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青山久人
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青山 久人(あおやま ひさと、1957年6月28日 - )は愛知県岡崎市出身[1]の元プロ野球選手(投手)。
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来歴・人物
国府高校では1年下の市川和正とバッテリーを組み、1974年秋季中部大会県予選決勝リーグに進むが、4校中3位に終わる。しかし1975年夏の甲子園県予選では決勝で愛知高を降し、無名の公立高校を1975年夏の甲子園に導いた。大会では1回戦で柳井商に敗退[1]。同年8月には高校日本選抜の一員として原辰徳、小川淳司らとともに米国西海岸・ハワイ遠征に参加した。
1976年、ドラフト3位で中日ドラゴンズに入団。眼鏡姿に細身の体格から「青エンピツ」の愛称で親しまれ、1年目から一軍で先発ローテーションの一員として登板し2勝を挙げ、2年目には6勝を挙げる活躍を見せた。しかし、制球難もあって伸び悩み、登板数・勝利数とも減っていった。当時は少なくなってきていたアンダースロー投手で、大リーグ球団から照会を受けたこともあったが、海外移籍することはなかった。
1985年に南海ホークスに水谷茂雄とのトレードで移籍した。この頃には球威が衰え、落ちる変化球でかわす技巧派になっていた。主に中継ぎや敗戦処理の場面で登板したが、勝ち星を挙げることができないまま1987年シーズン限りで引退した。
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詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
背番号
- 39 (1976年 - 1984年)
- 34 (1985年 - 1987年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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