデン☆ベスト(2009年11月25日)
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出演

映画

テレビドラマ

Vシネマ

  • 真・雀鬼16 プロ雀士哀歌!漢たちの絆 (2003年) - 小池国三
  • 実録・関東やくざ抗争史 松田組(2005年) - 菅長一郎(新聞記者)
  • 実録・不退の松葉 完結編(2006年) - 新日本國真会常任相談役 舵沢芳樹
  • 修羅の軍団(2006年)
  • 千年の松(2009年)全2作 - 住越連合幹部 浜野政吉
  • 極道の掟 第二章(2016年) - 黒崎組若頭 堂島組組長 堂島健吾 ※特別出演

バラエティ

NHK紅白歌合戦出場歴

さらに見る 年度/放送回, 回 ...
注意点
  • 出演順は「出演順/出場者数」で表す。

CM

その他

  • かげろうお銀のお年寄りの交通安全(2003年、東映教育映像部) ‐ 柘植の飛猿
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脚注

外部リンク

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