トップQs
タイムライン
チャット
視点

鈴木俊雄

ウィキペディアから

Remove ads

鈴木 俊雄(すずき としお、1965年12月18日[1] - )は、大阪府出身の元プロ野球選手捕手内野手)。

概要 基本情報, 国籍 ...

同じく元プロ野球選手の鈴木孝雄は実父[2]

Remove ads

来歴・人物

愛知・中京高では3番・捕手として、同期のエース野中徹博とバッテリーを組み、1983年夏の甲子園に出場[2]。準々決勝に進出するが、池田高水野雄仁投手に抑えられ敗退。野中以外の同期に右翼手、控え投手の紀藤真琴がいた[2]

高校卒業後は、法政大に進学。東京六大学リーグで在学中4回優勝。1学年上に高田誠がおり、なかなか出場機会がなかったが、4年生時には1987年秋季リーグで優勝し、同季のベストナインに選出される。同年の明治神宮大会では決勝で筑波大に延長10回の熱戦の末に敗れた。大学同期に秋村謙宏松井達徳がいる。リーグ通算26試合に出場、90打数24安打、打率.267、5本塁打を記録。

大学卒業後は、社会人野球日立製作所に進み、1988年都市対抗野球に4番打者として出場。酒井勉投手を擁し、1回戦で松下電器のエース潮崎哲也に2適時打を浴びせるが敗退。翌1989年都市対抗では大阪ガスを降し2回戦に進むが、三菱重工広島に敗れる。この試合では2本塁打を放った。同年の第9回インターコンチネンタルカップ日本代表、第15回アジア野球選手権大会日本代表に選出されている[2]

1989年のプロ野球ドラフト会議ロッテオリオンズから3位指名を受け入団[2]

プロ2年目の1991年から一軍出場を果たすが、同じ捕手である青柳進福沢洋一らの壁を破れず、1992年から定評のある打力を活かすため内野手に転向する。しかし、一軍定着には至らず1994年限りで退団[2]1995年は、台湾中華職業棒球大聯盟味全ドラゴンズでプレーした[2]

その後は、社会人野球ミキハウスのコーチ兼捕手[3]を経て、NOMOベースボールクラブコーチ[4]、副理事長を務めた[5]

現在は、スポーツDEPO新大阪店に勤務しながら木曽川ボーイズの監督も務めている[6]

Remove ads

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球 団 ...

年度別守備成績

さらに見る 年 度, 捕手 ...

記録

NPB

背番号

  • 22 (1990年 - 1994年)
  • 21 (1995年)
Remove ads

脚注

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads