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関口将平
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関口 将平(せきぐち しょうへい、1989年4月14日 - )は、香川県小豆郡小豆島町(旧:内海町)出身の元プロ野球選手(投手)。
この記事の主題はウィキペディアにおける人物の特筆性の基準を満たしていないおそれがあります。 (2015年7月) |
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来歴
プロ入り前
小学校2年の時に野球を始める[2]。内海町立内海中学校2年時には182センチを超え、3年でエースとなった[2]。
香川県立丸亀城西高等学校時代は控え投手。公式戦での登板は5試合(8回)にとどまり、3年夏(2007年)の香川県大会でも登板はなく[2]、9月にはプロ志望届を提出したが[3]、プロ野球ドラフト会議での指名はなかった。
その後、2メートルの長身から投げ下ろす威力のある直球や将来性を期待され、10月17日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結んだ[4]。なお当時ブレーブスでは他に島袋涼平、徳田将至、濱岡巧の日本人選手3名がマイナー契約をしていた[2]。
プレーブス傘下時代
2008年と2009年はオーストラリアのアカデミーに派遣され、体力強化に専念した[4]。
2010年は傘下ルーキー級・ガルフ・コンプレックスリーグのGCLブレーブスで8試合(14回1/3)に登板し、1勝1敗、防御率3.77、10奪三振という成績を残した[5]。
独立リーグ時代
2012年1月に関西独立リーグの紀州レンジャーズに入団した[6]。この年は33試合(120回)に登板して6勝、防御率3.53という成績を挙げたが、1年でチームを退団した。
2013年からは、兄の関口貴之も所属するベースボール・チャレンジ・リーグの福井ミラクルエレファンツに入団。15試合に登板したが、1勝2敗、防御率7.31と結果が残せず、10月25日に球団より現役引退が発表された。その後、11月16日にロッテ浦和球場で行われた四国アイランドリーグplusの関東開催トライアウトに参加したが、入団には至らなかった。
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詳細情報
年度別投手成績
背番号
- 29 (2012年)
- 21 (2013年)
脚注
関連項目
外部リンク
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