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須賀 (宮代町)
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須賀(すか)は、埼玉県南埼玉郡宮代町の大字。郵便番号は345-0831[2]。
地理
埼玉県の東部地域で宮代町の北西部に位置する、北西から南東に細長い区域を有する地域である。 東側で百間、本田、学園台、南側で大字東粂原、西側で大字国納、和戸、と隣接する。また、北側で北葛飾郡杉戸町(大字太田袋、大字下高野、大字杉戸)とも隣接する。大落古利根川が流れ、北端の境界[注釈 1]としている。宮代町の中央部には大字須賀の飛地が存在し、字山崎、字逆井とも隣接する。
地内は北西部を中心に水田など、農地が多くみられるが、纏まった住宅地も点在して見られる。南部のかつて笠原沼だった水田地帯には巨大なレジャー施設(東武動物公園)が建設された。
河川
歴史
要約
視点
もとは江戸期より存在した武蔵国埼玉郡百間領の須賀村で[4]、古くは南北朝期より見出せる太田荘のうちの須賀郷があった[4]。須賀村は『元禄郷帳』では百間須賀(もんますか)とも記された[4]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では206石余(田45石余、畑160石余)、『元禄郷帳』によると825石余、『天保郷帳』によると887石余であった[4]。化政期の戸数は120軒で、村の規模は東西10町、南北28町であった[4]。
須賀には久米原(粂原村)方面から高野川(古利根川)を高野の渡しと称する渡し場で渡り、高野(下高野村)へ通じる鎌倉街道が通っていた[5][6][7]。交通の要所なので橋は古くから架けられており、1394年(元亨4年)には既に存在したと云う[6]。
- はじめは幕府領、なお、江戸期以前は岩槻太田氏の所領となっていた[4]。なお、検地は1619年(元和5年)に牛田、丸田、加藤氏により実施[4][5]。
- 正保年間(1644年 - 1648年)より岩槻藩領となるが、後にその一部が旗本池田氏および永井氏の相給となる[4]。
- 1736年(元文元年)より幕府領の一部が旗本小笠原氏の知行となる[4]。
- 村の南西部(笠原沼新田)に本村の持添新田があり、1729年(享保14年)に筧播磨守により検地を受けている[4][5]。
- 1770年(明和7年)より幕府領は川越藩領(松平大和守)となるが、1821年(文政4年)より幕府領に復帰する[4][5]。
- 幕末の時点では埼玉郡に属し、明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、代官・大竹左馬太郎支配所が管轄する幕府領、および旗本三氏(池田大隅守、永井兼之助、小笠原鎚太郎)の知行であった[注釈 2]。
- 1868年(慶応4年)6月19日 - 武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。
- 1869年(明治2年)
- 1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した南埼玉郡に属す。郡役所は岩槻町に設置。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、(旧)須賀村が和戸村、西粂原村、東粂原村、国納村と合併し南埼玉郡須賀村が成立する。(旧)須賀村は須賀村の大字須賀となる。須賀村役場を地内の須賀小学校付近に設置[4][8]。
- 1899年(明治32年)12月20日 - 地内に東武伊勢崎線が建設され、開業する。
- 1914年(大正3年) - 地内の須賀村役場が、立地の問題から現在の和戸公民館の場所に移転する[8]。
- 1916年(大正5年) - 粂原学校が地内の現在の場所(須賀)に移転し須賀小学校(現宮代町立須賀小学校)に名を改める[7]。
- 1929年(昭和4年)4月1日 - 地内に東武日光線が建設され、開業する。
- 1947年(昭和22年)4月21日 - 地内に須賀村立須賀中学校(現、宮代町立須賀中学校)が開校する。
- 1955年(昭和30年)7月20日 - 須賀村が百間村と合併し、宮代町の大字となる。
- 1967年(昭和41年) - 地内に日本工業大学が開学する。
- 1965年(昭和40年)4月1日 - 住居表示が実施され、大字須賀、字百間の各一部から本田一丁目〜四丁目が成立[4]。
- 1971年(昭和46年)3月 - 地内に須賀公民館が完成する[9]。なお、和戸に所在する須賀公民館は和戸公民館に改名する。
- 1976年(昭和51年)4月1日 - 地内に宮代須賀幼稚園が開園する[10]。
- 1982年(昭和57年)11月1日 - 住居表示が実施され、大字須賀、大字和戸、大字国納の各一部より和戸一丁目〜五丁目が成立する[11]。
- 1981年(昭和56年)3月28日 - 地内に東武動物公園が開園する。
- 1982年(昭和57年)11月1日 - 住居表示が実施され、大字須賀、大字東粂原の各一部より学園台、および本田五丁目(一丁目 - 四丁目は既設)が成立する[11]。これにより地区の南端付近に大字須賀の飛び地が新たに出来た。また、日本工業大学や身代神社が立地から外れた。
- 1984年(昭和59年)4月 - 宮代町消防署が発足[9]。
- 2000年(平成12年) - 地内の中須用水沿いの用地に水と緑のふれあいロード「騎西領・中須用水コース」が整備される。
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世帯数と人口
2024年(令和5年)4月時点での世帯数と人口は以下の通りである[1]。
小・中学校の学区
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交通
鉄道
道路
- 埼玉県道85号春日部久喜線
- 水と緑のふれあいロード「騎西領・中須用水コース」 - 自転車歩行者道
地域
寺社
- 真義真言宗真蔵院
- 曹洞宗 金剛寺
- 曹洞宗 長福寺
- 天神社三峯神社 - 金剛寺の隣接地に所在
- 御霊大権現
- 正一位稲荷大明神
施設
- 東武動物公園(一部) - 飛地に立地
- 宮代町立須賀小学校
- 宮代町立須賀中学校
- 宮代須賀幼稚園
- 埼玉東部消防組合宮代消防署
- 埼玉県農業共済組合宮代支所
- 東武鉄道杉戸変電所
- 須賀集会所 - 須賀公民館の跡地に立地
- 須賀上集会所
- グループホームひだまりの家
- 高野川児童公園[13]
- 須賀島公園
※ 須賀島集会所は学園台一丁目17-13に所在する。
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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