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黒沢律子
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黒沢 律子(くろさわ りつこ、1972年4月17日[1] - )は日本の歌手である。所属していた事務所は、デビュー時から1995年までは研音[1][2]、1995年途中からはソニー・ミュージックスターズ[3]。
来歴
東京都武蔵野市出身[2][4]、11歳の時から板橋区育ち[5]。小学校高学年時代には「音楽委員」をやっており、毎週1回全校生徒の前で歌うようになって、この時人前で歌うことに快感を覚えたという[1]。
1984年、アニメ映画『銀河鉄道の夜』の主題歌歌手オーディションに応募し[2]、そこから細野晴臣プロデュース「ノン・スタンダードオーディション」に出場して準優勝[1]。しかし当時小学生だったため、この時からデビューへ向けてテイチクでボイストレーニングなどレッスンを積み続けることとなる[1][2]。都立高校在学中[6]の1990年4月21日、シングル『純哀』、アルバム『Real』、ビデオ『JUN-AI』をテイチクから同時リリースでデビュー[1]。デビュー当初は、同じ研音に所属していた先輩の中森明菜にあやかって「ポスト明菜」とも言われていたことがあった[2]。高校卒業後は音楽大学を目指していたことがあったが、歌手デビュー以後は勉強する時間が無くなったとして、進学はあきらめたという[4]。
1993年より、NHK総合の音楽番組『ポップジャム』内のダンスユニット「PJ:G(ポップ・ジャム・ガールズ)」でGWINKO、安室奈美恵、SUPER MONKEY'Sらと共に活動。ここでは、Michelle A.Key(ミッキー)と共にPJ:G内のユニット「b’Rouge」(ビールージュ)として活動し、PJ:Gでの活動終了後の1995年11月16日に『ONE SIDE LOVE』でb’Rougeとしてシングルデビュー[3]。1997年、b’Rougeとして3枚目のシングル『HURRICANE』発売時より、タイに進出して初の外国デビュー[7]。
1998年にb’Rougeとしての活動を終了し、ソロ歌手『RIZCO』(リツコ)としての活動を開始。2000年に土橋安騎夫・高橋教之(共にレベッカのメンバー)とのユニット「R.P.R(Roll Playing Rock)」結成。2002年頃までは活動していたが、これ以降の動向は不明。
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人物
身長164cm(1990年当時)[1][2]、血液型O型[1]。兄と姉がおり、3人兄妹の末っ子[2]。
特技は書道、ピアノ、サックス[1]。書道は小学2年生から中学2年生習っており、7段の段位を取得している[1]。ピアノは4歳の時から習っており、ほとんど初見で一度も聴いたことの無い曲を、楽譜を見ただけで正しく歌うことが出来るということも特技[1]。中学生時代はブラスバンド部でサックス担当だった[1]。好きなスポーツは水泳、スキー(1990年当時公表のプロフィールによる)[1]。好きなアーティストはジャネット・ジャクソン、DREAMS COME TRUE[4]。
ボウリング好きだった父親の影響もあって、1993年時点で本人もボウリング歴15年[8]。そのようなこともあって、生まれた当時に人気ボウリング選手だった中山律子から名前がとられたのではと言われたということだったが、そうではなく本当は「大きくなっても音楽が好きな子になるように」ということで旋律の律の字を付けられたと本人が話していたことがある[8]。
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ディスコグラフィー
要約
視点
シングル
※タイトル曲を「A」、カップリング曲を「B」で表す。
アルバム
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出演
テレビ
ラジオ
- J-POP SQUARE (FM-FUJI、1996年10月〜1997年6月・水曜日)- ミッキーとのユニット「b’Rouge」としてレギュラーパーソナリティ
- 超学生ハビタ となりのハチャメちゃん (文化放送)- 1990年11月13日ゲスト
- アイドル危機一髪!公開質問状 (ニッポン放送)- 1991年6月24日〜6月28日
脚注
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