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鬼雷砲良蔵
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鬼雷砲 良蔵(きらいほう りょうぞう、1966年1月5日 - )は、神奈川県横浜市南区出身で高田川部屋に所属した元大相撲力士。本名は内間 良三(うちま りょうぞう)。最高位は東前頭4枚目(1992年7月場所)。身長189cm、体重159kg。兄は、高田川部屋の元幕下力士・前乃富士。いわゆる「高田川三人衆」の1人であり、「三人衆」の中では、小結まで昇進した剣晃に次いで高位に上った。現役時代の趣味はトランプ。
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概要・人物
中学校までは野球を経験したが、千秋楽の打ち上げや部屋へ遊びに行った時に勧誘され、返事をしないでいると地元新聞社から「兄弟力士誕生」の取材が来て話が大きくなってしまったので入門を決意した。初土俵は、1981年(昭和56年)3月場所。なお、同期の初土俵組には、後の前頭・豊ノ海や十両・琴冠佑などがいた。
以前は、「浜千鳥」という優しい四股名だった。この四股名は、叔父や自分が相撲大会で名乗っていた名を採って自分で命名した。幕下で低迷したので名前だけでも強くしようと親方から「鬼雷鉄砲(おにらいてっぽう)」の名を提案されたが、部屋の行司・木村和一郎の助言で「鬼雷砲」とした。鬼面山、雷電、大砲の歴代強豪から一文字ずつ取って組み合わせた四股名ともいえる。
気が弱く、立合いの厳しさに欠けるきらいはあったが、差し身のうまさを生かして立合いからもろ差しになって鋭く寄る速攻の取り口が持ち味だった。
1993年(平成5年)1月場所後に同門(高砂一門)の曙が64代横綱に昇進してからは、剣晃と共に曙の横綱土俵入りの露払い・太刀持ちを務めていたことがある。
新入幕から25場所連続幕内の地位を維持したが、三役昇進は果たせず、幕下に陥落した1996年(平成8年)7月場所限りで引退した。
引退後は日本相撲協会に残り、年寄・佐ノ山や同・山響として後輩達を指導していたが、1999年(平成11年)3月場所後に退職。
以降は、東京都内でラーメン屋を経営したり、新潟県内の温泉旅館で働いたりしていた。
2008年には、『スパスパ人間学!』の企画として血液型別ダイエットに取り組んでいる様子が放送される形で、消息が明らかになった[1]。
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略歴
主な戦績
- 現役在位:92場所
- 通算成績:496勝489敗3休 勝率.504
- 幕内在位:25場所
- 幕内成績:177勝198敗 勝率.472
場所別成績
幕内対戦成績
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。
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改名歴
- 前秀峰 良三(まえしゅうほう りょうぞう、1981年5月場所 - 1984年1月場所)
- 秀峰 克巳(しゅうほう かつみ、1984年3月場所 - 1984年7月場所)
- 浜千鳥 克巳(はまちどり かつみ、1984年9月場所 - 1986年9月場所)
- 鬼雷砲 良三(きらいほう りょうぞう、1986年11月場所 - 1993年9月場所)
- 鬼雷砲 良蔵(きらいほう りょうぞう、1993年11月場所 - 1996年7月場所(引退))
年寄変遷
- 佐ノ山 良蔵(さのやま りょうぞう、1996年7月 - 1997年11月)
- 山響 良蔵(やまひびき -、1997年11月 - 1999年3月(退職))
脚注
関連項目
外部リンク
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